ASDであること。

先日、弘前大学の研究グループが、5歳児時点で3%(推計3.22%)がASD(自閉スペクトラム症)であるという、診断基準改定後初国内のASD有病率の推計結果を示した。

記事によると旧診断基準による国内推計は0.3%であり、しかもその推計有病率は0.3%であったということ。

たとえば医療教育を含めた様々な臨床の現場で、なんとなく「0.3%より多いんじゃないの?」と持っていた印象が、ある程度当たっていたというわけだ。

もちろんその背景には、ASDそのものが増えた、というわけではなくて、ASDを含めた発達障害の一般認知の向上と、何より診断基準の改訂によるものが大きい。なんせ、かつて個別に診断していた「自閉症」「アスペルガー障害」「高機能自閉症」「広汎性発達障害」などなどが「連続体(スペクトラム)」として包括して診断されるようになったのだから。

私は診断基準改定後にASDを診断されているが、旧診断基準であったらいわゆる「アスペルガー障害」と診断されたであろうと思われる。

またこのほか、発達障害界隈ではこっそりと言い回しが変わっていたりする。私はASDを「自閉スペクトラム症」と表現しているが、ちょっと前までは「自閉症スペクトラム」とか「自閉症スペクトラム障害」とか「自閉スペクトラム障害」とか統一感がなかった。それがここ一年くらいで「自閉スペクトラム症」に統一されてきたようである。

どうやら精神医学臨床医の中で「なるべく障害という表現は避けましょう」という合意があったようなのだ。

もうひとつ。

これも私が最近の発達障害界隈のトレンドワードとして実感しているのが、「生きづらさ」という言葉。実際に私自身も主治医から幾度となく「生きづらさ」という単語を繰り返し唱えられてる。件の記事には研究グループの代表の先生がセリフの中で「適切な支援を早期に提供することが生きやすさにつながる」という裏返しの言葉で表現されていたので、この「生きづらさ」という言葉も、臨床の世界では共通のワードになっていると思われる。

「生きづらさ」。

当事者として個人的にはなんというか、腑に落ちるところもあれば、何かずれていると感じるところもある言葉である。

確かに子どものころから自分では、世界も人も手に負えない感は甚だしかった。あの当時を思い返してそれを「生きづらさ」と表現するなら、確かにそうかもしれない。とにかくクラスの子に先生に学校に世界に気づくと振り回されていた。今考えると自分の知らないところでクラスの子たちも学校も先生も日々変化していたのだ。多分みんな日ごと月ごと色々成長していて、それに合わせて先生も態度や対応を変化させたのだ。私だけがかたくなに(私なりに成長変化はしていたのだろうが)クラスや学校は日ごと月ごと変わるとつゆほども思わず(気づかず)過ごしていた。

当時は「生きづらい」世界だったにもかかわらず、「生きづらさ」こそが自分の世界だと信じて疑わなかった。ほかの子が楽しめていることが楽しめない、他の子が出来ていることができない、他の子がわかることがわからない。漠然と「ああ、自分はできなんだな」「自分ははわからないんだな」と自覚して、でもそれだけだった。ASDなんて特殊教育の世界のお話だった昔の地域の通常の学校というのは、実におおざっぱに子供を見ていたんだなと思う。

ちなみに診断された後、私にはASDらしさがいっぱいあったことに気づいた。

生活のルーチンができるとひたすらその通りに動くのが得意であったこと。これは子供のころから変わらない。

朝食が菓子パン+キャベツのサラダ+コーヒーと同じメニューであること。これもこほぼ子供のころから変わらない。

夕食後に食べるスイーツの順番が決まっていること(ここ数年は最後はチョコレートで〆る)。

数字へのこだわり。誕生日が5日なので、子供のころから5と5の倍数の数字に拘りがあった。たとえばどこかへ行ったときロッカーとか靴箱とかに数字が示してあるが、まず5か5の倍数の数字に目が行き、そのなかで空いているハコを探す。次点では素数の数字にこだわってる。ちなみに今の車のナンバーであるが、5を2つ含む4桁の数字で、素数であり、さらに4桁の数字を全部足しても素数になる数字である。

感覚過敏。これは聴覚過敏が一番ひどくて、ストレスが強くなるほど音に過敏になる傾向がある。ざわざわしていると集中できない。ひどいときにはテレビ音すら耐えられないため、今でも決められたプログラム以外ほとんどの時間をテレビの音無しで過ごしている。(ちなみに聴覚過敏が一番ひどくなったのは失恋直後であった。あの時は2か月ほどテレビの音どころか、音楽すらも耐えられないほど過敏が酷くなったことがあった)。視覚の過敏性、触覚の過敏性は子供のころからで、同じ服をひたすら着続けることが定番であり、新しい服に変えるのに非常に抵抗があった。で、新しい服に感覚的になれると、ひたすらそれをずーっと着るという・・・永遠のループ。ちなみに今は、できるだけ柄やワンポイントが何も無い無地の服が一番落ち着けるのでそれを探して着ている。

私は「適応障害」発症したことで、ASDが判明した。

つまり、ASDが判明したからこそ、逆説的にそのこと自体自分の「努力」や「根性」ではどうにも避けることが出来ない結末だったということになる(ただし、「努力」と「根性」が日本の教育文化と企業文化に根付いているので、私が「適応障害」を発症せざるを得なかったともいえるかもしれない。主観的には)。

感覚過敏はツライ。でも私にとっても定型発達がどのような世界を見て感じているのか、私には体験しようがない。

今まで「生きづらい」ながらも「なんとか出来てきた」ことは、偶然によるラッキーだったのだろう。

ただASDという言葉は広がっても、ASDの理解は進んでいないことは、まだ私が自分がASDであることを職場で公言できないこと、これに集約されている。

2020年国内の5歳児のASDの推計は3%であるという。彼らが学校に上がるとき、また彼らが社会に出るときには、少なくとも今社会にいる私たちASDが体験しているような「生きづらさ」を、同じように体験するのか、それとも違った「生きづらさ」があるようになるのか、もしくは「理想の生き方」ができるようになっているのか。

ASD当事者として、将来の彼らに何ができるか。







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