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大人が抱く「寂しさ」からくるエゴと攻撃性
今日、こんなツイートをした。
なぜこんなツイートをしようと思ったか。
理由はふたつ。
ひとつめは、彼らのような「寂しさに支配されている人」の言動によって、私は傷ついたことがあるから。
ふたつめは、私自身にも、寂しさに支配された過去があるから。
すぐに牙を剥く大人。
鈍感力が皆無な私は、毎回しっかりその言葉を受け取って、しっかり傷ついて、帰り道にしっかり大泣きしてた。笑
当時は、「鈍感
いびつだったり、歪んでたり、傾いてたり
いびつだったり、歪んでたり、傾いてたり。
見栄えはわるいかもしれないけど、それらはどこか愛と似ていて。
偏愛という言葉を改めて調べると、「ある人だけを、かたよってあいすること。」とある。
それって純愛とも言えるのではと考えはじめたが、こういうお話は考えても考えても、深みにハマっていくだけで答えなんてものはないのかもしれない。
しかしすこしだけ残しておこうと思う。
皆を平等に愛することがで
「サッカーをやめることはチャンスなんだ」と教えてくれた父
「そこに座りなさい」と、父が言った。冷たい水をかけられたように、顔がキュッと引き締まる。
母に「サッカーをやめたい」と打ち明けたのが昨日。その日は初めて練習に行かなかった。父にもきちんと話そうと決心したはずが、いざ膝を突き合わせると簡単に決意が揺らいでしまう。
小学4年生のぼくは、半年ほど前から「スポーツ少年団」に入っていた。
ぼくの育った街は、いわゆる過疎地域と呼ばれるど田舎。全校生徒数は