判断をやめれば、人生は流れ始める
人間は判断することが大好き。しかも認められたいという欲求がある。ですのでままならない現実を前にして、自分を否定してしまうのは自然な反応なのかもしれません。
しかし、仏教的な理解にてらせば、自分を否定(怒り、不安)することは合理性はありません。その判断は苦しみを生み出しているし、その判断は妄想に過ぎないからになります。
真実でも有益でもない判断は必要性がないというのが仏教の基本のようです。
仏教の中には方向性を見定める、今に集中する、妄想するのではなく行動するといった別の励ましがあります。わざわざ自分を否定して怒りや不安をエネルギーにしなくても頑張れる考え方があるのです。
今何をするべきか、何が出来るかだけを考えましょう。
修行僧が寝坊で行に遅刻したときの話で、本人は自分はダメな奴だと落ち込んでいた時に和尚さまは、今だけを見なさい!!と叱っていたそうです。
過去を引きずる、過去を理由に今を引きずるという行為は、心の煩悩、邪念、雑念です。
人生に過ちはつきものです。肝心なのはそのときにどう対応するかをひたすら考えて実行することです。
落ち込まない、凹まない、自分を責めない、振り返らない、悲観しない
それよりも今を見据えて、ここから出来ることに専念することです。人に迷惑をかけてしまったら素直に謝り、自体を正しく理解して同じ過ちを繰り返さないことに専念することです。
過去は変えられない、今をどう正しく事実を理解するか
私も以前は人の目を気にしたり、空気を読むような行為、目上の人の機嫌を伺ったりといった意識や行為をしていました。その方が何かと自分を傷つけるリスクが少ないからです。
ここ最近でようやく逆に自分の心は廃人になっていくような感じもありました。
冒頭の判断をやめるというタイトルは感情を捨てろということではありません。正しく理解していき、無駄に引き起こす感情を発生させないようにしましょうということです。
人は人、自分は自分です。世間や人の顔色を伺って生きていく人生が最高の終焉とは私は思いません。
人生を謳歌するための方法として参考に頂けると嬉しく思います( ^ω^ )