木宮一洋【鮨料理 一高】大将

寿司職人歴25年以上。福岡市にある「鮨料理一高」 大将。 「寿司は祈り」を体現し、世界…

木宮一洋【鮨料理 一高】大将

寿司職人歴25年以上。福岡市にある「鮨料理一高」 大将。 「寿司は祈り」を体現し、世界初の熟成技術や野菜出汁でつくるシャリなど、 今なお確信を続けながらすしを通じてお客様に感動を届けます。 noteでは私の自身のことや、これまでのチャレンジについて触れていきます。

最近の記事

第4話 ラグビーを通じて学んだこと。

そんな自信がなかった学生時代。未だ迷いの中にいたある日、父が 「お前に2年間の時間をやるから、思い切って海外に行って英語を学んでこい。これからは寿司屋も英語が話せないといけない。どうせ寿司屋になったら海外旅行なんて滅多に行けないから、今のうちに行ってこい。」 と言ってくれました。 寿司屋になることが前提での提案でしたが(笑)それでも僕は 「それならラグビーができるオーストラリアに行きたい。」と答えました。 こうして、2年間。オーストラリアのブリスベンで英語を学びながら、ラグ

    • 第3話 すし屋になりたくなかった10代

      10代の僕はとにかく、寿司屋になりたくなかったんです。 長男だったから「継ぐのが当たり前」だと思われてました。 物心ついた時から、親戚や祖父母、両親から 「すし屋になるんだよね。」って言われる日々。 低学年までは特に疑問も持たず、すし屋になろうと考えていましたが、 高学年になるとバブルの影響で店もどんどん忙しく、また、ありがたいことに有名にもなりました。と、同時に「木宮の店高いよね」って言われたり、周りからのやっかみも始まりました。 中学生になると、大人たちが勝手に「君は親

      • 第2話 とても大切な先代、父 木宮一高のこと。

        私は現在46歳。 21歳からスタートした私の寿司の修行も25年を迎えることとなりました。 私の寿司修行は宮崎県宮崎市からスタート。今は亡き木宮一高(かずたか)が53年前(1971年)にオープンした、実家である【一心鮨本店】から始まりました。 私の家は祖父母、両親、男兄弟4人と、とても賑やかな家族でした。 日々何かしら怒号が飛び、喧嘩はもちろん叱られるハプニングな毎日。 学生の頃はラグビーもしていたので、毎日朝と夜は米一升をそれぞれ消化。素麺は50束を平らげる大喰らいの家族で

        • 第1話 寿司の極意は"祈り"なんです。

          私、遂に辿り着きました! 寿司の極意は祈りなんです。 祈りが寿司として形になっているんです。 寿司はお客様の事を最大限に想う世界唯一の食べ物なんです。 すし職人は寿を司る人なんです。 ここに気づいた時、 僕の寿司は【辿り着けた】と感じました。 って、 いきなりビックリしますよね笑 私は宮崎県宮崎市の出身。 現在は福岡市にて今年(2024年) 創業6年目となる「鮨料理 一高」の店主。 そして「愛とうなぎ」「木宮鮨大学」を営む木宮一洋です。 これまでの私のすし業界への貢

        第4話 ラグビーを通じて学んだこと。