木宮一洋【鮨料理 一高】大将

寿司職人歴25年以上。福岡市にある「鮨料理一高」 大将。 「寿司は祈り」を体現し、世界初の熟成技術や野菜出汁でつくるシャリなど、 今なお革新を続けながらすしを通じてお客様に感動を届けます。 noteでは私の自身のことや、これまでのチャレンジについて触れていきます。

木宮一洋【鮨料理 一高】大将

寿司職人歴25年以上。福岡市にある「鮨料理一高」 大将。 「寿司は祈り」を体現し、世界初の熟成技術や野菜出汁でつくるシャリなど、 今なお革新を続けながらすしを通じてお客様に感動を届けます。 noteでは私の自身のことや、これまでのチャレンジについて触れていきます。

マガジン

  • 寿司は祈り

    寿司職人歴25年の節目に 自分の生い立ちから、 寿司の世界でやってきた様々なチャレンジ。 これまでの軌跡や、 ここまで関わってくださった方々への感謝や思い出。 そして、25年目の今の寿司への想いと、未来への寿司。 それらを記録として残していけたら、、、と 書き始めたものをマガジンにまとめてみます。

最近の記事

−寿司屋のこばなし− 寿司の極意 のはなし

「いいか、一洋。寿司は仏の手で握るんだ。  分からない時は仏像の手を見るんだ!  絶対に忘れるんじゃないぞ‼️」 はぁ…仏の手、なんですね。 「そうだ。指の先まで神経を行き渡らせるんだ。  将棋の棋士を見てみろ。指す時の所作の美しさを。  美しさは美味しさに繋がる。  もう一度言うぞ、仏の手で握るんだぞ‼️」 これは研修中の私に、師匠である寺岡政志に言われた言葉です。 その時は何を言っているのか全く理解できませんでした。 しかし、寿司職人として歩みを止めずに20年以上経

    • 第10話 一番を目指さんといかんぞ。

      職人としての修行が楽しくなった私ですが、 夜は母の横について接客についても学んでいました。 今の接客の基礎は、 この時の母の下で学んだ経験が大いに生かされています。 そんな私がまだ、接客について学び始めてまもない頃に出会った ある女性社長の話をさせてください。 その女性社長は坊主頭で、イタリアのマフィアのようなスーツを着ている方でした。小柄な体ながら、肩で風を切って歩くような方で、スーツの雰囲気がぴったりくる、かっこいい方でした。 そんな彼女が 「おい!息子‼︎」 と、突

      • 第9話 修行が楽しくなってきた。

        「こいつに、鯵の頭の落とし方教えてやれ。」 そう言われた時の喜びは、今でも昨日のことに思えるほど。 念願叶って握れた包丁。 まな板に乗せた鯵の感覚。 震える手で頭を落とした瞬間は 今も心に深く刻まれています。 そこからはさらに出勤時間を早めました。毎朝7時30分に出勤し、掃除やセッティング。掃除やゴミ捨てなどに走り回り自分の仕事を終わらせ、親方が市場から魚を持ち帰るまでには包丁を持って待機する日々が始まりました。 それだけでなく、先輩が下ろした鯵の骨を数匹分取って冷蔵庫

        • −寿司屋のこばなし− 南部鉄器の釜のはなし

          これまで本編(?)をお読みくださり、ありがとうございます。 ここでちょっとブレイクタイムとして、今現在の私の思いや、旬の幸のことなどいろいろな雑談回を設けることにしました。 今回は道具について。 なかでも今となっては私のシャリ作りには欠かせない相棒となった 【南部鉄器の釜】についてお話ししますね。 私が南部鉄器と出会ったのは、米を炊くための理想の道具を探し求めていた頃でした。当時、さまざまな方法を試しましたが、どれも満足のいく結果には至りませんでした。 家庭用の炊飯器は年

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        • 寿司は祈り
          11本

        記事

          第8話 一成の存在があったからこそ。

          少しだけ話が前後しますが、私が実家の一心鮨で修行を始めて半年が過ぎた頃、すぐ下の弟、一成が戻ってくることになりました。 それもまた突然のことでした。 私が修行を始めて間もない頃は、前回お伝えしたように、 すぐ上の先輩、仕事を教えてくれた男の子が一成と同じ年だったこともあり、 「一成もこんな感じで修行に励んでいるんだろうな。俺も負けられないな。」なんて思っていたこともありました。 そんなある日、父から 「一洋、一成を宮崎に戻そうと思う。」 唐突な言葉に驚いた私が理由を尋ねる

          第8話 一成の存在があったからこそ。

          第7話 鯵の頭の落とし方教えてやれ。

          僕のすぐ上の先輩は、当時18歳の高校を卒業したばかりの男の子でした。 私は20歳。たった2つとはいえ年上で、しかも社長の跡取り息子。 どう考えてもやりにくかったと思います。(笑) 修行初日、そんな彼からお店の一連の流れと仕事を教えてもらいました。 朝は9:30に出勤。 営業開始までに掃除をはじめとする営業のための準備や各種セッティング。仕込みや出前の回収、ゴミ捨て等を済ませます。 昼の営業時間中は、接客、出前、皿洗いなど営業に関する仕事をこなしながら、まかないの準備をしま

          第7話 鯵の頭の落とし方教えてやれ。

          第6話 修行には出さない。

          オーストラリアから帰国し、いよいよすしの修行先をどこにしようか?と考え始めました。修行先は自分で決められたので、 やはり江戸前鮨の本場、東京で修行をしようかな? オーストラリアに留学に行く時も「これからの職人は英語もできないと。」と言ってくれていたし。東京だと海外の方も多く訪れこれまでの経験も活かせそうだ。だとしたらお店はどこがいいだろう? そんなことを検討していたのですが、父から衝撃的な言葉を言われました。 「お前は修行には出さない。」 驚いて「え?どういうこと?」と聞

          第6話 修行には出さない。

          第5話 決意と自信に変わった瞬間。

          オーストラリアに渡って約15ヶ月後。 成人式のために一時帰国した際、両親が福岡空港まで迎えに来てくれました。サプライズだったのでとても嬉しかったです。 しかし、しばらく会っていなかった父の髪が白くなり、小さく見えたことに戸惑い、さらには父が杖を使っていたことにとても驚きました。 かつて大きく見えた父。 その父が小さく見えたその瞬間、私は寿司屋になることを決意しました。 寿司職人になって、父と母の仕事を支えたい。 身体障害者でありながら、健常者と変わらない。むしろ、健常者の

          第5話 決意と自信に変わった瞬間。

          第4話 ラグビーを通じて学んだこと。

          そんな自信がなかった学生時代。未だ迷いの中にいたある日、父が 「お前に2年間の時間をやるから、思い切って海外に行って英語を学んでこい。これからは寿司屋も英語が話せないといけない。どうせ寿司屋になったら海外旅行なんて滅多に行けないから、今のうちに行ってこい。」 と言ってくれました。 寿司屋になることが前提での提案でしたが(笑)それでも僕は 「それならラグビーができるオーストラリアに行きたい。」と答えました。 こうして、2年間。オーストラリアのブリスベンで英語を学びながら、ラグ

          第4話 ラグビーを通じて学んだこと。

          第3話 すし屋になりたくなかった10代

          10代の僕はとにかく、寿司屋になりたくなかったんです。 長男だったから「継ぐのが当たり前」だと思われてました。 物心ついた時から、親戚や祖父母、両親から 「すし屋になるんだよね。」って言われる日々。 低学年までは特に疑問も持たず、すし屋になろうと考えていましたが、 高学年になるとバブルの影響で店もどんどん忙しく、また、ありがたいことに有名にもなりました。と、同時に「木宮の店高いよね」って言われたり、周りからのやっかみも始まりました。 中学生になると、大人たちが勝手に「君は親

          第3話 すし屋になりたくなかった10代

          第2話 とても大切な先代、父 木宮一高のこと。

          私は現在46歳。 21歳からスタートした私の寿司の修行も25年を迎えることとなりました。 私の寿司修行は宮崎県宮崎市からスタート。今は亡き木宮一高(かずたか)が53年前(1971年)にオープンした、実家である【一心鮨本店】から始まりました。 私の家は祖父母、両親、男兄弟4人と、とても賑やかな家族でした。 日々何かしら怒号が飛び、喧嘩はもちろん叱られるハプニングな毎日。 学生の頃はラグビーもしていたので、毎日朝と夜は米一升をそれぞれ消化。素麺は50束を平らげる大喰らいの家族で

          第2話 とても大切な先代、父 木宮一高のこと。

          第1話 寿司の極意は"祈り"なんです。

          私、遂に辿り着きました! 寿司の極意は祈りなんです。 祈りが寿司として形になっているんです。 寿司はお客様の事を最大限に想う世界唯一の食べ物なんです。 すし職人は寿を司る人なんです。 ここに気づいた時、 僕の寿司は【辿り着けた】と感じました。 って、 いきなりビックリしますよね笑 私は宮崎県宮崎市の出身。 現在は福岡市にて今年(2024年) 創業6年目となる「鮨料理 一高」の店主。 そして「愛とうなぎ」「木宮鮨大学」を営む木宮一洋です。 これまでの私のすし業界への貢

          第1話 寿司の極意は"祈り"なんです。