第8話 一成の存在があったからこそ。
少しだけ話が前後しますが、私が実家の一心鮨で修行を始めて半年が過ぎた頃、すぐ下の弟、一成が戻ってくることになりました。
それもまた突然のことでした。
私が修行を始めて間もない頃は、前回お伝えしたように、
すぐ上の先輩、仕事を教えてくれた男の子が一成と同じ年だったこともあり、
「一成もこんな感じで修行に励んでいるんだろうな。俺も負けられないな。」なんて思っていたこともありました。
そんなある日、父から
「一洋、一成を宮崎に戻そうと思う。」
唐突な言葉に驚いた私が理由を尋ねると
「一成は今、京都の料亭で修行しているが、あそこは予約制でな。予約がない日は庭で草むしりばかりしているらしい。それが三日も続いたりしてな。こんな状況じゃ、いつまで経っても仕事を覚えられん。」
「なるほど、それじゃ一成も大変だよね。」と、私も納得し、
父は一成を連れて帰るために京都へ向かいました。(きっと私に話をするまでに、父と母で色々と検討し、一成とも話していたのだと思います。)
私が一心鮨に入って修行を始めて半年、一成は修行に出て1年弱のことでした。
当時、私の実家は【一心鮨本店】と、回転寿司の【一番星】という2店舗を経営していました。一心鮨本店には和食専門の料理長がいて、寿司と共に本格的な和食を提供していました。京都から帰ってきた一成はその料理長のもとで修行をすることになりました。この時、父としては私が表で寿司を握り、一成が裏で和食を支えるという理想の形を思い描いていたのだと思います。
正直なところ、一成が戻ってきて暫くは、私はかなり嫉妬心を抱いていました。実家で修行をしている自分とは違い、外での修行経験があること。
そして、入社初日から料理長のアシスタントとして働き、早速魚をさばいていたこと。それに比べ、私は駐車場の掃除やゴミ捨てなどの雑務。皿洗いやゴミ処理に追われる日々。
特に、先輩に追いつけ追い越せしている途中で
まだ鯵の頭を落とせていなかった私は、一成が大きな鰤をさばく姿を見た時は、悔しさで胸がいっぱいになったのは今でも忘れません。
一成が本店に戻ってきたことで、店の仕組みも大きく変わりました。
それまで他の職人たちが交代で担当していた和食のポジションが、
一成が入ることで埋まったのです。
そのため、私もそのポジションに入ることはできなくなりました。
「とにかく早く上がりたい!先輩たちよりも上手にならないと!」という思いが強く、しかも修行に出れなかったことにまだ拘っていた私には、経験する機会がなくなることもマイナスに感じていました。
その時にふと、父の描く理想とする店の形について目を向けてみました。
「一成が裏で支えてくれるなら、俺は寿司に全力を注げばいいのではないか?もう天ぷらとか焼魚とか出来なくていい、とにかく寿司に集中だ!」
そう思った私は、その時に再度
「25歳までに一心鮨のカウンターに立ってすしを握るんだ!」
と心を決められました。
(恥ずかしい話、和食の基礎は今でも全くありません。一成が横にいてくれると思い学びませんでした。)
そこからは一成を切磋琢磨の良き相手としてみるようになりました。
嫉妬心を脇に置いて観察してみると、一成も彼なりに懸命に努力していることがわかりました。仕出し料理の繁忙期には、一成は朝2時に出勤して下ごしらえを始め、焼き鯛などを5時までに仕上げていました。私も負けじと3時半には店に入り、寿司ネタの仕込みに励んでいました。横目で一成がすでに仕事に集中している姿を目にするたびに、強い刺激を受けていました。いつも何かしら一歩前を進んでいく一成。自分が1番先に店に入ったと思ったらもう店にいて仕事をしている一成。良い意味で強く嫉妬したのを覚えてますし、と同時に尊敬もしてました。
振り返ってみると、今の私があるのは、一成の存在があったからこそです。修行当初もそうですし、一成が戻ってきてからは特に、彼の努力と仕事に向き合う姿勢が、私にとって何よりの励みになっていたのだと、今は心から感じています。