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−寿司屋のこばなし− 寿司の極意 のはなし

「いいか、一洋。寿司は仏の手で握るんだ。
 分からない時は仏像の手を見るんだ!
 絶対に忘れるんじゃないぞ‼️」

はぁ…仏の手、なんですね。

「そうだ。指の先まで神経を行き渡らせるんだ。
 将棋の棋士を見てみろ。指す時の所作の美しさを。
 美しさは美味しさに繋がる。
 もう一度言うぞ、仏の手で握るんだぞ‼️」


これは研修中の私に、師匠である寺岡政志に言われた言葉です。
その時は何を言っているのか全く理解できませんでした。
しかし、寿司職人として歩みを止めずに20年以上経った今、
これこそが寿司の極意なのだと気づいたのです。
今回は、その気づきに基づいて、今の私の想いを記します。

私たちは、酢飯のことを「シャリ」と呼びます。
「シャリ」は仏舎利、つまり仏様の骨のかけらに由来します。※1


そして、師匠が言っていた「仏像の手を見る」という教え。
最初は本当に全く意味がわからなかったのですが、
ある時、寿司を握る時に師匠から弟子へと伝えられた手の型が、
実は仏像の手の形(手印)に基づいているということに気づきました。※2

仏様の骨を、仏像の手形で握る…。

そして次に着目したのが文字でした。
寿司の「寿」という字には、
長寿や健康を祈る意味が込められています。
つまり、寿司を食べるということは、
シャリ(仏様の骨)を身体に取り込むことでもあるのです。


考えれば考えるほど、寿司には深い意味があることが分かります。



私はさらに知識を深めたいと思い、
今年になって師匠の寺岡や、父が修行した店を訪ねました。
そこで知ったのは、父たちに寿司を教えた大野健蔵氏が、
日本橋にある寿司の有名店で修業していたという事実です。
(こちらは戦後間も無く閉店。)

これはかなりの衝撃でした。

大野健蔵氏から伝わった技術には、それを伝えた人がいたということ。
つまり彼らが私に伝えた技術には、有に100年以上の歴史があるということなんです。。。
その時代、時代ごとに技術を習得し、寿司を握っていた人たちがいる。
あの時代の職人たちは、どんな思いで寿司を握っていたのか…
あの時代は?あの時代だったら?と、興味は尽きません。


これまでの教えと経験、そして、知り得た事実などを踏まえて私が行き着いた寿司の極意。それは
「寿司は祈り」
であるということです。
想いを込めて寿司を握ることが、何よりも大切だと気づきました。
お客様への感謝の気持ちを寿司に込めることで、味は大きく変わるのです。
寿司は手で作るものだからこそ、その想いが伝わるのです。
まるで母がつくるおむすびのように。



もう一度お伝えしたい。
「寿司は祈り」であるということを。
25年をかけて、ようやくこの境地にたどり着きました。
そして、私の寿司は次第に「鮨」から「寿司」へと変わっていったのです。
心が和む、落ち着いた、まあるい「寿司」へと。

師匠の言葉を素直に受け止め、続けてきたことでたどり着いたこの境地を、これからも大切に次の世代に引き継いでいきたいと思います。



※1:舎利(シャリ)とは仏・聖者の遺骨のこと。仏舎利=仏様の遺骨となります。小粒で白く綺麗なお米が、お釈迦様のご遺骨である仏舎利のようだという事から、お米の事を「シャリ」と呼ぶようになったと言われています。

※2:手印(しゅいん)とは、手の指で印を結ぶこと、またはその指の形のことを言い、印相(いんそう)とも呼ばれます。仏教やキリスト教などにおいて、手の形を変えることでエネルギーを高め、精神的な何かをもたらすと考えられてきました。仏様や菩薩・如来など仏像の手の形にはそれぞれ意味があります。例えば、奈良の大仏様。左手は「恐れをなくす」右手は「願いを叶える」という手の形をしているそうです。
もちろん、何の印も結んでいない仏像もありますが、それでも仏師さんが表現している仏像の手の形には、美しさだけでなく、慈悲や慈愛・力強さなど、思いや願いが込められています。それらを見て学ぶことで寿司の極意に触れられていると感じています。

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