第3話 すし屋になりたくなかった10代
10代の僕はとにかく、寿司屋になりたくなかったんです。
長男だったから「継ぐのが当たり前」だと思われてました。
物心ついた時から、親戚や祖父母、両親から
「すし屋になるんだよね。」って言われる日々。
低学年までは特に疑問も持たず、すし屋になろうと考えていましたが、
高学年になるとバブルの影響で店もどんどん忙しく、また、ありがたいことに有名にもなりました。と、同時に「木宮の店高いよね」って言われたり、周りからのやっかみも始まりました。
中学生になると、大人たちが勝手に「君は親父を越えるのは無理だ。」みたいなおせっかいな言葉まで耳にするように。
そんな環境の変化も含め、もうとにかく、嫌だったんですね。
そして僕もなんとなく分かってたんです。
父は片足しか動かない身体障害者。
その父が沢山の弟子達を従えて、沢山のお客様方に、すしで喜びを生んでいる姿を見て、「僕にはこれが出来るのか・・・」という不安と、自信のない自分。そんな心の葛藤がいつも付きまとっていました。
そんな想いも相まって、中学時代は帰宅部でした。
毎日現実から目を背けてゲームばかりする日々。
一方で両親は本当に一生懸命、毎日必死に行列の出来るすし屋を営業していました。
こんな調子の僕でしたが、高校ではなぜかラグビー部に入ることになりました。
きっかけは母の幼馴染がラグビーのコーチをしていたため、帰宅部から突然のラグビー部への変部。最初は非常に厳しく、死ぬかと思うこともありましたが、チームに慣れると楽しく過ごすことができ、3年間があっという間でした。
しかし、今でも後悔していることが一つだけあります。
当時のキャプテンから
「彼か木宮か、どちらかにキャプテンを任せようと思う。お前の気持ちを聞かせてくれ。」
と言われた際、自信がなくて断ってしまったことです。
あの時、「はい!任せてほしい!」と言えなかった自分に後悔しています。
ラグビーには一生懸命取り組んでいましたが、勉強の方は自分の未来が見えず、なんとなくぼんやりと進んでいきました。高校でも店の話が話題になることが多く、何かから逃げたかったのだと思います。当然、父の跡を継ぐ自信もありませんでした。
ラグビーのキャプテンの話もそうですが、この頃は本当に、自分の中で何か「自信を持てるもの」を見つけられずにいたんだと思います。