見出し画像

第4話 ラグビーを通じて学んだこと。

そんな自信がなかった学生時代。未だ迷いの中にいたある日、父が
「お前に2年間の時間をやるから、思い切って海外に行って英語を学んでこい。これからは寿司屋も英語が話せないといけない。どうせ寿司屋になったら海外旅行なんて滅多に行けないから、今のうちに行ってこい。」
と言ってくれました。
寿司屋になることが前提での提案でしたが(笑)それでも僕は
「それならラグビーができるオーストラリアに行きたい。」と答えました。

こうして、2年間。オーストラリアのブリスベンで英語を学びながら、ラグビーをすることになりました。同郷出身で、現在はラグビー指導者をされている平林泰造さんの紹介で、GPS Rugby Clubというブリスベンで最も古い名門のラグビーチームに入りました。ラグビーに集中できる環境が良かったのか、そこでU-21の3軍に所属。約半年間フルに試合に出場し、シーズンで見事に優勝。初めて優勝カップを手にすることができました。

この経験が初めての「勝ち取る」という体験であり、
私の人生においても、とても貴重なものとなりました。

その頃からラグビーが更に楽しくなり、夢中で取り組むようになりました。
オフシーズンには語学学校の大きなグラウンドで、毎週日曜日の夕方に引退したラグビープレイヤーたちとタッチフット(タックルなしの簡易的なラグビー)を楽しんだり、筋トレやフィットネスにも真剣に取り組むようになりました。何も予定がない時は、朝からビデオに撮った国際試合などを見て研究しました。自分で言うのは恥ずかしいですが、非常に上達し、チーム内では「フィールドのマジシャン」と呼ばれるようになりました(笑)。

次のシーズンからは大人のチームに加わり、4軍からスタート。
最初は4軍という一番下の4グレードからでしたが、最終的には2軍でプレーすることができ、楽しい2年間はあっという間に過ぎました。

半ば強引に始めたラグビーでしたが、高校から含めた5年間で、チームで動くこと、頑張れば何かを掴むこと、諦めないことと、それによって得られるものがあるということを知りました。何より勝った時の喜びを知ることができ、自分に自信を持てるようになりました。
これらの経験のおかげかその頃には心も決まり、
「帰ったら寿司屋になろう!」
と強く思うようになりました。


=============
平林泰造さん / [Instagram]
宮崎県出身の元ラグビー選手・レフリー。アジア人初のフルタイムラグビーレフリーとして従事していた。2003年に、日本ラグビー史上初のプロレフリーとして日本IBMと契約。選手時代のポジションはスクラムハーフ。

いいなと思ったら応援しよう!