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第10話 一番を目指さんといかんぞ。

職人としての修行が楽しくなった私ですが、
夜は母の横について接客についても学んでいました。
今の接客の基礎は、
この時の母の下で学んだ経験が大いに生かされています。
そんな私がまだ、接客について学び始めてまもない頃に出会った
ある女性社長の話をさせてください。

その女性社長は坊主頭で、イタリアのマフィアのようなスーツを着ている方でした。小柄な体ながら、肩で風を切って歩くような方で、スーツの雰囲気がぴったりくる、かっこいい方でした。

そんな彼女が
「おい!息子‼︎」
と、突然私を呼び、私の目をまっすぐ見つめ、
「お前なぁ、どうせやるんだったら一番を目指さんといかんぞ。」
と言いました。
その言葉に電気が走るような衝撃を受け、
今でも忘れられない一言となっています。

それまで私は、父に追いつき追い越すために努力していましたが、
「1番を目指せ」
という言葉で全く新しい目標が生まれました。
「よし、それなら日本一の職人を目指してやる!」と決意しました。
身体障害を持つ父でも素晴らしい寿司屋を作り上げたのだから、その息子である私も日本一の職人になれるはずだ!と思いました。
その瞬間から、私の目標は
・日本一のすし職人になること
・一心鮨を日本一のすし屋にすること
とスケールアップしたのです。

(こういうところ、私ってとっても素直だと思いませんか?(笑))


その後は、火がついたように「日本一になるためにできること」を片っ端からやり始めました。それまでは料理人としてのスキルアップに重きを置いていましたが、接客についての学びも見聞を広げることにしました。
時間ができれば、全国の地酒を扱う近所の酒屋に入り浸り、酒の勉強をしました。学んだ知識を生かすべく、お客様のお好きそうなお酒や料理に合うお酒などをお勧めさせて頂き、大変喜ばれることもありました。

休みの日は宮崎のすし屋の食べ歩きを始めました。自分の店との寿司や料理の違いはもちろん、お客として行くことで接客についても多くの気づきを得ることができました。
21歳の頃には寿司以外にも、勉強のための食べ歩きを始めました。寿司とは違うジャンルになると、料理への興味はもちろんですが、接客のスタイルも変わってとても学びになりました。
ちなみに当時の手取りは8万円、食べ歩き貯金として4万円を確保してました。

そんな日々を送る中、時々訪れる女性社長はご来店の度に叱咤激励してくださいました。また他のお客様からも期待のこもった様々な金言をいただきながら、仕事に励むことができ、私は皆様に育てていただいたんです。感謝しかありません。


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