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第5話 決意と自信に変わった瞬間。
オーストラリアに渡って約15ヶ月後。
成人式のために一時帰国した際、両親が福岡空港まで迎えに来てくれました。サプライズだったのでとても嬉しかったです。
しかし、しばらく会っていなかった父の髪が白くなり、小さく見えたことに戸惑い、さらには父が杖を使っていたことにとても驚きました。
かつて大きく見えた父。
その父が小さく見えたその瞬間、私は寿司屋になることを決意しました。
寿司職人になって、父と母の仕事を支えたい。
身体障害者でありながら、健常者と変わらない。むしろ、健常者の中でもここまでの職人はいないと思えるほどの仕事ぶりでこれまで家族を養い、
私をオーストラリアに送り出して、好きなことをさせてくれた両親に、
本気で「恩返しをしたい!」と強く思いました。
あれほど寿司屋になりたくなかった私が、心から「寿司屋になりたい!」と、むしろ「ならなければならない!」と心の底から感じ、
決意を固めた瞬間でした。
その後、オーストラリアで過ごす残りの10ヶ月は
「本気で好きなことをやろう!」と決めていました。
悔いのないように全力で楽しみ、120%の力で寿司職人の仕事に向き合うと、父と約束をしてオーストラリアに戻ったのです。
「寿司屋をやる。」と告げた時の、嬉しそうな父の顔は今でも忘れられません。
オーストラリアに戻って2ヶ月後、ちょうどすぐ下の弟、一成も高校を卒業しました。(3人の弟のうちの一番上。2つ下です。)
就職先にお願いして2ヶ月入社を遅らせてもらい、オーストラリアに遊びに来てくれました。一成も高校時代はラグビー部で頑張っていたので、
一緒にオーストラリアでも楽しむことができ、嬉しかったです。
日本に帰国後、一成は就職先である京都で修業をスタートさせました。
第4話でもお話したように、ラグビーのシーズン後半には、2軍(当時の日本の社会人トップチームのラグビーレベルに相当)でもプレーすることができ、さらにはオーストラリア代表も所属する七人制ラグビーチームにも加わることができ、とことんラグビーを楽しんだ期間でした。
ここまでラグビー漬けだと「ラグビーに未練はなかったのか?」と聞かれることもありますが、綺麗に諦めることができる出会いがありました。
絶対に彼には敵わないと思うほどの才能。(数年後、彼は七人制ラグビーのオーストラリア代表になりました。)そんな天才的なプレイヤーに出会ったことで、やり切ったと思えたとともに【才能】ということについて、
別の気づきがありました。それは
「私は身体障害者でありながらも素晴らしい寿司職人の息子。きっと父以上に寿司で成功できるはずだ。」ということ。
勝手ですよね。(笑)
ですが、なぜかそれは確信に近いとも言える自信でした。
中学、高校生自体にあれだけ「自信を持てるもの」を見つけられず、何かから逃げたい一心だった私が、ラグビーを中心とした海外生活を通して
「自分が決断し決めた事を全力でやれば、必ず成果を出せる」ということを実体験として学び、寿司の世界とも向き合えるようになり、
自信を持って日本に帰国することができました。