見出し画像

知らない方がよく眠れるが。それでもジャンヌ・ダルクを知ろう。


エミール・ゾラ(1840年~1902年)
生まれも育ちもパリ。

エミール・ゾラという人物が、写実主義運動(リアリズム)を土台に、「文学的自然主義」というものを提唱した。美化することを極力排し、観察や科学的手法を強調しつつ、現実をフィクションで描写しようと。

彼は、「ニュー・ジャーナリズム」の誕生に影響を与えた。型破りな技法(主観的な視点で長編ノンフィクションを書く感じ)で、ニュースを執筆するスタイル。1960年代~1970年代に発展した。

戦争抗議 公民権運動 ヒッピー ロック・フェス  性革命 フェミニズム 薬物 暗殺など。伝統的なやり方ではこの激動の時代をとらえられない、と懸念した一部の記者らによって、はじまった。

社会のために個性を発揮しよう!と思ったんだね。
いいね。

それまで。ジャーナリストは「目に見えない」存在であるべき、という暗黙の了解があった。事実は事実としてのみ、客観的に報道されるべきであるとされていた。

ゾラは、著書の中で、このように述べている。

一見全く似ていないように見える10人20人の個人が、互いに密接に結びついている。遺伝と環境という2つの観点をもちながら、1人の人が別の人々とつながっている、その糸をさぐり続けたい。


前述の状態に世界がいたるまでの、流れを見てみよう。

フランソワ・ミレー(1814年~1875年)は、より重要な人物にのみ用いられてきた壮大さと記念碑性をもって、農民労働者を描いた。

3人は、未亡人かシングルマザー = メインの働き手を失った家庭の人だ。後ろには麦の山が見える。つまり、彼らはたくさん収穫できている。わざと少し残してくれているのかもしれない。「落穂を拾って」生活の足しにしている人たちのために。

「あなたがたの地の穀物を刈り入れる時は、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。また、あなたの穀物の落ち穂を拾ってはならない。貧しい者と寄留者のために、それを残しておかねばならない」レビ記23章22節

ルツ記にも同様の教えがあるが。

ミレーはたしかに、農民を描いたが。彼なりの宗教画だった可能性が高い。

『晩鐘』

この作品をミレーにオーダーしたのは、プロテスタントでも特にリベラルな人物だった。伝統的で直接的な宗教画を依頼したはずがない。それでも、宗教画だ。

ダリ、ごめん?黙っててもらってもいいかな。笑笑。
ダリに悪気はない。楽しいクラスメイトなだけだ。

ミレーの流れを受け、ジャンヌ・ダルクをロレーヌの農民として描いたものは、大変バスティアン・ルパージュ(1848年~1884年)らしい作品だと言える。

ゾラは、ルパージュの作風のことを「群衆の好みにあうように調節した印象派」と言った。ある評論家は、モネの成功や印象派の確立の影の立役者はルパージュである、と主張した。

こんな感じ。

クロード・モネは、自然の特定の側面を忠実に再現する驚くべき力によって、最も認められた芸術家であるが。大衆は、はじめ、彼の無邪気さと誠実さを「大胆なインチキ」だと受け止めた。偏見のない目をもって田舎を歩けば、真実だとわかることなのに。世界が理解するには。物事の見た目に関する常識と真実の間で、たくみに妥協した、ルパージュのような教えが必要だった。


ここで言う常識とは。これまで当たり前だと思われてきたこと、という意味あいである。この文脈で言えば、「常識」を超えた先に真実がある。

芸術的主題に庶民を選ぶことと、反ロマン主義運動。社会学の重要性を強調することと、実証主義哲学。時事問題を正確かつ冷静に伝えることと、ジャーナリストという職業の台頭……。

私は今年、タッカーを見直したよ。個性を100%出しきってアッパレの領域へ行った。嫌味じゃない。

最近、SNSでこんな意見を見かけた。「宗教を小馬鹿にして排除した結果、ぽっかりと空いた心のスキマに陰謀論が入りこんでいるとしたら、宗教よりもひどいことになっている気がする」

文脈的に、新興宗教の意味だろう。自身の主張を伝える重要な名詞さえ正しく書き出せていないものが、LIKE 方向でバズっていること。それはさておき。

直近のインターネット上では、こんな「議論」が交わされているようだ。オールド・メディアは嘘ばかりだ!!YouTubeなら正しいと!?あの知事は善か悪か。

テレビは〜ネットは〜という言い争いがどれほど無駄なものかを表すのに、こんな画像はどうだろうか。私がパッと検索した記事の一部だが。

テレビや新聞は内容そのままでネットにいけるよ。笑

善か悪かについては……幼児向けの戦隊モノか、の一言でいいのではないだろうか。


ロバート・バートン『憂鬱の解剖学』の、冒頭の内容を要約する。

毎日新しいニュースを知る。戦争 疫病 災害 盗難 殺人 奇怪な現象 占領された町 包囲された都市。この嵐の時代に起こる、日々のありふれた噂だ。

これは現代の書籍ではない。1620年頃に書かれたものだ。

【悲報】人類は成長していない。


唐突の『ダンダダン』?文字ばかり読んでいたら疲れるでしょう。今回の話にあうし。アニメを観た。とてもよかった。相変わらず、日本の小説やマンガやアニメは素晴らしいね。

「眠り飽きた先で君が待ってた」

たしかに。大昔の赤の他人のフランス人たちは、私の中で生きている。そのスペースがたとえば怒りで埋められていたら。ハイレナイのかもしれない。(ハイレタが怖い話なのはちゃんと調べたよ!)


中世。西洋の人々の多くは、生まれた場所からさほど移動することなく人生を終えていた。生涯を通じて、よく見知った人たちと暮らしていた。

16世紀にはじまった宗教改革。そのコアな要因は、救済の本質に関する意見の不一致だった。免罪符の販売などを含む、多くの教義に関する意見の相違であった。

しかし。それを促進したのは、コミュニケーション手段の変化だ。書籍・都市・道路・船などが増えたことだ。文明化と言ってもいいが。

論争は分裂をひき起こし。多くの暴力的で騒乱的な争いをまねいた。世界から大勢のスペシャルズが失われた。

独特な様相を呈したフランスにおける宗教改革を、少し変わった観点から解説した過去回。

ミレーもルパージュもモネもゾラも、フランス人だ。モネとゾラは同じ年生まれ。


ここからは、15世紀のフランスを見ていく。ビジュアル・イメージがあるといいだろう。

Becca Saladin Segovia さんの作品。

誰?ジャンヌ・ダルクだ。

グラフィック・デザイナーのセゴビアさんという人が、歴史上の人物がどのような見た目だったかを描写することを、仕事の1つとしている。私たちは、歴史上の人物が実在したことを忘れてしまっている。私は、過去を私たちに近づけたいと。

すごく共感できる。

ジャンヌ・ダルクを再現してほしいという声は、特に多かったそうだ。

この画像は、当時の描写やオルレアンで発見された彫像から、つくられたものなのだが。彼女の生涯に関する記録は数多く残っている。(ジャンヌは、記録が相当残っている部類の歴史上の人物だ。理由は後述する)高いレベルで再現されているのかもしれない。


「百年戦争」は、近代のような主権国家間の戦争ではなかった。

(フランス・イングランドと書くと尺が長くなってしまうため、仏・英と書いていく)

英王が仏王位の継承権を主張した。これだけ聞くと。は?無理に決まってるじゃん、なのだが。

英王は仏内にも領地をもっていた。仏王から領地を「与えられる」という形で。そもそも複雑な関係だった。

英王が仏内の所領の拡張をねらい出し。仏王は仏全土の支配を目指すことに。防衛したら、必然的にそうなる。

中世ヨーロッパでは、国王間に領土問題などで対立が生じた場合、ローマ教皇に仲介を依頼するのが通例だったのだが。この時期の教皇は仏人だった(文字数がいきすぎるため、この背景は書かない)。英仏間の対立で、この仕組みがワークするわけがない。

仏で内部分裂が起こり、その一部は英と結託。仏王家は二重に問題を抱えることに。

諸侯:中世ヨーロッパ封建社会における、大封建領主や大貴族のこと。国王に次ぐ力を有していた。

ブルゴーニュの力は国盗りが狙えるレベルだろ。
ブルゴーニュは今はワインで有名だ。ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティ社が所有する特級畑(グラン・クリュ)もここにある。

このように。戦争と言っても。英プランタジネット家と仏ヴァロワ家の仏王位をめぐる争いに、封建諸侯(ブルゴーニュ公やオルレアン公)の領地争いが重なったものだった。

よって、戦場となったのは仏内部だけだった。


リュック・ベッソン × ミラ・ジョヴォヴィッチの『ジャンヌ・ダルク』の画像を使いながら、解説する。

百年戦争下の仏に暮らす少女ジャンヌは、強い信仰心をもっていた。ある日、住んでいた村を英軍に焼かれ、目の前で姉を虐殺された。心に深い傷を負ったジャンヌに、神父は言った。「いつか神がお前を必要とする日がくる」

数年後、ジャンヌは自らを神の使いと名乗り、シャルル7世に手紙を送る(読み書きがおぼつかず代筆してもらって)。英軍に包囲されているオルレアンを解放し、王太子がランスで戴冠式をあげる手助けがしたいと。

シャルルの城はシノン。ジャンヌの故郷はドンレミ。

得体の知れない女と面談などすべきでない、と助言する者も多かったが。「ロレーヌの乙女がフランスを救う」という言い伝えを聞かされて育ったシャルルは、ジャンヌと会ってみることに。何かにつけ頼りや参考にしていた義理の母(妻の母)に、会うことを勧められたのもあり。

義母のヨランド。左がシャルル。
「あなたに近づいてくるのは占い師の類ばかりだった。この娘は違う。軍隊を貸してくれと言っている」

英王と仏王が相次いで亡くなり。互いに、うかつには動けないが絶好の機会でもあるーーそんな状況だった。英王は仏が一枚岩ではないことに目をつけ、ブルゴーニュ派と結んで、オルレアン派を打破した。

仏王妃も、(シャルルを王にしたくない)ブルゴーニュ派と英に加担し、1才にも満たない子息を英仏両国の王として立てようとした。シャルルの弟だ。2人いたシャルルの兄はすでに他界していた。

異様な事態だが。シャルルは、王以外の男との間にできた子だったのかもしれないのだ。以前から噂はあった。影のあだ名、淫乱王妃だったくらいだし。

シャルルが、そんなの嘘だ!兄上たちが素晴らしすぎただけで、母上は私のことだって愛してくれている!と葛藤してきたとしても。これは決定打になっただろう。

悲しい悔しい、見返してやりたい。でも、私はおそらく、王になってはいけない血筋なのだ。シャルルの心は大きく揺れていたはず。ジャンヌが現れたのは、そんなタイミングだった。

シャルル7世の容姿について、鼻が長いという記録がある。たしかにこの絵など鼻が長い。

彼女が本当に神の使いであるかを試すために、家臣に自分の衣装を着せて王座に座らせておいた。ジャンヌはそれを一瞬で見ぬいただけでなく、大勢の中から本物のシャルルを見つけ出した。(ジャンヌはシャルルの容貌を知らなかった)

シャルルがこう思ったのは、言うまでもない。これは神の啓示だーー。

ジャンヌを指揮官にした軍隊を派遣したところ、オルレアンは解放され。ジャンヌにうながされ行動したところ、ランスで戴冠式をあげれてパリにも入れた。

戦闘しながらでも、1週間ほどで着けたそう。トントン拍子に成功したと言っていいだろう。

ジャンヌ(ミラジョヴォ)めっちゃうれしそう。

ブリュノ・デュモン監督の
『ジャネット』『ジャンヌ』(2部作)。

フランスの異才音楽家の楽曲にあわせ、少女や修道女が歌い踊る(ヘドバンなどする)奇想天外な『ジャネット』。戦争を比喩的に表現した馬術ショーなどが観れる『ジャンヌ』。

斬新な表現。また違ったよさがありそうだ。


ランス市は、パリから130kmほど離れたところにある。

戴冠式はノートルダム教会で行われるのだが。ノートルダム教会はいくつもある。仏内に当時から存在した規模の大きいものだけでも、パリ・ストラスブール・アミアン・シャルトル・ルーアン……。なんなら、オルレアンにもある。

だが。進軍してでも、ランスでなければならなかったのだ。

歴代の仏王たちは、ランスのノートルダム大聖堂で戴冠式をあげてきた。ここで戴冠式をあげないと、王として認められない恐れがあった。いや、内乱の最中だ。ほぼ100%いちゃもんをつけられていただろう。

左:ランス  右:パリ
ライトアップされると、彫刻の内容がわかりやすい。
1974年から、シャガール作のステンドグラスがある。
ジャンヌの像もちゃんとある。

誰もが知ってのとおり。この後、ジャンヌは生きたまま火で焼かれた。

ここで。


一連のジャンヌの裁判で裁判長をつとめたのは、ピエール・コーションという聖職者だった。ブルゴーニュ派で親英。この時点で無理ゲーだが。判決に影響を与えるために、教会の役人にワイロをおくっておくという、念の入れようだった。まともな裁判などする気がなかったのは、一目瞭然だ。

コイツ。最低。

『ジャンヌを尋問するピエール・コーション司教』
ポール・ドラローシュ作

陪席者には、大学関係者・高位聖職者・教会参事会員・宗教裁判所の弁護士など、100人以上が召集された。後に、参加を強要された者もいたと判明。もちろん、ジャンヌを擁護するためにではない。

身体検査により、彼女は聖なる処女であることがわかった。故郷の聞きとり調査で得られたのは、ジャンヌに有利な証言ばかりだった。それらは全て裁判で発表されなかった。

異端審問の手続きでは。教会が運営する刑務所に拘留し・女性囚人は修道女に監視させることが、義務づけられていたが。ジャンヌだけ、郡刑務所に拘留され・兵士に監視された。彼女が男装に固執し続けたのは、聖なる処女を守るためだった可能性。


読み疲れるから、一旦、音楽でも聞こうよ。

私の好きなクリエイターさんだ。『オトノケ』の歌詞とナレーションが似ているため、これを貼ってみる。

一番大切なことは自分に深く刻まれていて、それだけは決して消え去ることがないと。ミュージシャンの場合、それがメロディーだと。

Yahoo知恵袋でいつか見つけた、私の好きなライティングも貼っておく。

神はなぜ人に試練を与えるのか。何のために。


以下は、彼女が機知に富んだ人であったことをよく表す、裁判中の有名な問答だ。

「あなたは神の恩寵を受けていたか」これは、肯定しても否定しても異端とされる、いわゆるひっかけ問題のようなものだったのだが。

ジャンヌはこう答えた。“ If I am not, may God put me there. If I am, may God so keep me.” 「もしそうでないなら、神が私をそこにおいてくださいますように。もしそうであるなら、神が私をそこにおき続けてくださいますように」

文字を読むこともできない人が、こんなにも高い知性を有していた。

よく知りもしない人らが、ジャンヌ・ダルクをバカにするかのような表現をしているのを見かけることがあるが。笑止千万である。

国防のために戦場へおもむいた10代の女性をあざ笑う、直接侵略を受けたことのない国の(推定)成人男性。これだけでも失笑ものだが。

極限の緊張状態の中。信念を貫き続け、尚かつ、こんなに冷静な返しができるか。

「神と2人きりでいるほうがよい。神の友情も助言も愛も、私を裏切ることはない。神の力に頼って、私は死ぬまで果敢に挑戦し続ける」

彼女の装いに同情し、ドレスをゆずってあげようとする貴婦人たちがいた。ジャンヌは親切心に感謝の言葉を述べてから、「まだ、私がドレスをいただける時はきていません」と丁重に断ったという。

好感度爆上がりだったろうな。裕福な英女性からは、支持を得ていたらしい。ある程度、情報にアクセスできる人たちだったのではないか。彼女に石を投げたのは、全体像を全く把握できていなかった人たちでは?

15世紀の資料に、「軍馬からおりると、彼女はいつもの女性用の服に戻る」ともある。男装と言うか武装だ。する必要があって、していただけだ。

それでも。求められたため、もう男性用の衣服を着用しないと約束(書類に署名)した。

その4日後にあった事件。

英の看守が、彼女が寝ている間に、女性用の衣服をとりあげた。男性用の衣服を渡し、(ほぼ)裸ですごしたくなければそれを着ろと言った。ジャンヌは、約束をやぶることはできない・女性用の衣服を返してほしいと抗議し続けた。独房から出るタイミングで、いたしかたなく男性用の衣服を身につけた。

後に得られたこの証言が、真実かどうかはわからないが。ジャンヌが火刑に処されたのは、この2日後だ。


非の打ちどころのない人間がいる。あるいは、死刑に値するとは言えない人間が。今さら後戻りできない。だって、すでに捕えてしまった・告発してしまった。ここで解放などしようものなら、間違っていたのは私たちということになってしまう。

拘留中にいかがわしいことをされたことがある、と彼女が口にしていなかったら。結果は違っていたのだろうか。口封じ……。本当に、どんな側面を見ても嫌な話だ。

前述した、100人以上の関係者らを思い出してほしい。彼らは最終的に、男装の罪で彼女を罰することにした。


英国に身柄をわたされる前のこと。

シャルルはオルレアンの乙女を解放するようにかけあい、身代金を支払おうとした。それを拒絶されると、別の救出方法を模索した。しかし、どれも叶わず。

ジャンヌ自身も、一度、脱出をはかっている。幽閉されていた塔からとびおりて。高さ約30mの塔だった。

これは本当に「脱出」だったのだろうか。

自分は、もう間もなく、英国に連れていかれる。英国人は、自分をどれほど憎んでいるだろうか。神の声が聞こえる。自死は絶対に許さないと。ーー今ここで死んだほうがましだ。

私の空想だけではない。彼女がこのような精神状態だったという記録が、いくつか残っている。

ジャンヌが神の意思に逆らったのは、唯一、この時だけだった。

もう終わりにしたい。はじめてはいた弱音を神は聞きいれなかった。そんなふうに、妄想したくもなる。ビルの10階ほどの高さからとびおりて、死ねなかったのだから。いや、死ななかったどころではない。普通、足を骨折くらいはするだろう。3日ほど寝こんだだけで、ジャンヌは回復した。

敵の手にわたれば、想像を絶する苦痛を受けることになるかもしれない。そこ、死なせてやらないんだ。神が一番ガンギマリだよね。私的には、それでいいけれど。つきぬけていてほしいんだ。微動だにせずそこにいてほしいんだ。


中世の人物で、男女を問わず、ジャンヌ・ダルクほど研究の対象となった人物はいない。

彼女は、聖人/異端者・予言者/狂信者・フェミニストの先駆者/気のふれた十代の若者・フランスの救世主/イングランドの敵・貴族志望者/マルクス主義の解放者……として描かれてきた。

これらの命題は、善か悪か・白か黒かのレベルから、そう遠くないのではないか。

己のアイデンティティーを知識に求めることは、危険なことかもしれない。このことは、今まであまりにも真剣に考えられてきていない。

偽情報に No と言う人は大勢いるが。情報に No と言う人はほとんどいない。怒りや悲しみをかき立てる情報については、無知のままでいる方がいいのかもしれないのに。

ジャンヌがどれほど理不尽なめにあったかを知ることによって、あんたらみたいな人らは地獄の業火で焼かれなよ……という気持ちになってしまう。(私の話)

現代の人間に似かよった点を見出す時、おそらく、私の嫌悪感は増幅されたものになっている。釈然としない理由による誰かの逮捕、とかね。

アサンジ氏の成り行きを見届けるために、徹夜したり。寝てはいけないという気持ちで。自分をできるだけ第三者的にみて、けっこうまずいよなと思う。

学習などを経て「コピーしてしまった」怒りは、私の怒りだと言えるのだろうか。

やっと、今回のタイトルを回収できそうだ。「知らない方がよく眠れる」のかもしれない。


「静まって、私こそ神であることを知れ」(詩篇46:10)

神学的知性 = 概念的に神を知ること。宗教的想像力 = 実際に神を感じること。

本当に、情報発信側の質のせいなのかーーと。そういう話がしたい。

事件のことを知っていても。人のことを知らない。

私が思うに。現代社会は、情報不足と言うよりも信頼不足だ。本当に信用できる知識にアクセスできるのは、信頼できる相手がいる者だけだからだ。

学者やジャーナリストが介入してくるかもしれないが。時間をかけて獲得された信頼関係を通じて得られる知識に、彼ら彼女らが勝ることはない。自分でリアルに考えてみて、結局はそうでしょう。

信じることとは、互いを知るようになった人々の間でのみ、栄えるものだ。

概念上の同意は、抽象的な認識のみを行使し、人と深く関わることを必要としない。真の同意では、互いの魂にふれあう。

ありふれた噂やインスタントな議論は、あなたを温めたり啓発したりしない。寒さをしのぎもせず、新芽を生やしもしない。

我々は、まず、知識とは何なのかをわかっていない。


最新の研究によると。

ありとあらゆるエンターテインメントへ、指先1つで簡単にアクセスできる、今日の世界で。人々から寄せられる退屈の報告は、過去最高に達しているという。

慢性的な退屈が人に不安や攻撃性を生むことは、長年の研究により確認されているが。デジタル・メディアの構造と性質が退屈感を高めるというのは、比較的新しい主張だ。

具体的には。時間の経過とともに、各コンテンツに対する満足度が低下する。より大きな刺激を求めるようになる。魅力的なものであると認めるためのハードルが、上がり続ける。

なんだ。ぜんぜん新しい発見ではないね。恋愛で想像して。今、一瞬で納得がいったはずだ。

先が読めるくらいだ。より意味のあるものを求めコンテンツをきりかえる、そんなサイクルにハマる。ネットの海をさまようが、​​心から満足することはめったにない。

人として大切な何かを確実に失わせていくスタイルで草。

〆はこの歌で。今回の話をまるっと回収してくれているような、歌詞とMVだ。ありがたい。

素敵なコメントを見つけた。

「宗教は陰謀論よりはまし」だとかなんだとか。ずいぶんと知った気になっている人も、世の中にはいるようだけれど。

たとえば。あなたがたが何の気なしに使っている、ポジティブという言葉さえ。語源はラテン語の positivus で。まことの意味は「(神との合意によって)確実に置かれた」だ。

もう一度、ジャンヌの言葉を引用する。
「もしそうでないなら、神が私をそこにおいてくださいますように。もしそうであるなら、神が私をそこにおき続けてくださいますように」

ポジティブでい続けた若い女性は、一部の権力者たちに難くせをつけられ、生きたまま火で焼かれた。