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アリス・イン・ブラックミラーランド

私と一緒に、現代の物語と古典の物語に共通点を見出す冒険に出たい人は、読んでみて。

ピックアップするのは、Netflix で配信されている『Black Mirror』とルイス・キャロルの『Alice's Adventures in Wonderland』だ。

では、出発進行!


『Black Mirror』は、2011年~2014年に英国で放送されていたオムニバス形式のドラマで。Season3からは、Netflix オリジナル・ドラマとして配信されている。今年(2025年)Season7がはじまるらしい。

テクノロジーの発展による予期せぬ社会変化が、シニカルな視点で描かれている。エピソードの多くがダーク・テイストであるため、バッド・エンドもよくあるが。世界的な人気をほこっている。近い将来これが現実になるかもしれないーーなどと不安をかき立てられるところが、クセになるポイントなのかもしれない。

「どこかで見たことがあるはずだが、何に出ていたのか思い出せないレベルの英国人俳優たち」(評論家がこう言ったんだよ。私じゃないよ!笑)によって演じられるディストピア・アンソロジーは、たしかに、現実と非現実的の境界を一層あいまいにしそうだ。

え、有名な女優さん出ていらっしゃるじゃん。有名になる前なのかな。

誰もが知ってのとおり、Netflix は、ありとあらゆるジャンルの・おびただしい量の作品を配信している。次から次へと新エピソードが与えられるため、ユーザーが全てを観終わる日はおとずれない。


『Black Mirror:Bandersnatch』は『Black Mirror』の映画版で。2018年に Netflix で上映された。

時は1984年、主人公は若いプログラマー。この映画では、視聴者が主人公に代わって決定を下す。物語の途中で何度か、視聴者が次の展開を選択するようになっているのだ。

受け入れる/拒否する

ゲームのクオリティーを褒めるのに、「映画のようなゲーム」と言うことがあるだろう。『バンダースナッチ』は「ゲームのような映画」なのだ。選択によっては、ゲーム・オーバーの感じで、早々にバッド・エンドをむかえてしまうのだそう。

視聴者を依存症に……(せきばらい)飽きさせないように。まさに、Every trick in the game(あの手この手)なネトフリ。

ネット上には「攻略法」がたくさん紹介されている。

「運命は決まっている」「意識を変えろ 生き方を変えろ 過去を今を未来を変えろ」


ルイス・キャロルの詩『ジャバウォックの詩』(など)に、架空の生物バンダースナッチが出てくる。

素早く動き・長く伸ばせる首と怒り狂ったアゴをもっていると。また、怒り狂ったアゴで銀行員をとらえると記されている。バンダースナッチに関する数少ない情報の中に、個別具体的な狩られる対象が出てくるので、笑ってしまう。

あんな大問題を起こして……日本の信用に傷がつく。
バンダースナッチに噛まれなさい。

ルイス・キャロル(本名:チャールズ・ドジソン)
1832年~1898年

キャロルが『Alice's Adventures in Wonderland』や『Through the Looking-Glass, and What Alice Found There』を執筆した時、英国はヴィクトリア時代だった。

ヴィクトリア女王が統治していた1837年~1901年は、産業革命により経済が大きく発展した時代だった。

ヴィクトリア時代。
1人の女王の力で工業化したわけではないが。

産業革命で一変した風景と「不思議の国」。

1873年に描かれた絵。

産業革命は英国の炭田と炭鉱からはじまった。なぜ、英国だったのか。石炭の埋蔵地があったのは英国だけではなかったのに。たとえば、中国にも同様の燃料資源があったのに。

考えられる理由として……

・石炭資源の豊富さと木材の不足
・経済発展に関心をもつ裕福な支配階級
・政府の介入が少ない資本主義経済システム
・商業船舶を守る強力な海軍
・大西洋奴隷貿易の利益が工業化への投資資金に
・島国としての英国の相対的な安全性
・インドやアフリカやアメリカ大陸の英植民地が、さらなる天然資源や労働力を提供

中国で工業化がはじまらなかった理由として、考えられるのは……

・石炭がとれるのは主に北部だが、経済活動が活発なのはほとんど南部
・英国よりも地下深くにある石炭資源
・豊富な人口(人手不足ならネコ型配膳ロボやセルフレジを開発する)
・安い人件費(人力で万里の長城だってつくれた)
・安定重視で変化を奨励しない文化
・北部と西部の遊牧民の脅威

遊牧民はいつでも脅威だった。1550年にモンゴルの王が北京を包囲したのは、ごく一例。

万里の長城。秦の始皇帝が、北方の匈奴などに対するそなえとして施設。明代に作り直され巨大化した。

連続殺人犯「切り裂きジャック」が現れたのも、ヴィクトリア時代だった。ロンドンの娼婦たちがむごたらしく殺された。犯人は肉屋か、外科医か、と言われ。人々は人間不信におちいった。市中はパニックになった。

これはキャロルの執筆より後のことだが。以前からあった社会問題の末、起こったことだ。

アイルランド系移民やユダヤ人難民の流入により、ロンドンの人口が増加していた。悪影響のドミノ倒しが起こり。いつしか、極度の貧困層が生まれていた。スラムの子どもの5割が5才未満で亡くなっていた。犯罪(主に盗み)や暴力が急増した。そういう状況の社会に共通して見られる現象が、売買春の拡大である。

これも当たり前のこと。悪循環におちいる。

次は何が起こるかも、パターン的に決まっている。病気の蔓延だ。

これはおっしゃるとおりで。問題を正しくとらえないと、何事も解決に向かわないのだ。

売春宿65軒・売春婦1200人/1区画。切り裂きジャックは、この地区に出たのだ。


私は『呪術廻戦0』のファンなのだが。この「純愛映画」は、私の予想の倍以上ヒットした。自分のまわりでは、女性より男性の方が、主人公のあのセリフに感動する人が多かった。

自分たちが失いがちなものをもっている男性キャラクターがカッコよくて、ささったのかもね。一途ってこんなカッコいいんだ的な。

私はリカちゃんのファンだけど。あの見た目の時も。

社会は激的に変化してしまった。人間の純真さも喪失されてしまうのではないか。当時の英国人が抱いたそのような不安に共鳴した作品、それが『Alice's Adventures in Wonderland』だった。後ほど、詳しく解説する。

もう少しだけ、呪術廻戦の話をする。

吐き気をもよおすほど不快なサルどもを駆逐したい的な語り口で、一部のワル仲間に狂人であるふりをし、下手したら自分自身さえごまかしてきた夏油さんだが。

乙骨さんに、本気に決まってんだろ。信念もなくてこんな必死にやらないだろ笑と言われ(彼はこう聞こえたんだよ)。久々に本音を言う。自分は大義のために戦っていると。

クズがつくった世界をどうにかしようとして、クズじゃない人たちが必死にがんばるんだよ。せつないよね。本当のクズはこのバトル中に家で寝てただろ。


テクノロジーの発展と予期せぬ影響(悪影響を多分に含む)を描いた『Black Mirror』の映画版に、キャロルの作品にまつわる言葉やアイディアが起用された。

白いウサギは人形で出てくる。

ジェローム・デイヴィス。『Black Mirror:Bandersnatch』に登場する悪役だ。『バンダースナッチ』というタイトルの冒険小説を書いた後、精神に異常をきたして妻を殺害する。首を切り落として。

このキャラクターの持論は、こんな感じだ。

我々は、同時に複数の並行現実の中に存在しており。自由意志は無意味である。その考え方を採用すれば、自分の行動に対する罪悪感から解放される。

(先に貼った、性感染症の蔓延を外国人のせいにする話を思い出してもらってもいいよ)

2つに分裂する可能性のある現実を表すグリフ。
男はこれを繰り返し描いた。

自由意志の限界という概念にとり憑かれ・概念に飲みこまれたんだな。あるあるだな。

闇堕ちするなら個性を見せろ。『ダーク・ナイト』のジョーカーのように、札束の山に火をつけて既存の悪(マフィア)を驚愕させてみろ。せめて。王道が許される・王道だからこそ素晴らしいのは、ポジティブ系だけなんだよ。


ティム・バートン監督の映画(原作とは異なるストーリー)のアリスは、望まぬ相手と結婚させられそうになる。自分のあずかり知らぬところで周囲が勝手に、自分に関する重大なことを決めていた。

女性は特定の時期に特定の物事だけを知ればよく、幅広い情報に通じている必要はない。女性は、しょせん自力で人生を切り開くことができないのだから。と、そういう表現らしい。

圧がすごい。
「私がいつも何を恐れてきたかわかる?」
「貴族社会の衰退?」😂

これが映画版のアリスが立ち向かった対象だ。


この段落は、つながりが見えにくいと思うが。(後で回収する)

性愛の対象を少女に求める心理を表す「ロリータ・コンプレックス」という言葉の出どころは、言葉の魔術師と呼ばれた多言語作家、ウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』だ。

私の勝手な考えなのだが。「ロリータ・コンプレックス」は、また別の意味あいで、女性自身の中にもあると思っている。ある程度の女性の心の一部に、外部からの求めに呼応してか、幼いままでいたいという願望がある。

女は、あえて、知的・精神的未熟さを前面に出すという手段をとることもある。私も例外ではない。これは性的な話ではない。時代も関係ない。

これを「嘘つき」「自分の利益のためにやっている」と思う男は、永遠に、女の愛情深さのなんたるかを知らない。自らを良くアピールするだとか、互いを高めあうだとか、まともな人間のすることだ。女は愛した人にやさしいーー狂人に近いほど。男は女を守るために死ねる種族だが。女は2人で堕ちてまで一緒にいようとする種族だ。

どちらも、人間の愛すべきバグだ。

笑いも入れていかないとな。

ウラジミール・ナボコフ

さすが、チーム・ナボコフの「エース」ゆあてゃだ。面がまえが違う。

これはみきてゃ。本当におもしろい。


1940年代の調査によると。米国人の36%が、男性と女性は同等に賢いと考えていた。
2018年の調査によると。米国人の86%が、男性と女性は同等に賢いと考えている。

当時には当時のあたり前があった。

ディズ二ーは、時代や価値観の変化にあわせ、過去作を訂正するような作品を複数出している。


水平性や垂直性を判断するメンタル・ローテーションにおいて、男性がやや優位であること。空間記憶の特定の要素において、女性がやや優位であること。

メンタル・ローテーションのイメージ。

それに対する進化論的仮説はこうだ。男性と女性は、社会における労働を含む異なる役割に適応するために、異なる精神的能力を進化させた。

例)男性:狩猟中のナビゲーション。女性:広い領域での採集。獲物が動くか動かないかの違いだ。動かないのなら、必要なのは記憶力だ。

まぁ、(あったとして)差異だ。脳の大きさの個体差が、せめて最も関係あるかもしれないくらいで。それも、人生中のありとあらゆるファクターがもたらす影響が打ち消す。脳には、桜木花道はダンク・シュートをできるが、赤木晴子はそれをできないーーこんな前提的絶対さはない。

「女が男より賢くない」としても、「俺より賢い女がいる」としても。当人のまねく結果だ。特別な事情のある人や、ごく一部の天才をのぞいて、現代の日本などの先進国なら。


Mad Hatter/Mad as a Hatter

イカれた仲間はおもしろい。

帽子屋は自分とウサギとアリスの誕生日が今日ではないことを知り、みんなに共通点があることに気づく。発想の転換がすごい。笑

帽子屋は自分が狂っていることを自覚しているが、狂っているのは自分だけではないことも知っている。みんな他人がつくり出した環境の産物にすぎない、とも言えるからね。

(ちなみに。彼は、売り物の帽子を盗んでかぶっているわりに値札をはずしていない。隠蔽すればいいのに。どこか憎めない)

キャロルは、帽子職人が職業病で水銀中毒になることがあったーーという1つの社会問題を描写したのだろうが。言葉自体は、帽子づくりが職業になる前から存在した。古英語の atter から派生したようだ。Mad as an Atter(毒っぽい狂気)→ Mad Hatter(イカれ帽子屋)。

かわいい😂あのちゃん好き。

みんなと同じでなくても、よいのだ。

今年の共通テストに変わった問題が出たらしいね。いいね。こう、知と知が混ざりあっていること。マクロな意味で私は好きだ。

ちなみに、答えは③だ。

ホタルの光は熱をほとんど発さない。この特徴を応用して開発されたのが、②のケミカル・ライトだ。仕切りなどでわけられていた2種類の液体が、混ざることで発光する。発熱しない・電源もいらない。だから、②と④はつれだって除外される。


映画版の終盤では。アリスは、不思議の国の生き物たちを助けようと決心する。

そうするように誰かに言われたからではなく、彼女自身がそうしたいと望んだからだ。ウルトラマンが人類を救いたいと思ったように。

現実に戻った後。アリスは、愛していない人と結婚するのはおかしいと思い直し。女が自立して生きていくことは不可能ではない、と考えるようになっていた。


この物語は、実に、時代を超えた適応性と関連性がある。

1990年代。パソコンとインターネットの普及から新たな解釈が生まれ、アリスはなつかしい人物ではなくなった。

不思議の国と現実の境界線は、ますますあいまいに。

yamaさんのこの歌、ネオの主題歌みたいだ。


先ほど「ロリコン」が出てきた時、話のつながりが見えない感じもあったかと思う。これの伏線だった。

キャロルに基本的にロリコンの気があったかどうかは、私にはわからないが。美しく・知的才能が豊かで・快活な精神ももちあわせていたアリスは、幼い頃も成長後も、キャロルのミューズだった。ずっと、彼のインスピレーションやモチベーションの源だった。

キャロルの文学的追求や独創性の育みに、アリスが重要な役割を果たしていたことは間違いないが。2人が軽いキスを交わす以上の関係だったかどうかも、私にはわからない。(アリスが幼い頃の話ではない)大前提、人様のプライバシーだし。

アリスの父親が、2人の交流を阻もうとしたことがあるらしい。私は、現代だってそうなるのではないかと思う。思春期をむかえた娘が、かなり年上の男性と親密にしていれば。少なくない数の男親が、苦言を呈すのではないだろうか。


キャロルが教師だった頃。保守的な校内システムを次々と改革してくれる学長がいた。彼には3人の娘がいた:長女ロリーナ・次女アリス・三女イーディス。キャロルは学長一家と交流をもっていた。

右がアリス。

見てのとおり、キャロルには写真のセンスもあった。その時代、最高のアマチュア写真家の1人に数えられていた。

5才のアリスがかもし出す雰囲気はすごい。
このわざとズタボロな衣装から、キャロルの才能もまた感じられる。

バルテュスとリンクさせようとして、この過去回を貼ったのだが。レクターとクラリスの関係性・キャロルとアリスの関係性を見比べるのも、おもしろいかもしれない。

誤解を恐れずに言うと。「エロ監視員」にはなりたくない。私は風紀委員をやれるタイプでは全くない、というのもあるが。性的に魅了される/愛情を抱く、黒/白じゃない。世界はそんなふうにできてやしない。もっとグラデーション的だ。


写真つながりで。ステキなアリス・コスを見ようか。休憩タイムだ。

レベル高!センス最高!
表情がんばって寄せてる!

はい、休憩終わり。(短)


アリスが10代になった頃の、ある初夏の日。学長一家と教師たちはピクニックへ行った。キャロルは後に、この日のことを「金色の午後」と形容した。とてもいい休日だったんだろうな。

アリスに、「おもしろい話して」とせがまれ(何気にハードル高くて笑う。アリスらしい)。時計を確認しながら急ぐ白ウサギと、それを追いかける少女の話をしたキャロル。

ボートを漕ぎながら同僚がふり返る。「即興でつくった話か。続きが気になる」
「そうなんだ。この後、10代の女の子を深いウサギの穴に落とす。その後の展開はどうしたもんか……」
同僚は、コイツやっぱりどこかイカれているんだよなと思っただろうか。
アリスはと言うと。続きはまた今度ーーと話を終わらせようとするキャロルに、「今でしょ!」と言った。
全員おもろい。

無茶ぶりアリスは、「私のためにそれ文字にして」とも言った笑。7ヵ月後、『Alice's Adventures in Wonderland』が完成した。(当時はタイトルが違ったのだが)

「クリスマス・プレゼントだ。あの夏の日の思い出に」と、アリスに手渡された。

翌年、ジョン・テニエルによってイラストも描きそえられたものが、世に出版された。さらに翌年、続編『Through the Looking-Glass, and What Alice Found There』(邦題:『鏡の国のアリス』)が。Looking-Glass は Mirror を上品?に言ったもの。

テニエルは『パンチ』という雑誌に、こういうシュールな挿絵を書いていた人だそう。現代でもありそう。
『週刊パンチ』『実話ナックルズ』笑

「鏡の国」と聞いて思い浮かぶのは、斎藤緑雨だ(主観)。彼もキャロルとそう離れていない時代に、才ある女性を高く評価していたし。樋口一葉だ。

鏡を看よといふは、反省を促すの語也。されど、まことに反省し得るもの幾人ぞ。人は鏡の前に、自ら恃(たの)み自ら負ふことありとも、遂に反省することなかるべし。鏡は悟りの具にあらず、迷ひの具なり。一たび見て悟らんも、二たび見、三たび見るに及びて、少しづヽ少しづヽ迷はされ行くなり。

ここでの鏡は、自分と似た人を意味してもいる。イエスマンばかりをかき集めた四方八方鏡ばりの部屋が心地よい、という人も存在する。

『イノセンス』で、この2人の会話にも出てくるね。


以降、アリスの冒険は、複数の時代や文化で表現されてきた。

ユニークな例を1つ紹介する。

1988年公開の『Něco z Alenky』(チェコ語で「アリスからの何か」) は、チェコスロバキア・スイス・イギリス・ドイツの合作映画だ。

映像はもっとブキミだよ。


一連のアリスの物語をよく見てみると。繰り返されるモチーフなどの中に、さまざまなメッセージ性を感じることができる。

マッド・ハッターのことは先に書いたが。チェシャ猫が、アリスのアイデンティティーについて質問をしたり。芋虫が、不確実性と変化を受け入れるようアドバイスしたりする。ウサギの発情期は3月だとか、性的な要素もとりいれられている。

ディズニー・アニメ版は子ども向けなのに。けっこう伝えているよな。「あんたがどこへ行きたいかだニャ」。アリスの意思が薄弱なのを知ると、それならどこへ行っても同じことだと言う。これ、けっこうささる人いるでしょう。

正社員とバイトで1万円違うのか。どんなリーズンかわからないため、リーズナブルなのかわからない。シャチくん?社蓄か!モームリだ笑ってしまう。

いろんな事情があるにしても。50cmが越えれない、30cmが越えれない、と。事実、ハードルはどんどん下がっていくものだ。こういうものの「ご利用は計画的に」。

慣習に疑問をもつこと。自己主張をすること。自律性と順応性をバランスよく保つこと。

大人になったアリス。

アリスの物語のこの部分を日本語で表すと、以下のような感じになる。

ウミガメ(ウミガメ?という見た目なことはツッコまないであげよう)は海の中の学校に通っていたと。学校に通える身分だったことを自慢しあう、ウミガメとアリス。

当時の英国の学校システムが、うかがい知れる。

フランス語と音楽の授業をとっていたかでマウントをとりあう会話は、追加料金をはらって受ける特別な授業があったことを表している。実際、そういうオプションにフランス語と音楽があった。ウミガメが、自分たちの学校の請求書には洗濯代という項目があったと。寄宿学校なら、衣類の洗濯代が別途要求されていたのはわかる。

すかさず、アリス。海の中で洗濯そんないらんかったやろ。それを受けて、ウミガメ。だからとるかとらないか選べたんだって。これが本当のせんたく科目〜。

ウミガメ自身は、お金が足りなくて洗濯という授業をとれなかった。(キャロルが風変わりな表現にしているが、大きな貧富の差が存在したことが主旨だ)

普通科目には「獄語」「惨数:打算・安産」「美化」「醜怪化」「溺死:古代死・現代死」があったと。こくご さんすう りか しゃかいか れきし だ。キャロルは混成語や造語を用いて、風刺をちりばめていた。刺しすぎで笑う。キャロル自分も教師だったのに。

アリスは、醜怪化を知らず・美化をそうじのことだと思ったと(妥当w)。グリフォンに、お前バカかよと言われる。グリフォンにはヤンキーみを感じる。俺、あんまり時間がなくてよ。それでも惨数の上級をとっていたんだぜ。教師は気に食わなかったけどな。

ウミガメ、誰にもツッコミを入れてもらえない漫才を繰り返す。知ってる!悲惨(ひきざん)を教えてた先生でしょ!

この3人にコンビ名をつけたくなっただろう。

さて、『Black Mirror』の話に戻る。

『Black Mirror』のエピソードの1つに、『USS カリスター』がある。人気の高い作品だ。

バンダースナッチと同じ。この物語の主人公もプログラマーで、人気ゲームの創設者だ。(多人数参加型オンライン・ゲーム)しかし、彼は悪役なのだ。

頭脳明晰だが社交性に欠ける男が、仕事仲間と人間関係をうまく構築することができず。勝手にフラストレーションをつのらせ。腹いせに、マグカップなどから DNA を採取し・同僚たちのクローン意識を作製して・デジタル宇宙船に閉じこめる。

平たく見て。他は特段、悪い人たちではない。そのような暴挙に出たことからもわかるように、性格が悪いのは主人公の方である。嫌われるべくして、嫌われただけ。


逆うらみで、自称船長に抑圧や虐待される乗組員たち。

お前は反抗的だ!目鼻口をうばいとってやる!
窒息死しかける女性社員のデジタル・クローン。
「規則」に従わない奴はモンスターに変えてやる!
ガチめなモンスターでキツい。

ゲーム内で再現した息子を殺された社員もいる。息子の DNA を入手されていて、何度でもクローンをつくって何度でも殺すぞ、と脅されている。最ッ低。

うん、きれいさっぱり暴君だ。

反乱を起こすことを決意した乗組員らは、現実世界の自分へ事と次第を伝えようとしたりして、独裁者に立ち向かう。


少なくない数の哲学者や科学者が、私たちがシミュレートされた宇宙に住んでいるかどうかについて、考えてきた。

ヤンポルスキー氏は、「シミュレートされた現実」を調査し操作する方法を具体的に列挙する。

フリードマン氏(左)のポッドキャストに出たことがある。彼は文字通り誰とでも対話する。ゼレンスキー氏もゲストになった。私はフリードマン氏が好きだ。

シミュレーションを偵察し幻想や欠陥を探る。隠れた構造をほのめかす、デジャブのようなパターンや違和感を探す。そうやって対抗するのだと。

まるで、アリスの冒険だ。

高度な技術システムは再現性のための複製を目的としている。最終的な目的はコードにあらかじめ刻みこまれている。もはや、自分自身を超越するものをイメージすることはなくなり。自己反復・再生・再シミュレーションというプロセスで、どんどん内向きになっていく。

まるで、斎藤緑雨の教えだ。


かつて、アメリカには大勢の農民がいた。彼ら彼女らは、馬車や鉄道で遠くの町へ買い物に行くか、行商人から高値で物を買うかしかなかった。

リチャード・シアーズは、カタログによる通信販売を思いついた。彼は大儲けした。

カタログは非常に分厚かった。

アメリカ人を1人ずつ顧客にしていくのではなく。一挙に消費者という塊にしたのだ。

出た。デジャブのようなパターンだ。
シアーズの大型店舗。ここが冒険先なのは嫌だな。

ファントム・ワールドの主要なエージェントには、権力をふりかざす政治家もいるかもしれない。誰も望んでいない戦争がはじまってしまったり、するかもしれない。もうやめてよ!!とみんなで叫んでも、止まらないかもしれない。

秘密のコマンドを発見し、極度の計算負荷をかけ、奴らをシャットダウンしよう。

唐突の危険思想文学、申し訳ない。そんなふうにしなければならない時もある、と。そう言いたいだけ。それより。普段からの思考や行動が大切で、1人1人が救世主なんだよ。ネオだって言われたんだ、「占い師」に。本当はあなたは救世主じゃないって。


私たちは変われる。

人生に固有の目的などないと考えれば、たちまち、「全てが不具合」となる。最悪、つまらない闇堕ちをする。チェシャ猫の体が笑顔の中に消えていくように、人間の理想がハイパー・リアリティーの中に消えていくのは、悔しいじゃないか。


私たちは、失われた太陽ーー全ての価値と秩序を支えてきた古風なものーーの代用品を生み出すことに、専念しているのだろうか。シミュレーションが無限ループを達成し、オリジナルが不要になるまで?

最初のシミュラークルは Imago Dei = Image of God で。その後の全ては、オリジナルの不在をおぎなうために採用した戦略なのだろうか。

タチコマが言うこと、よくわかるよ……。


I am Alpha and Omega, the beginning and the ending. 私はアルファでありオメガである。最初であり最後である。(ヨハネの黙示録:1章8節・21章6節・22章13節)

ギリシャ文字の、最初と最後の文字を用いて表される。第一歩であると同時に、最後に到達すべき究極のもの。

私たちはいまだにゴールできていないが。私たちの冒険はまだ終わっていない。