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第6回 KUAS 京都先端セミナーに参加して


昨日から大丸ミュージアムで開催された「旧七夕会たなばたえ池坊全国華道展」を鑑賞してきた。今年は「花 いのち みらい」というテーマだ。
池坊専好先生にもご挨拶することができた。


「旧七夕会たなばたえ池坊全国華道展」は私も楽しみにしている年中行事だ。


そして芸術の秋。京都では文化・芸術のイベントがたけなわである。
先月、「第6回KUAS 京都先端セミナー」にお邪魔した。
昨年5月から始まった京都先端大学主催のこのセミナー、ある時地下鉄の車内広告を見て知ったのだが、豪華なパネリストによる講座でどの回も興味を引かれる。市民に開かれ、今や大変人気があるセミナーだ。
今回は約1年ぶりに池坊専好先生が登場された。
テーマは「源氏物語~ 千年前の女性たちに学ぶキャリアとリーダーシップと『美』」。
お召し物は、源氏物語にちなんだ「源氏香げんじこう」の図柄が入ったお着物だった。専好先生のセミナーへの意気込みに親しみを覚えた。

いけばなを2点、披露された。

花散里をイメージしたいけばな
紫式部と野の草 そしてリンドウのいけばな
紫式部が綺麗な時期だと言われていた


セミナーの中で、専好先生が紹介された言葉に心打たれた。
「枯れた花にも華がある」
目が覚めるような池坊いけばなの精神だ。
『池坊専応口伝』を通し教えてくださった。

「例えば蕾であったり枯れたものであっても、命のありとあらゆるところに『美』がある。
それは決して見た目だけの美しさではなく、どんな状態であれ見た目であれ、生きている痕跡があり、生きている一つの段階だから、『美しい』と捉える考え方です。
(中略)
いけばなというものは『美』を見い出すこと。
見た目だけじゃなく『命の美』を、『どこに美しさがあるのか』を、見出す営みです」

第6回 KUAS 京都先端セミナー
源氏物語~ 千年前の女性たちに学ぶキャリアとリーダーシップと「美」
池坊専好先生の言葉



単に美しい花を愛でるだけではなく、草木の風興をわきまえ、時には枯れた枝も用いながら、自然の姿を器の上に表現するという。
この考えは、川端康成のノーベル賞受賞記念講演「美しい日本の私」で紹介され、世界的にも知られるところとなった。

ありのままを大切にし、で、慈しむ。人間の生き様もこうでありたい。千年の時を超えて読み深める文学と、それが生み出される背景に人が想いを託した花の存在がはるか昔からあったことに思いを馳せ、専好先生と山本淳子先生の話に聞き入る。


山本淳子先生が、中宮・彰子のことを通して、専好先生も若くして次期家元になられたことに、ジェンダー指数が低い日本において、とても勇気のある選択だったと尊敬を寄せておられる場面があった。私の思いを代弁されたかのようだった。

山本淳子先生曰く、彰子はゴッドマザーの立場を引き受けた人。87歳で亡くなるまで、一国の主たる者どんな慈悲を持って民を治めていくのか天皇家も摂関家も知らなくてはいけないと、一条天皇の生き方を伝え続けたことを紹介されていた。
そして、専好先生のお話を聞かれる中で、専好先生もまた次期家元という立場を引き受けた人ではないかと。

世襲制ももちろんあるだろうが、一人の人間の人生が、生まれながらにして決まってしまうことでもある。ましてや人前で話すことが得意ではなかった若き女性が伝統を背負って立つプレッシャー、何より前例にない初の女性次期家元として立たれたことは、よほどの覚悟の人だと私も尊敬している。

専好先生はそのご自身の立場を、成長させてもらえること、大きな刺激を受けてきたとことだと捉えられていた。そして、ロールモデルのような憧れられるような素晴らしい方もいらっしゃる上で、いろんな方がおられての、一人の人格が作られていくことの大切さを話されていた。

2年ほど前に発刊された、池坊専好先生と京都大学名誉教授で地球科学・火山学・地質学者の鎌田浩毅氏との共著『いけばなの美を世界へ-女性が受け継ぐ京都の伝統と文化-』(ミネルヴァ書房)を読んだことを思い出す。専好先生の半生、そしていけばなと向き合われる心について語られていたことに感銘を受けた。


伝統をつなぐ使命、門弟と心を通わせる使命。
新しい風を吹かそうと一筋に精進されている専好先生の貴いお姿に、心からのエールを贈りたい。






<参考> 池坊公式サイト
     京都先端大学公式サイト
     京都先端セミナー



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