こころの健康(スピリチュアリティ)の武士道的社会的比較
1300字程度
おはようございます。気が付いたら夜が明けていました。
最近話題の健康(霊性=スピリチュアリティ)について言いたいことがある。
先日の心理学会大会やニュース、新聞、YouTubeでもやっと日の目を浴び始めた言葉だが、まだそこまで普及していないんじゃないのかと。
この健康の考え方自体、日本には明治以前からあって、多くの本に記されていたり文化精神に残っていたもので、戦後復興期以降に失われてきたものじゃないかなと。日本精神衰退し過ぎじゃないかなと。
簡潔に歴史的変化を今昔比較(武士道や修養の精神を昔と仮定)
今⇔昔
他責⇔自責
上下関係⇔立場は違えど対等な繋がり
失敗を責める⇔明日は我が身と手を差し伸べる
個人の責任⇔集団責任
責任は起こした個々の問題⇔立場の高い者が責任を負う
ルールやマナーの遵守、統一⇔よそ様に迷惑をかけなければいい
超過労働⇔日の出に始まり日暮れに終わる
偉い=地位や名誉、富⇔御苦労されている
代わりはいくらでもいる⇔個性の尊重
自分を優先⇔他人を優先
口論⇔抜かずの刀
老害⇔年寄りは家の宝
アイドルを追いかける⇔男に女性が付き添う
子どもは教師が育てる⇔家庭(や村全体)で育てる
学ぶことはいい会社に入る手段⇔自分を律し高めること
人生100年時代⇔いつ死んでも悔いのないように刹那を全力で生きる
言葉はシンプルストレート⇔言い回し
ルッキズム⇔心の美しさ、人の良さ
口数が多い方がいい⇔無口
一方的正義⇔喧嘩両成敗
量⇔質
余ったらゴミ⇔自然に返す(譲る)
贅沢⇔質素
都市集中⇔郷土愛
人を使う⇔力を借りる
買い替える⇔長く大事に使う
情欲⇔情熱
有形⇔無形
惰性⇔信念
無心で列挙した。
こう書いてみると武士道というものは、世のため人のために苦労されてきた老人のように達観した考えの道じゃないだろうか。
今の世の中、自分を律するために用いられた言葉が、他人を制するための言葉になってるんじゃないのか。
人は仙人や無人島で暮らすならともかく、2人以上の社会で生活しているので、よそ様に対等な立場で協力してもらえることに感謝できることが、世界が愛した日本文化じゃないのか。
これからの未来は今までより、桁違いに物質的孤独・孤立化が早く進むので、対等な関係を共に築いていくことが重要だ。
品性の光輝|書誌詳細|国立国会図書館オンライン (ndl.go.jp)
金科玉条修養の基礎|書誌詳細|国立国会図書館オンライン (ndl.go.jp)
参考になる文献
永田岳淵(1903). 『品性の光輝』. 実業之日本社
山田愛剣(1916). 『金科玉条修養の基礎』. 忠誠堂
家永三郎(1954). 『日本道徳思想史』. 岩波書店
貝原益軒著・松田道雄訳(1973). 『大和俗訓・和俗童子訓』. 中公文庫
松下幸之助(1975). 『指導者の条件 人心の妙味に思う』. PHP研究所