しまのかみ@歴史&古典

大学4年生、江戸時代の朱子学者について研究中 〈目標〉 ・好奇心の力で楽しく生きる人…

しまのかみ@歴史&古典

大学4年生、江戸時代の朱子学者について研究中 〈目標〉 ・好奇心の力で楽しく生きる人を増やす ・歴史の知恵で悩んでいる人を救う ・自分で自分を責めたり、傷つける人をゼロにする 主に、歴史や古典の話になると思いますが、目標にかないそうなことはどんどん発信していきたいです

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自分の目標について(自己紹介になっているかも)

プロフィールのところにも目標は書いていますが、これについてもう少し詳しく。 (下に行くにつれて重要です) 「好奇心で楽しく生きる人を増やす」  まず1つ目、「好奇心で楽しく生きる人を増やす」ですが、やっぱり自分が好きなものに突き動かされている時は何より楽しい!それは読者のみなさんもわかってくれるのではなかろうかと思います。人生、楽しく生きるのが一番だと思います。それに、好奇心を持って取り組み続けることは健康にもいいことですからね。健康を大事にする、何を当たり前のことを、と思

    • 正信偈の中の好きなフレ一ズ 凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味 (ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう  にょしゅうしいにゅうかいいちみ) 聖人も悪人も、みな等しく阿弥陀仏の本願に救いとられる。それは、様々な川の水を海が全て受け入れるのと同じこと 阿弥陀仏を海にたとえています

      • 身近な伝統から学ぶ(浄土真宗編)

        これまでたびたび仏教の話をしてきましたが、みなさんは仏教にどんなイメージを持っているでしょうか。 僕もそうですが、僧侶の方などを除いては、毎日お寺に行く人はいないと思います。また、現在の日本では檀家とお寺とのつながりが崩れつつあってお寺の財政が厳しくなっている、という話も聞きますので、日々仏教の教えを意識して暮らしている人は少なくなっているのかもしれません。それに、日本の公立学校では宗教教育はしてはいけないので、仏教の教えに触れる機会もないまま、かえって仏教に対して難解なイ

        • 「無名人インタビュー」を終えて

          2週間ほど前でしょうか、僕の親戚は食堂を経営しているのですが、どうやら人手が足りないようで、僕は手伝いに来てほしいと頼まれました。加えて、卒論の準備もあるので多忙となってしまい、noteの記事のほうが更新できず申し訳ない限りです。 さて、昨日、僕が先日受けた「無名人インタビュー」の記事がnote上で公開されました。 最初は、「無名人インタビュー」という企画をたまたま見つけ、「面白そう だな」と興味を持つことから始まりました。 そして、自分が普段考えていることを言葉にして、

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          ブッダの教え10 「因果と後悔」

          「因果応報」という言葉があります。つまり、「自分の行動の結果は必ず自分にはねかえってくる」というものですが、これはそう単純なものではありません。例えば、なにか悪事をしたからとって、瞬時に病気になるとか、死んでしまうなどということはないわけです。また、善いと思うことをしても、なんでも自分の望みどおりにはなりませんね。だから、つい人は無謀なことをしてしまいがちです。 ただ、ブッダは、「自分がしたことの報いはゆっくりと、しかし着実にその行動をした者につきまとう」と教えます。これは

          ブッダの教え10 「因果と後悔」

          終戦記念日と地域の歴史

          今日8月15日は言わずと知れた終戦記念日です 「言わずと知れた」などと申しましたが、最近では戦争についての風化が進んでおり、知らない人も僕の予想以上に多いのかもしれません。 今朝の「北海道新聞」に、ノンフィクション作家で昭和史の語り部である保阪正康さん、そして2021年に亡くなった半藤一利さんに関する記事が掲載されていました。半藤さんはある時大学で講師を務めたのですが、その時に日本とアメリカが戦争をしたことすら知らない学生が多かったようです。これには僕も正直驚きました。そして

          終戦記念日と地域の歴史

          先祖とのつながりを想う

          今日は8月13日、この時期は僕も含め、多くの方がお墓参りをしたり、お寺で先祖の供養をすると思います。 普段は先祖のことを意識していなくても、このお盆の時期は自分の先祖に思いをはせるという方も多いのではないでしょうか。 思えば、自分と先祖とのつながりは本当に不思議なものです。僕の場合、四代前くらいまでは写真が残っていてどういう顔だったのかがわかり、江戸時代の終わりごろにどこに住んでいたかということはだいたいわかります。 しかしながら、その前はというと、自分の先祖がはたしてどの

          先祖とのつながりを想う

          『論語』過ちを認めることが身を救う

          これは有名なフレーズかもしれませんが、『論語』学而編第8章に、 「過ちては則ち改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」 という言葉があります。意味は改めて説明するまでもありませんが、「過ちをしたとき、それを改めるのを躊躇してはならない」ということですね。 この何の変哲もない言葉をなぜ取り上げるかと言いますと、第一に僕自身の経験と深く結びついているからです。加えて、処世上大事なことだと思うからです。 過ちを改めるためには、当然のことですが「自分が過ちをしてしまった」と認め

          『論語』過ちを認めることが身を救う

          『論語』学問で寛容な心を

          『論語』の学而編第8章に、「学べば則ち固ならず」という言葉があります。この「固」を「堅固」とする解釈もありますが、ここでは「頑固」とする解釈をとり、「学問をし、寛容な態度をとれるようになることが大事だ」と考えてみます。 人間、他人に流されないようになるには、まずは何かを学び、自分なりの価値観を作っていくことが大事です。ここがまず学問の第一段階でしょう。 私たちは、生まれてから、親や先生、また学校の教育、メディア等によってさまざまな情報・価値観に触れます。そして、知らず知らず

          『論語』学問で寛容な心を

          『論語』 学問=「知識の量」ではない

          今回は、『論語』学而編の第7章をみてみましょう。 そこには、孔子の弟子の子夏の言葉が記されています。 子夏曰わく、賢を賢として色に易(か)え、父母に事(つか)えて能(よ)くその力を竭(つく)し、君に事えて能く其の身を致し、朋友と交わるに言いて信有れば、未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わん、と。 意味としては、 「男性が女性の美しさを好むように賢者を尊び、力を尽くして父母に仕え、自己の身をかえりみずに君主に仕え、朋友と交わる時は、噓をつかずに信頼されるような

          『論語』 学問=「知識の量」ではない

          禅語6 無事是貴人(ぶじこれきにん) すべての人は、仏と同じ純粋な心をもともと備えている。だから、自分の外にあるものを求めなくていい。それよりも自分が本来持つ純粋な心を掘り起こしてほしい。 ここの「無事」とは、あれこれ取り計らわないことをいいます。自然体の心こそが「貴人」です

          禅語6 無事是貴人(ぶじこれきにん) すべての人は、仏と同じ純粋な心をもともと備えている。だから、自分の外にあるものを求めなくていい。それよりも自分が本来持つ純粋な心を掘り起こしてほしい。 ここの「無事」とは、あれこれ取り計らわないことをいいます。自然体の心こそが「貴人」です

          足ることを知る

          中国前漢の時代、劉向(りゅうきょう、前77~前6)という大学者が著した書に、『説苑(ぜいえん)』という書物があります。その中に、 「富は足ることを知るに在り」 という言葉があります。これは文字通りの意味で、「真の富は財宝のたぐいを得ることではない。満足するところを知ることである」というものです。 僕はこの言葉を読んだとき、すぐに京都龍安寺にある「知足の蹲(つくばい)」を思い出しました。これは、上の写真にもありますが、「吾れ唯だ足ることを知る」という言葉にふくまれる「吾・

          ブッダの教え9 もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思うものこそ「愚者」だと言われる。 (『ダンマパダ』第5章-63)

          ブッダの教え9 もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思うものこそ「愚者」だと言われる。 (『ダンマパダ』第5章-63)

          好きな言葉(『孟子』編4) 聖人と我とは類を同じくする者なり 「聖人」、すなわち人格が完全に優れている人は、人間離れしているようにみえる。けれど、もともと同じ人間なのだから、学べば誰だって聖人になれますよ、という教えです。 この考え方は、のちに朱子学に受け継がれます

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          好きな言葉(『孟子』編3) 迎合は畑仕事より疲れる

          この言葉の意味するところは、「ちぢこまってへつらいの笑いをすることは、猛暑の下で田畑を耕すよりもずっと疲れる」というものです。 この言葉、古典の言葉の中でもかなり納得できるというか、身をもって理解できるものではないでしょうか。この「猛暑の畑仕事より疲れる」という表現が何とも痛快じゃありませんか。 さて、誰しも本心から笑わなかった、相手の機嫌をとるために表情をつくった、という経験はあるでしょう。 そうした行為は決して悪ではないのですが、重大な決断をおこなう際に本心を隠したり

          好きな言葉(『孟子』編3) 迎合は畑仕事より疲れる

          儒学と僕9 民衆を大事に(節用愛人)

          今回は、『論語』学而編第5章を取り上げます。ここは、政治への心構えを記した箇所です。 今回の言葉 「千乗の国」とは、戦車千台を出せる土地のことを言い、諸侯の国を指します。つまりここでは、国を統治する方法を言っているのですね。ここの部分の意味は、 「千乗の国(=諸侯の国)を治めるには、自分の仕事に心を集中させ、ほかのものに心を乱さないようにする。そうして、民衆に対して信義を尽くす。政治にたずさわる人は民衆が支払った税金を用いて仕事をしているのだから、出費に節度をもたせ、浪

          儒学と僕9 民衆を大事に(節用愛人)