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本当の人情とは?(『十八史略』より)
日本でも古くから読まれた中国の歴史書で、確か明治天皇もご愛読された『十八史略』。これは、中国の歴史を神話の時代から、南宋の滅亡(1279年)までを述べた歴史書です。「略」とあるようにこれは『史記』や『漢書』などのもとからあった「正史」のダイジェスト版ということなのですが、それでも分量は多く、読むのには時間がかかります。
僕は、江戸時代の学者を研究している関係で、当時読まれていた古典は極力読んでおきたいと思い、『十八史略』も少しずつ読み進めています。
今回はそのなかから、個人的に好きなエピソードを紹介したいと思います。(おそらく中国史が好きな人は知っている人も多いかもしれません)
時は2000年ほど前、後漢の初代皇帝光武帝の時代のことです。
光武帝には、「湖陽公主」という姉がいました。ところが、彼女は夫に先立たれ、一人寂しく暮らしていました。そこで、再婚したいと考えたのですが、その相手として宋弘という人物に白羽の矢が立ちました。公主は、宋弘の人柄を、数ある家来の中で一番気に入っていたようです。
光武帝も、お姉ちゃんに協力しよう、ということになって、宋弘を呼び出し、姉を屏風の後ろに隠しておきました。もし宋弘が姉との結婚を承諾したら、すぐに2人を一緒にさせるつもりだったのでしょう。
ところが、宋弘には長年つれそった妻がいたようです。公主と結婚させるには、その妻に別れてもらわなくてはなりません。さすがに直接「今の妻と別れ、自分の姉と結婚してほしい」とは言いにくかったのでしょう、光武帝はそれを遠回しに言います。
「ことわざに、高貴な身分となれば交友を変え、裕福になれば妻を変えるという。これが人情というものではないか?」
つまり、宋弘に対して、「お前は昔に比べて出世したんだから、妻を変えてもいいんじゃない?」と言ったわけですね。
それに対して宋弘は迷わず言いました。
「貧乏な時の友を忘れてはなりません。糟糠(そうこう)の妻は家から追い出さないものです。」
「糟糠の妻」は故事成語にもなっていますが、「酒かすや米ぬかのような、粗末な食事を一緒に食べ、共に苦労を重ねてきた妻」ということで、その後いくら裕福になっても、そうやって共に貧しさを乗り越えてきた絆を忘れてはならない。いくら皇帝のためとはいえ、その絆を忘れるわけには行かない。それが本当の人情でしょう?と宋弘は暗に光武帝に反論したのですね。
これを聞いた皇帝もさすがに諦め、屏風の裏にいた姉に、「(宋弘と再婚するという)願いはかないそうにないな」と漏らしたといいます。
それにしても、皇帝という権力に屈せず、節操を曲げなかった宋弘、かっこいいと思いませんか。
思えば、人はお金や名誉を得てしまうとかつての苦労を忘れがちになってしまいます。そして、自分の今の幸福も全部自分の功績かのように思ってしまうこともあります。
宋弘はかつて赤眉の乱(漢王朝の転覆を狙った反乱)の勢力から逃れるため、川に身を投げ、その彼を家族が救ったというエピソードがあります。その後の光武帝のもとでは出世した宋弘ですが、このとき家族から受けた恩をきっと生涯忘れなかったのでしょう。
困難なときに助けてくれる人ほどまさに「真の宝」
そういう人から受けた恩を忘れないようにすることがどんな地位や富に勝りますよ、という2000年越しのメッセージです。