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95年の記憶、塩尻の銭湯「桑の湯」最後の物語 – 家族と地域に愛された場所の記録
塩尻の街で95年間、人々の疲れを癒し続けてきた銭湯『桑の湯』が、静かにその長い歴史に幕を下ろしました。
今回は、最後の瞬間まで、家族と地域の人々に温かく見守られ、愛され続けた銭湯の物語です。
たまたま目にしたインターネットのニュースで、塩尻の桑の湯が閉業することを知った。95年の歴史を持つ銭湯が、惜しまれつつも閉業するという内容で、その歴史は、僕を深く惹きつけるものだった。
桑の湯の始まりは、
女性おひとり様で、ストリップ劇場に行ってみた話。
7月初めのある日、私は浅草のストリップ劇場の前で立ち尽くしていた。
初めて受けた衝撃に放心状態になってしまい、会場から出てもうまく現実に戻れず、入り口に飾られた豪華なスタンド花を少し離れたところからしばらくぼうっと眺めてしまっていた。
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コピーライターの阿部広太郎さんが主催する、企画メシ2021。
第2回の講義はライター、編集者の九龍ジョーさんをゲストにお迎えして行われた。
九龍さんから
「あなたの作ったものは、コンテンツではないよ」
ほぼ日刊イトイ新聞さんが主催の、「ほぼ日の塾」に通っています。その中の課題で、「自分の好きなもの」というテーマでエッセイを書きなさい、というものがありました。
「あなたのエッセイは、ただの作文であってコンテンツでない。」
それが、私が書いたエッセイに対するほぼ日の方の評価でした(もちろん言い方は優しかったですが)。私は読んだりまとめたりするのは好きですが、書くのはそんなに得意でなく、今回のエッ
失敗まみれだった自分自身に
この文章は、パナソニックがnoteで開催する「 #あの失敗があったから 」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。
「失敗」という「事実」は、この世にひとつとして存在しないと思う。なぜなら失敗とは、「解釈」であるからだ。
たとえば就職活動で、一番行きたかった会社の面接に落ちたとする。
この「面接に落ちた」という事実を、失敗だと捉える人もいれば、それが運命だったと、すんなり
それで大丈夫だから、進め。 #社会人1年目の私へ
今もこうやって、まだ同じ会社で働いていることをあの頃の私が知ったら驚くだろうか。諦めかけていた「編集者になりたい」という道を、まだ道半ばだけれど今こうやって進んでいることをあの頃の私が知ったら、喜んでくれるだろうか。
社会人1年目の4月1日、私は東京のIT企業の入社式に出席していた。
出版社以外だったらそのIT企業に絶対行きたいと思えるほど大好きな企業だったし、最終的な進路を決めたときも、あれ
悔しい思いをしたときは
悔しいことがあって、昨日は朝から気分がすぐれなかった。
自分でもビックリするくらい元気になれなくて、これは梅雨のせいかなあ低気圧だしそういえば最近寝不足だし体調のせいもあるんだろうなあとかいろいろ考えてみたけれど、いつもなら原因を何か外部要因(体とか天気とか)に押し付けてしまえばケロっと直るはずの気分が、落ち込んだまま全然直ってくれなかった。
あ、これはどうやら本気で落ち込んでいるようだ、と気
いつだって、「できごと」より「考え」のほうが怖い
臆病なので、昔から意味もなく「怖い」と思うことがたくさんあった。
失敗することが怖かったし、ひとりぼっちになってしまうことも怖かった。時計の秒針が1秒ずつ時を刻むごとに「ああ、1秒ずつ死が近づいている!」と本気で考えこんでしまい眠れなかったこともある(今思うとヤバい)し、小学生や中学生の頃は、誰かに嫌われることが本当に怖くて、周りにいつも合わせるように生き、自分の意見をなかなか言い出せないような
世界は、思った以上に「欠けている」ことに寛容だ
大学生のころ、個人経営のこじんまりとしたカフェでアルバイトをしていた。京都の裏路地にある、ゆみこさんという美人なオーナーが経営している、とてもいいカフェだった。
ゆみこさんは私の20歳の誕生日に、『ぼくを探しに』という絵本をプレゼントしてくれた。
パックマンのような可愛い球体の「ぼく」は、自分には何かが欠けていて、だから毎日が楽しくないと思っている。そこで完璧な球体を目指そうと、自分の欠けたカ
おもしろさに平等でありたい
自分の心の琴線を、なるべくたくさん揺らしながら生きていたいなあ、と思っている。
「自分というフィルターを通して世界を見ること」は、誰もが平等に持つ「自分にしかできないこと」だと思うので、なるべくそのフィルターにたくさんのものを通しながら、ていねいに世界を映して生きていたい。
だから、人や、映画や、本や、音楽、お店、旅行、イベント、テクノロジー、社会現象。笑えるものや泣けるもの、感動するものや衝