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インドカレーと誕生日

誕生日に家でひとり夜ご飯を食べるのが嫌で、仕事帰りにインド料理屋に寄ることにする。最初に行った近所のカレー屋は、カレーセットが1400円。昼に900円で食べられるカレーに500円も多く払うのもな、と別のカレー屋へ。2件目は小さなビリヤニがついてセットで1800円。誕生日ディナーをケチった結果、400円多く払う羽目に。こんな時にかぎって、大してお腹も空いていないのだ。

しぶしぶビリヤニと2種のカレー、さらにナンがついたスペシャルセットを注文して待っていると、店員のお兄さんが「お姉さん、暗い顔してるね」と顔を覗き込んできた。暗い顔しているのか、私。誕生日なのに。と少し落ち込む。「お腹が空いてるからかな」と適当に答えると、お兄さんが厨房に向かって知らない言語を叫ぶ。多分、「はやく!」と言っているんだろう。せかしてしまったみたいで申し訳なくて、さらに深く落ち込む。この日の私は、いつも以上に繊細だ。

誕生日。

私はこの日を特別なものにするために、毎年必死になる。前日は家族が集まってお祝いをしてくれたし、週末には夫がキャンプに連れて行ってくれる。誕生日を祝ってくれる大切な人がいっぱいいると頭では分かっていても、どうしても当日に執着してしまう。

この日には何度でもおめでとうと言われたいし、誕生日という理由でプレゼントがほしい。道端に咲いてた綺麗な雑草でも、半分に割ったパンの大きい方でも、なんでもいい。この日を特別にしてくれる何かを必死で求めている。

実家に住んでいたころは、母が全力で誕生日を祝ってくれた。朝起きた瞬間から、おめでとう!と言われ、夜には必ずご馳走とホールケーキがあって、3つ子の兄弟と一緒にキャンドルを吹き消すのが恒例だった。

社会人になって一人暮らしを始めた1年目。福島県で新聞記者をしていた私は、はじめてひとりで誕生日を過ごした。

その日は高校ラグビーの予選の取材で、いわき市にいた。11月の福島は痛いほど寒い。雨に濡れて、泥だらけになりながら取材をし、寒さで震える手をホッカイロで温めながらパソコンに原稿を打ち込む。書くのが遅くて、最後の記事を入稿するころにはあたりは真っ暗。試合をしていた選手たちもとっくに家に帰って、巨大な駐車場には、私ひとりがぽつんと残った。

帰り道も、デスクから原稿の問い合わせの電話が鳴る。そのたびに車を止めて、電話を折り返し、原稿を確認する。スコアを間違えていたり、取材不足だったり。ダメダメな自分に泣きたくなる。そしてこんな日に限って、ガソリンが足りず、知らないまちで高速道路を降りて、真っ暗な道を彷徨う。

やっとのことで家の駐車場にたどりつく。靴下がじっとりと濡れていて気持ち悪い。すぐにでも脱ぎ捨ててベッドに入りたいけれど、このまま家に帰るわけにはいかない、と思った。ケーキを食べなきゃ。

近所のコンビニによりスイーツコーナーへ。いつも売っているはずのショートケーキがない。誕生日なのに、ケーキがない。プリンはたくさんあるのに、ケーキがない。寂しくて、悔しくて、プリンを食べながら車の中でわんわん泣いた。

あれから、7年。あの時の悲しみは、まだ私の心のどこかに残ったままだ。だから、私は自分で必死に自分の誕生日を祝う。お腹が空いていなくても、わざわざインド料理屋で高いカレーを食べるし、必ずケーキを買う。

私はあの日の自分のために、たくさんのおめでとうを送るのだ。

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