手放せない「学び」
みなさん、こんばんは。綺羅です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
テレビをはじめとするメディアは、九州豪雨の様子か、空気感染の話題で持ち切りであるため、意識的に見ないようにしています。
どちらも、現状を知る上では大切なことなのかもしれませんが、「自分に無理をさせてでも知るものでもない」とも思っていますので、自分の心身を満たしてあげてから、後で情報収集しようと考えています。
自分が動けるようになってから、動くつもりです。
みなさんは、普段「学ぶ」ことに興味はおありですか?
私は今秋から、また大学へ通う予定で、手続きや準備を進めています。
というのも、私は生きていく上で、どうやら「学ぶこと」を手放せないようなのです。
「常日頃、どこかで学べないか意識しています!!」
「学ぶことなんか、義務教育だけでマジ勘弁して欲しい・・・」
「そもそも、私には学ぶことなんてありません。」
色々な意見をお持ちでしょう。
この記事を見てくださっているあなたは、どうですか?
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私が「学び」が面白いと最初に思い始めたのは、小学校で実施されていた「チャレンジノート」という学習でした。
この「チャレンジノート」というのは、ジャンルの如何を問わず、自分が興味を持ったことについて調べ上げ、ノートにまとめるという学習です。
当時「チャレンジノート」に惹かれたのは、「ジャンルの如何を問わない」という部分でした。
国語の漢字の書き取りや、算数のドリルといった類いの学習は、ただ教科書やドリルを見て問題を解いていくだけなので、「何かオリジナル学習を自分でやってみたい!」と思っていた私には、退屈で暇で飽きるような勉強でした。
ですが「チャレンジノート」に関しては、
自分で学びたいことを選んで、自分が好きなだけ調べて学習する
という、「終わりなき学び」に、宇宙を思わせるような憧れを抱いたのだと思います。
この「チャレンジノート」学習は3年ほど続きましたが、いずれの年においても、ノートの冊数では学年の1、2を争っていました。
今から考えると、それほどまでに「自分の好きなものを学ぶ」ということに貪欲で、探究心があったと同時に「なりたい自分になれる」という思いが強かったのかもしれません。
「学ぶこと」を再認識して惚れ込んだのは、大学生の時です。
中学校・高校では、国があらかじめ定めた教科を、決められただけの量を勉強した日々でした。
そんな日々を送っていたからか
「学ぶこと」は「他人に好かれるために学ばなくてはならないもの」
と、思っていたのです。
ところが、大学は私の想像を遙かに上回るかのように「学ぶこと」を提案してきてくれたのです。
私の大学は、珍しいシステムというのか、学籍番号によって「担任制度」がありました。
ちなみにここでいう担任の先生は、「学ぶことについて相談に乗ってくれる大人」でした。
私は英語を扱う学科にいたので、英語の聞く・読む・話す・書くについては必須教科ですが、それ以外に何を学ぶかは「個人の自由」でした。
「英語圏の文化について学びたいんですけど・・・」と担任の先生に相談したとき、時間割冊子を取り出して、おすすめの科目を紹介してくれました。
ちなみに私の場合で、おすすめしてくださった学習内容は、
英語圏のコミュニケーション、日米の文化の比較、世界から見た日本、言葉、空間、(必要に応じて)心理学etc・・・
でした。
ここでも、担任の先生の最終的なアドバイスは、
「自分の好きな科目から学んでいくことが大切ですよ。どう学んでいくかは、綺羅さんが決めることですからね。」
ということでした。
幼い日の私が夢見た「ジャンルの如何を問わない学習」が目の前に差し出されたのです。
どこかの知らない誰かのために学ぶのではなく、自分自身のために学んでいけることが、大きな喜びでした。
この一言で、私の「向学心」や「探究心」に火が付き、今現在も、この言葉に支えられて「学ぶこと」を深く楽しくできています。
私がみなさんのnoteを見て、自分で学んでいるのも、自分自身のためにやっていることなのです。
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実生活で生きていく上での「最低限の学び」は必要かもしれないですが、自分を満たすためには「自分が知りたい!やってみたい!と思う学び」でないと、満たすことができません。
自分がやりたくもない・嫌いなことを学んだところで、教科単体の問題ではなく、「学ぶこと」自体が、嫌悪、拒否反応の対象になりうるのです。
それを「勉強できる環境にいるんだから、つべこべいわずに精進しろ!」とか「それは教育制度上仕方のないことだから、やらないと仕方がないんだよ。」とか「気持ちの問題でしょ。」と片付けられる問題ではありません。
私たちは、日本が掲げる「理想」になるために、生きているわけではないのです。
どんなことからでも、自分が「好きだ!!」と思えるものから、意識せずとも学べます。
ゲームが好きな人は、ゲームから色々なことを学べるでしょうし、旅行が好きな人は、旅行から様々なことを学ばれます。
その感覚は「学べる」というよりは「知らないうちに学んでいる」状態という表現が近いと思います。
「知らないうちに学んでいる」からこそ、「学ぶこと」に飽きないのだと、思うのです。
自分の好きなもので、尊敬するもので、憧れるもので、私は生涯学び続けたいと思っています。
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トップ画像は Noriaki Kawanishi / DMM様 からお借りしました。
ありがとうございました!
みなさんからの、スキやコメントやフォローで、知らないうちに楽しく学べています。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!
それでは、今日はここまでです。
みなさん、いい学びの機会を!