父の四十九日が終わり、 骨壷が寺から墓へと移された。 寒がりだった父に編んで 渡せないままでいた 黒いマフラーを真っ白な骨つぼに巻いた。 「これで寒くないね。」 墓の下の冷たい石の扉をゆっくりと閉める音が 静かな森の中でゴゴゴーっと鳴り響く。 桜が散り始めたころマフラーを抜き取ると… 「ぎゃぁああ!!」 しっかり巻きついたヘビの抜け殻が。 父はヘビが大大大キライ。 若い頃勤めていた長距離トラック会社の同僚に イタズラでおもちゃのゴムヘビを 顔に向けて投げられたあと
「明日があるさ明日がある♪」 キッチンで両手に持ちきれない程の缶ビールを 冷蔵庫から取り出す。 当初流行っていた名曲を口ずさみながら 通夜に駆けつける来賓客を気丈にもてなす女。 3ヶ月前にめでたく父の妻となった女は アタシたち姉妹に何の相談も無く 司法解剖をしなくて良いと医師に告げた。 「なんで勝手に決めたと!?」アタシの問いに 女は連絡先がわからなかったと答えた。 や、亡くなったのはちゃんと連絡きたし! 「動転していたし、これまで手術ばかりだった彼の体をこれ以上キ
月をまたぐ前夜。 決まってコタツの上に小さくカットされたアルミホイルが並んでる。 ひとつまみの塩をそれで百個近く包んでいる母。 それをタバコケースの外側に入れていたタツオさんのトラックが警察から止められ取り締まりを受けた。 「なるほどお清め塩かぁ、ご安全に。」 警察はすぐに解放してくれた。 タツオさんとアタシは、以前社員が覚醒剤所持で逮捕されたとき他の社員の身の潔白を証明する為に全員行った検査に2人だけが引っかかってしまった。 タツオさんは常備薬から。 アタシは昨夜飲ん
「こんな味噌汁が食えるかぁあああ!」 土曜ワイド劇場も終盤に差し掛かった頃、 隣の部屋で ちゃぶ台をひっくり返す昭和ドラマの生ライブ。 「そろそろコンビニも弁当屋も閉まる時間。」 姉が呟いた。 喉を焼くほどの激アツ味噌汁を好む父は、 何度求めてもソレに応えてくれない妻の自分への愛の深さを「弁当100個」で測り知ろうとしている。 車の後部座席に素早く乗り込む娘たちを背に 弁当屋からコンビニ、隣町のスーパーまで片っ端から車を走らせた。 100個揃えたところで数日間は母へ
「キミがラッキーなら川の水が一面に凍って靴のままスケートであの風車まで行けるよ!」と満面の笑みで伝えてきた大家さん。 毎日悪夢のような曇り空で培ったオランダ人のそんな明るさははアタシの幼少期と少し似ているかも。 海外で働いてみたかった私は4年間スペインで暮らし、コロナ禍のパンデミックで本帰国後しばらく日本にいたけどやっぱり海外でまたチャレンジしたくなりオランダでフリーランスとして暮らし始めた。 しかしここは悪夢のような天気! 晴天続きのマドリードでは気づかんかったけど 太陽
「書くことで解放される。とにかく思いのままに書き綴るのが大切」私が大切に思う人が、いつも悲しんでいる。喜びさえも悲しむ癖。自身を過小評価し過ぎて時には理由もわからず深い海にひとり沈んでいこうとする。そんな自己肯定感が低く苦しむ人に勧められているのが『エクスプレッシブライティング』。自分の感情を思いのままに自由に書き連ねる。それが自分と向き合い、苦しみを解き放つ方法だという。そういえば、私自身も書くことでずいぶん前向きに自分の過去を受け止めてきたなぁ。「トラウマ」からもいつの間
「ハイ、またそこもう一度撮り直します。博多弁丸出し過ぎですね。お願いしマース。」あっさりめな淡々とした口調で番組進行を取り締まる若い女性ディレクターの指示を受け、週にたった1度のアタシの番組はいつも録音でこうやって作られていた。 当時の彼氏と遊びで受けたFMラジオDJオーディション。 千人近い応募があった中、何故か合格。 人生てわからんもんやね。 本気でなりたかった歌手のオーディションは100回以上かすりもせんやったのに。 イントネーションにもだいぶ苦労したけど、ただでさえ
「勘当だ!出ていけ〜!」 ヤッター!!!! 追い回されて逃げ回って生きていた頃とは全く違うこれまでに味わったことのない解放感だった。 母が心配して時々様子を見に来た。何しろカギを閉めていたって簡単にこじ開けられそうな薄っぺらいベニヤ板で出来た玄関の扉。 食べ終わったかまぼこ板に「タケシ」という名で名字のあとにマジックで書いて玄関に張り付けていた。それを見た母は「なんね?誰ねタケシって。」 アタシは男友達からいらなくなったオトコもののトランクスをいただきベランダに常時干し、
「このシケじゃあ、今日は船は出らんね。」まだ空と海の色の見分けもつかないぐらいの明け方。極寒の海辺のテトラポット沿いを、冷たいってもんじゃないナイフのような向かい風を顔面にもろに受けながら先輩のオジサンたちの後についていく。 普段なら絶対に買わないであろう鮮やかなブルーの目出し帽。今はこれが本当にありがたい。だってこれがないとアタシの耳はちぎれるばい!目も開けられないほどの強風のこの日。 現場まで五分で到着できる船は今日は出せない。 歩くこと30分。 ここは今で言う香椎パーク
「先生!アンタ男の子って言うたやないか!!」幼い姉と父は母に出会い、そしてアタシが生まれた。昭和四十六年、寒空の夜明け前。 父は母の妊娠がわかった時「女の子ならおろせ。」と言ったそう。 母は、このことをアタシがもし知ったらショックを受けると思ったらしく、最近まで黙ってた。 正直さほど驚かなかったのは 母がいつも穏やかで優しくて子供たちのために辛抱強く耐えている強い愛情を心底感じてきたからだと思う。 姉も彼女の愛情をしっかり感じてきたと思う。 姉が可愛くてたまらずに父と結
再再婚した両親の穏やかな暮らしがスタート。 新築のビルと同じ敷地内にある生まれ育った一軒家で、アタシは姉夫婦と小さな甥っ子と四人で暮らしていた。ご飯どきになるとアタシは両親の方でお風呂も済ませ夕食を共にしていた。 父も母も音楽が大好きで、飲食店でもないのに部屋に有線放送までひいていた。 二人でニューオリンズへ足を運ぶほど共通して好きなジャズを流しては、お気に入りのスコッチウイスキーをあけて飲んだりしていた。 父があまりにも長く呑んでいると、アタシが有線放送のホタルのひかり
「ライオンが来たぞぉー!逃げろー!」 高校生だったアタシはマジで逃げろうとした。 二階から降りてきた姉が父の部屋へ見に行こうとしてるのに気づいたアタシも、恐る恐る後からついていく。 和室の戸を開けると、そこにいた父の目はまるで別人やった。 別の日には「おやすみなさい」と言いにいくと、父から「アンタなんでこんな遅くまでおるとね、はよ自分の家に帰んなさい。」と真顔で言われた。 このとき父は五十才手前。「年齢とともに丸くなるからもう少し辛抱しぃ。」父側の親戚は簡単に言うけ
土木を始める前。父のススメで母はスナックをオープンさせた。 その頃アタシはまだ生まれてなかったけど、何度もその話を聞かされてきたのでまるで見てきたかのようにその情景が目に浮かんでしまう。 営業中、店の奥の小部屋で父は幼い姉とそこで過ごしてたんだとか。 母をお目当てにやって来る客は当然何も知らずにやってくる。 初めのうちは静かにテレビを観たり絵をかいたりして時間を費やす奥の二人。 そのうちいきなり小部屋からズドン!と出てきては客に怒鳴りつける父に客は腰を抜かす。 挙句
「姉ちゃんが倒れた。」母からのラインで仕事先から急いで救急病院へ。前回アタシの五つ離れた腹違いの姉のことにチラッと触れたけど、そんな姉は今「永久気管孔」っていう首のまえのとこに穴をあけて呼吸をし、鼻から管を入れてバナナ味やコーヒー味などの液状の食事で栄養を保持しています。話もできないし、目もうつろでこちらの話が聞こえているのかもわからない状態。2016年が終わるころ。この日トラック協会の忘年会に出席していた姉は女子トイレで倒れていたのを約一時間後に発見された。 宴会の間スマ
アタシはピンクレディーになれないと気づいたのは中学になって聖子ちゃんが出てきた頃から。 髪型もマネてみたけど現実的にほど遠い。 そんな時転校生のさとちゃんに出会った。彼女は有名なタレント事務所に所属するアイドルの卵。 そんな人が太宰府におると!? ブリブリのフリルでテロテロのピンク色の傘をさして聖子ちゃんヘアーが悔しい程よくお似合い。 どこに売ってるんやろうあんな傘… アタシとさとちゃんは偶然近所で約三年一緒に通学する仲になりいまも仲良し。 恋の話はもちろんアイドル
「好きなことを仕事にするな。」 そう教えてきた父は五つ上の姉よりなぜか 私に特に厳しかった。 高校になっても門限18時。 部活もダメだったので中学も高校も帰宅部。 服装にも厳しかった。 将来は父の建設会社の後継者として 姉妹は2人とも養子をとって結婚するようにと 幼い頃から刷り込まれていた。 つまんねー人生ぇー!! ゼッタイにココから逃げ出してやる!! でもそんなことより 母への暴力を見ているのが辛かった。 包丁を振り回している父を何度も見てきたので 切れモノをみるのが