蛇オンナ。
「姉ちゃんが倒れた。」母からのラインで仕事先から急いで救急病院へ。前回アタシの五つ離れた腹違いの姉のことにチラッと触れたけど、そんな姉は今「永久気管孔」っていう首のまえのとこに穴をあけて呼吸をし、鼻から管を入れてバナナ味やコーヒー味などの液状の食事で栄養を保持しています。話もできないし、目もうつろでこちらの話が聞こえているのかもわからない状態。2016年が終わるころ。この日トラック協会の忘年会に出席していた姉は女子トイレで倒れていたのを約一時間後に発見された。
宴会の間スマホを片手に何度もトイレに出入りしていたので、協会のみんなは姉がてっきり電話が長引いてるのだと思ってたそう。医者からは脳の細かい血管が切れたのが原因だろうと聞かされた。十八年前、父が亡くなった後の土木会社は姉が受け継いでいた。
正確には当初一年は、父の旧友が代表だった。
遺言にその旧友に頼むと遺されていたから。
ゼネコン大手の役員だったそのおじさんは、子供のころから家族ぐるみで仲良くて幼いころからそこの兄妹とよく遊んでいた。
「オレが死んだらウチの会社はアンタに頼む。」
そのおじさんは父の遺言通り会社をすぐに引き継いでくれた。
司法書士の先生と財産分与の話や会社の今後を、父の愛人を交えて話し合った時も、そのおじさんは中心となってまとめてくれた。
父が亡くなる三か月前に籍を入れ妻として喪主をつとめていた女は当時アタシと同じ二十九才。
喪服姿の女は参列者に妻として挨拶をする。
半年ぶりに実家にかけつけた時にそれを知らされた姉妹はただただ呆然としていた。
父の強い指示でアタシが土木作業員としてユンボに乗ってた19才だった頃、
女は雑餉隈駅の近くのスナックでアルバイトをしていた。
ある日父の誘いでそのスナックに連れてかれたアタシは女との関係を全く気づきもせずカラオケを熱唱していた。小さなころから身寄りがなく、長崎から出てきて福岡の短大に通いながらスナックでアルバイトをしていているのだそう。
きっと苦労人なんだなぁ…
同い年だし仲良くしようかな。
しかし彼女の闇の深さはこの時のアタシには
全く想像出来なかった。
蛇は気づかれないように忍び寄っていた。
10年かけてゆっくり飲み込んでいった。
その執念の根深さを改めて思い知らされた財産分与の話し合いの日。
「どれがいいね?」雑誌の通販カタログでもみるように会社の代表であるおじさんと司法書士の先生はその女と姉妹にその場で土地を選ばせた。
「この家だけは譲れません」
アタシの発言に姉も頷いてくれた。
そのおじさんはその翌年首を吊って自殺した。
会社の土捨て場に使っていた山の中で。皮肉にも発見者は早朝犬の散歩をしていた数年前にウチの会社をリストラされたおいちゃんやった。
そのおいちゃんも子どもの頃からおった人。
大型トレーラーを転がしたら痺れるほどのハンドル捌き。小指がなかろうが全身もんちゃんだろうがみんなただの優しいおいちゃんたちやった。
そんなおいちゃん達の染みついた錆止めのグリスのにおいが今でも懐かしい。