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キッカケ。

「書くことで解放される。とにかく思いのままに書き綴るのが大切」私が大切に思う人が、いつも悲しんでいる。喜びさえも悲しむ癖。自身を過小評価し過ぎて時には理由もわからず深い海にひとり沈んでいこうとする。そんな自己肯定感が低く苦しむ人に勧められているのが『エクスプレッシブライティング』。自分の感情を思いのままに自由に書き連ねる。それが自分と向き合い、苦しみを解き放つ方法だという。そういえば、私自身も書くことでずいぶん前向きに自分の過去を受け止めてきたなぁ。「トラウマ」からもいつの間にか抜けられとったし。

私のトラウマは包丁。

父が包丁を振り回して暴れていたから。
母親を追い回し。姉の腕を刺した包丁。

でも今私はその包丁で生計を立てている。
が、実はいまでも良く研がれている包丁を今にも落ちそうな場所にあると異常に落ち着かないから、自分が落ち着ける場所に置いている。
前編も書いてたけど
私は25年前ひょんなことがキッカケで居酒屋を経営してみることにした。次第に料理への興味が湧き知らず知らずどんどんのめり込んでいった。お客さんとの会話のやりとり、1日の終わりにウチを選んで寄ってくれるありがたみ感じたり、良いことも嫌なこともバランス良く日々の積み重ねで成長できたと思う。てなわけで、トラウマって自分が気づかないうちに慣れてきて消えてくれたのかもって今になって思うところ。

何がキッカケになるか、誰と繋がってこんな私がいるのか。失敗もハッピーも大きな落胆もトラウマになるほどの恐怖も、そしてそれにまつわる人やコトとの巡り合わせ。全ては今の自分のヒストリー。こんな事もうとっくに気づいてるって人がほとんどやろうけど、書くことで再確認したい。
「それらが無ければ今の私はない。」
いまいる目の前の彼らとの出逢いも恐らくないだろう。
また書くキッカケを蘇らせてもらえて感謝。

元々『堀アンナ』で書き始めたのは
父が亡くなる3ヶ月前に結婚した、愛人への疑念がキッカケ。
父の死にいまも疑問が残るまんまで 喪主をつとめ3回忌を迎えるまでの彼女の怪しい行動をここに残すつもりで書き始めた。
執着しても仕方ない、と思うも
和歌山のおじさんが若い嫁に殺されたニュース。
サスペンスをみるとまた蘇る。警察にも何度も出向いたけど結局何も解決出来ずにいた。
執着はアタシの性に合わないけど、
書かずに後悔するより書いて後悔はないと思うので父と女への疑問を洗いざらい書いて終わりにしようと思う。

でもこうやって自分の幼少期を書いてるうちに日曜劇場のポリアンナ物語が大好きだった幼い私に寄り添うことができた。
今思い出してもツラくなるけど。
今のアタシを生んでくれたどれも外せない経験。

家庭環境はどうがんばっても変わらんてことに気づいてしまって、そんなこと振り払って楽しく生きなきゃ!っていつの間にか弱さも武器に前向きに自己コントロールする能力を身につけていった。

父が亡くなってちょうど20年。
あともう少しで私も父と同い年だ。
亡くなったあと父を思いお越して涙を流す…なんてことがあまりないのは父には申し訳ないけど事実で…

きっと孤独だったんだろうなぁと哀れに思うことはあっても、彼が天国に行ったとは思えない。
外では優しい男性やったみたいやけどね。
家の中ではその弱さと恐れが剥き出しで思い出すのは狂気の顔ばかり。

今思えば家族として彼を救ってあげるべきだったのかもしれないけど、包丁を振り回しガラス瓶で母親を殴り日々暴れ狂う父の精神状態を優先的に考えるそんな余裕はなかった。

ただひとつお礼を言うとしたら
今の私があるのはお父さんのおかげです。
ありがとう、お父さん。

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