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人生はジェットコースター。

再再婚した両親の穏やかな暮らしがスタート。
新築のビルと同じ敷地内にある生まれ育った一軒家で、アタシは姉夫婦と小さな甥っ子と四人で暮らしていた。ご飯どきになるとアタシは両親の方でお風呂も済ませ夕食を共にしていた。

父も母も音楽が大好きで、飲食店でもないのに部屋に有線放送までひいていた。
二人でニューオリンズへ足を運ぶほど共通して好きなジャズを流しては、お気に入りのスコッチウイスキーをあけて飲んだりしていた。

父があまりにも長く呑んでいると、アタシが有線放送のホタルのひかりにチャンネルを合わせて「本日のご来店、誠にありがとうございました。」と言うと「まだ帰らんぞ~。」とふざけてテーブルを両手で抱きしめるお茶目な父を見て母と大笑いしたのも数少ない楽しい思い出。

大好きなサウナも座敷のらん間や庭園も、こだわりぬいて職人さんにお願いした父の自慢だった。
以前にも増して客人を招く機会が多くなり

「おーい。天神のイムズに島村楽器てあるけん、そこでギターのミニアンプば買うてきてくれんか。」
アタシはその必要性を疑いつつも、友達を呼んではジャイアンのようにとても気持ちよさそうに歌っていた父を微笑ましく見ていた。

「今日は水炊きにしてくれんね。」父が母にそう言うときは決まって家族の誰かが
隣り町の地鶏屋さんまで買いに行く。

その日は姉が行くことになってアタシもついていった。店の裏庭で駆け回る地鶏さんたちを横目に静かな店内へ。
「すみませーん」誰も店頭に立っていなかったので姉が暖簾の向こうへ呼びかけてみた。奥からおばちゃんが出てきて「あー!そうやったそうやった!ごめんね、ちょっと待っとって!」完全に忘れてたっぽいな。数分後「コケェエエエーーーーー!!!」

しばらくして会計も済ませて袋に入った鶏肉を受け取った姉は「ゲッ…」と言ってアタシに渡す。受け取ったその袋はまだナマ温かかった。

その日の水炊きは遠慮させてもらった。
「よーし今夜はバランタイン30年ば開けよう!」

母は料理や接客で何かと気忙しいから大変そうだけど、アタシは昔からお客さんがこうやって来ると父がご機嫌だから誰かがウチに来るのって安心で嬉しかった。
父は本当に友達が多かったんやなぁと葬式のとき知らない人も多くて改めて驚かされた。「友達は財産だ。大切にしろよ。」そう言っていた父だけど、実際は門限6時だしお泊まりもダメ。
一般的な女子がやる友達関係は難しかった。
アタシが中学のころまでは家の固定電話は事務所の会社と兼用だったので
コイバナもなかなか難しかった。
もちろんスマホとかない時代。

ある朝学校に行くと、友達が血相変えて駆け寄ってきた。「よかったー!!生きてたんやね!」アタシを見るなり半べそ状態のさとちゃん。「どうしたと??」

「娘は死んだばい。いま通夜。明日はお葬式やけん、アンタも来てね。」

そう言って電話を切った父。
友達は「うそでしょ!?冗談ですよね!?」とも言い切れずそのまま一夜を過ごしたそうな…。

一回死んだアタシを翌日見たさとちゃんはそらぁ驚くよね。さとちゃんのお父さんはお菓子メーカーに勤める穏やかで優しいパパ。そんなパパに育てられた心もまっすぐなさとちゃんに平気であんな度が過ぎたデマを吹きこみショックを与えやがって…。しかもそのまま電話を切るとかありえん。なんであんなこと言ったのかと問うと、「仕事の電話よりお前への電話ばかりで腹が立った!」と言われた。

幸いさとちゃんは今でも仲良しでいてくれてるけど、当時はウチの中から親父の怒鳴り声がしょっちゅう近所の人たちに聞こえていたからか、ご近所さんと子供たちの態度がなんか違うのをわかりやすいほど感じていた。

顔を見ただけで泣く子もいた。

近所では「コラッ!いうこと聞かんならアノおじさんに来てもらうよ!」とか、近所で不審者が出たときなんかも何故かご近所さんたちで揃ってウチに来て「もしなんかあったときは、どうか見に来てもらえませんか?よろしくお願いします。」って言われた。
おばさんたちが帰ったあと姉が「用心棒代もらわないかんね。」と言った。

小学生の頃からずっと仲良しだったお寿司屋さんの娘さんともある事件をきっかけに疎遠に。
寿司が来るのが遅い!と親父があり得ないほど彼女のお母さんに激怒し、玄関にいるそのおばちゃんにガラス製のずっしり重い灰皿を投げつけようとした。

それはアタシが初めて海外旅行をした母とのシンガポール旅行から帰った晩のこと。

久々の日本食として寿司を。
父が気を利かせたつもりで
注文していたのだった。

一時間以上待たされ、それも「今出ましたよ。」と言われてから待たされると、人は実際よりもすごく長い時間待たされた感があるものだ。
「一時間ほど待ちますがよろしいでしょうか。」と言われて待つのとは感覚が違うから父の気持ちはわかる。
でもその行き過ぎた行動は、
これだけでは収まらなかった。

この寿司が遅かった事件から、飛び火して今から起こることを寿司屋の女将さんも想像がつくまい。

「西日本新聞の人間を三人殺す。」

そして父は、その前にバリカンで頭を五厘にするため自慢のパンチパーマを勢いよく刈りだした。「シューーイン。シュー…イン。ん??」なんとあり得ないことにバリカンが途中で動かなくなってしまった。

「カミソリ持ってこーい!!」刈りかけた頭を今度はカミソリで剃りだした。

頭からタラタラと血を流しながら、そのあと怒りの矛先はバリカンのHITACHIへと向けられた。
「西日本新聞の奴らを殺そうとして今から腹決めてオレが五厘に‥」いやいやそんな説明されても電話口のHITACHIさんもどう対応したらいいかわからんやろ…。

父の怒りはだいたい連鎖型だった。

そんな風で何がキッカケで事件になるのかいつも予測不可能だったので、子どもの頃すでに
人生のほとんどは計画通りにはいかないんだって思っていた。

というわけで今アタシはコロナという初めて耳にする脅威により、急きょスペインから日本へ。
またも予測不可能なことが!
さっきまでこの春から高校生の息子だけ本帰国の予定で卒業式、涙で別れのメッセージを読み上げてくれたその息子の隣に何故か座っている機内のアタシ。
「ねぇ、母ちゃん、アノ涙かえして〜」
その後マドリードは封鎖。

人生はジェットコースター。

でもね、母とまた再婚した父が笑って穏やかな表情を見せてくれた時の今まで味わえなかったなんとも幸せな瞬間は、
何年も何年もかけて、
幾度も家族で一緒に乗り越えてきた苦しみがあったらからこそ味わえた幸福感。

「年を重ねれば親父さんも丸くなるよ~。」なんて周りの大人に言われてきたことが、ついにやって来たんかもな。この時はそう信じていた。

でもそれは結局親父が死ぬまで、いや死んでも終わらないジェットコースターだった。



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