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真っ赤に染まった作業服。

「このシケじゃあ、今日は船は出らんね。」まだ空と海の色の見分けもつかないぐらいの明け方。極寒の海辺のテトラポット沿いを、冷たいってもんじゃないナイフのような向かい風を顔面にもろに受けながら先輩のオジサンたちの後についていく。
普段なら絶対に買わないであろう鮮やかなブルーの目出し帽。今はこれが本当にありがたい。だってこれがないとアタシの耳はちぎれるばい!目も開けられないほどの強風のこの日。
現場まで五分で到着できる船は今日は出せない。
歩くこと30分。
ここは今で言う香椎パークポート。
24時間稼働している博多港の国際物流拠点。父の会社へ入社後すぐ、アタシはパワーショベルやブルドーザーを操縦するため重機車輛建設機械の免許を取ることに。「まずは現場から覚えろ。」そう父に言われ、始めは山の現場でベテランの運転手さんが操縦する後ろに座って毎日操縦法を教わった。単独で任されるようになって数か月が経つと次は海の埋め立て工事に変わった。潮風にあたりながら仕事ができるこのロケーションは朝の船さえ出てくれれば最高の現場だった。朝六時に家を出て現場に着くのが七時半。現場によっては到着後ラジオ体操を全員で行う。「ほれ、うまいけん食べてごらん。」お昼は掘っ立て小屋のような小さなプレハブのストーブの上で焼いたアジの干物。

「なんでこんなに美味しいと?」それからアタシはこの干物が楽しみになった。
そしてこの寒い現場の昼食の醍醐味はなんといっても『カップラーメン』。この日は船着場の手前にあるコンビニで『男の特大カップ麺!』発見。
土木業界にズキュンのネーミングに見事に魅了され即購入。

昼食を食べ終えたおじさんがあぐらをかいて、アタシの前で九スポを両面広げて読んでいた。‥とそこへ見覚えのある顔が飛び込んできた。

表紙の一面にドッカーン!『ミス九州!!」美しきその少女はアタシと三年間中学で共に勉学に励んだ同じクラスのゆきちゃん。

「わあ。。。」ヘルメットの型がくっきりついたショートカットのアタシは作業着でハフハフ言わせながらカップ麺食べてる。鏡もないのにハッキリとそんな自分が見えた。彼女の世界ってどんなんやろう‥アタシも驚いてるけどゆきちゃんも今のこのアタシの姿見たら驚くやろうなぁ‥。

現場にはアタシと同じパワーショベルの運転手があと二人いて、そのほかに作業員のおじさんが一人いた。おじさんは作業員あっせん業社から来た「まっちゃん」。もうたぶんこの世におらんと思う。この時いくつぐらいやったのか知らんけど、おじさんというよりおじいちゃんやったな。
毎日赤ら顔で彼の血中アルコール濃度は常に基準値を超えていたと思う。
当時は飲酒運転に今ほど厳しくはなかった。「まっちゃん!右手の指の間が裂けとうやん!どうしたと?大丈夫??」アタシがそう聞くと「こげなもんは、焼酎飲んどきゃ〜どげんもなかと。あははは!」歯抜けやったまっちゃんの満面の笑みが今でも蘇る。

現場のメンバーはそう滅多に変わらないけど、馴れ合いでつい不注意になったり事故を未然に防ぐために3か月おきに別の現場に変わることもある。このときの現場のおじさん二人がとにかく仲悪くて面倒くさかったー。

喧嘩が始まるとアタシとまっちゃんとで止めに入ることもしばしば。「えっ!また??」聞けば片方のおじさんオペレーターがもうひとりのおじさんオペレーターの指示を無視をしただのどうの。この日は日頃ため込んでた分いつもよりさらに激しい言い争いに。「オモテに出んね!」朝から晩まで恋の話もせずおじさんに囲まれながら、唯一楽しみにしている昼食タイムなのに‥突如ファイティング勃発!

ここは船やないと誰も来ない孤立した世界。
オイオイちょっと待って〜。もちろん今みたいにスマホなんてないので、アタシは無線を使って20キロほど離れた事務所に通報。暴言を吐き散らしあうも殴り合いにはならずにホッとした。
こんな感じで男社会に三年もおれば大きな便りだって自分で機械で穴を掘ってトイレ作って済ますことも覚えた。

当時土木業界に若い女性は珍しかったのでやたらチヤホヤされてたけど、現場にまだ簡易トイレとかもそんなになかった。
山で積み込み作業の日。ユンボに乗ったアタシはトラックが来ては土を掘り起こし積み、また別のトラックが来ては積みこむ。この繰り返しを何時間も繰り返していた。「さあて休憩にしようか!」と現場監督のおじさんに言われ、ユンボから降りてきたアタシを見るや否や「ぎゃあああああ!!アンタそれどげんしたとねソレ!」

騒然としたその現場は大手ゼネコンの下請けだったのでゼネコン会社の事務員のおねえさんも現場事務所にいた。「大丈夫!?着替え持ってきてあげるからここにいて。」

それからすぐに簡易トイレを現場に設置してくれた。「もうすぐ生理やなかったか?」とセクハラではなく真顔でおじさんたちに心配されるのが日課に。

そんな社会にも慣れ親しんできたアタシは会社を首にされた。

この日は朝からずっと雨だったので、現場の柔らかい土をまとったトラックのタイヤがそのまま一般道路を走るため、道々が泥だらけになりご近所さんから苦情が出ていた。急いで散水車で水を撒いて回るように社長に言われた。通常雨の日は現場が中止になるんやけど、この日は運搬用のトラックだけ走らせていた。ご近所さんの苦情によっては現場が完全に動けなくなることもあって、会社も大損害なので、とにかく急いで水をまき道を綺麗にする必要があった。雨脚は強くなる一方で、アタシは散水車のタンクに何度も何度も水を汲み上げに行き、汲み上げたその水をまきながら道を走るのを繰り返し行った。その四トン散水車は古い車種で、パワステではなくとにかく重いハンドルだったのでアタシは勝手に「オモステ」と呼んでいた。
タンクに水を入れてない時でさえも、右折するにも体ごと使ってハンドル操作しなくてはならない程だった。しかもオートマじゃなかったし‥。

池に大きなホースを投げて吸水するのも力仕事で繰り返しの作業だったせいもあり、アタシの腕はなんだか自分の腕やないみたいにフワフワして力がもう入らなくなってしまっていた。アタシは無線で応援を頼もうと「事務所、応答願います。」と問いかけた。

「最後まで自分でやってください。」
その声は父の声だった。

「もうできません!社長!あなたがやってください!」親への甘えを抑えることは出来なかった。

ほかの社員の手前、おまえを娘として特別扱いすることはできない。むしろ厳しくするつもり。出社するときも他の従業員よりも早く出勤すること。帰りも他のみんなが帰るまでおまえは事務所から一歩も出るな。」これが入社したときの約束ごとだった。

海から歩いて五分。二万円の木造アパートでの独り暮らし。早朝波乗りをして、花屋の配達のアルバイト。やっと自由を手にした。


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