マガジンのカバー画像

文学片

8
運営しているクリエイター

記事一覧

ストライプ

ストライプ

彼女はストライプの織物を羽織って踊っている。
永遠に交わることのない二本が、不器用な身振りによって交わる姿のうちに、僕は恋を覚えた。

こんな小説の断片みたいなフレーズが浮遊してきた。
映像を引き連れて遊びに来た。

ここでちょっと勘付いたのだが、私は小説を読む時、その世界の曖昧な映像を脳内に投写しているのではないか?

というか、人は物語を読む時、その映像をイメージするのではないか?

断定的に

もっとみる
さて、これからどうしようか?

さて、これからどうしようか?

「小説家になりたい」と思っている人は小説家には向いてない。

というのも、小説家は
「生きるために書く」のではなく、
「書くために生きる」のでなければならないからである。

それは求めるべきものにあらず、寧ろ、その仕事以外では生きていけず、また、書くこと以外で自分の尊厳を見いだされぬうちに、必然的に向うべきものである。

物書きでも何でもない私がこのような意を述べるのは、筋違いも甚だしいところだが

もっとみる
分かりやすさとかクソ喰らえ!!

分かりやすさとかクソ喰らえ!!

私の文章は、月に2度、3度、規模の大きな書店や図書館、古書店に出掛けては、2時間も3時間もかけて店内を周遊し、お気に入りを掘り出して喜ぶような趣味の人には面白いのではないかと思う。

というか、そういう人を愉しませたいと思って書いている。

“そういう人”とは、私のことなのだが。

簡単に換言してしまえば、自己満足と言うに過ぎない。

私は読みにくい文章が好きである。

何度も読み返しては徐々に意

もっとみる
「自殺=生への執着の断ち切り」と捉えてみる

「自殺=生への執着の断ち切り」と捉えてみる

昨日、三島由紀夫氏のことについて書いたのだが、
語りそびれたことを思い出したので、
ここに付言しようと思う。

昨日の記事 『三島由紀夫に見た死の美しさ』

→_→→_→→_→→_→→_→→_→→_→→_→→_→

彼は45歳にして自決するに至ったのだが、
やはり、もし生きて執筆を続けていたら、
どんなに素晴らしい作品を完成させたか期待せずにはいられないのだが、

その期待こそ、
彼がこの世に残し

もっとみる
三島由紀夫に見た死の美しさ

三島由紀夫に見た死の美しさ

本日、2020年11月25日は、
三島由紀夫さんが自決為されて50年の忌日らしい。

彼の人生を現在という安全な地点から語るなど、
おこがましいこと甚だしい上に、
到底語り尽くせるはずもなかろうが、

少しばかり、私が彼から受けた強烈な心証というのを語るのをお赦し頂きたい。

また、
先に罷免しておきたいのだが、
私自身彼の作品の一部を読んだに過ぎない。

それでも、
彼の作品には一つ一つ強烈な印

もっとみる
、

日本語で文章を書いていると、

読点を何処に打つか、
先ず打つべきか打たざるべきか、

悩むことが多々ある。

英語等では、
特にこんな事態は起こらないのだが。

調べてみると、
読点の置く位置には一応のルールがあるらしいが、

やはり、
それも全日本語文を網羅するような規則ではない。

また、
人の文章を読む場合でも、
その用法には実に個性が表れるものである。

私は、
脳内で書く文を暗唱して、

もっとみる

俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。

俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心はなごんでくる。
                          (『桜の樹の下には』梶井基次郎)

自我の過去の集積に没んだ感情を刳り出されたような情趣を覚えさせられる、
故に、共感せざるを得ない、
こういう文章に出会ったのは久しぶりのことだ。

やはり、こうした長い年月と経験から徐々に醸成される感情を、
僅かニ

もっとみる
愛しき「不吉な塊」

愛しき「不吉な塊」

久しぶりに梶井基次郎氏の『檸檬』を読んだ。

最後にこれを読んだのは、確か、3〜4年前、大学生活を始めたばかりの頃だったと思う。

「不吉な塊」という言葉が、
当時の自分の抱えていたあらゆる心情を包含して表しているように思われて、
興奮と言おうか、悦びと言おうか、
そういう何とも言えない酸味を味わったのを覚えている。

さて、暫くの時を経て、再読するに感じたのは、
あの時自らの裡に抱えていた「不吉

もっとみる