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分かりやすさとかクソ喰らえ!!

私の文章は、月に2度、3度、規模の大きな書店や図書館、古書店に出掛けては、2時間も3時間もかけて店内を周遊し、お気に入りを掘り出して喜ぶような趣味の人には面白いのではないかと思う。

というか、そういう人を愉しませたいと思って書いている。

“そういう人”とは、私のことなのだが。

簡単に換言してしまえば、自己満足と言うに過ぎない。

私は読みにくい文章が好きである。

何度も読み返しては徐々に意味を獲得出来ていく感じが快く、また、読み淀んだところから私の思考が駆け始める為である。

反対に分かりやすいと先のストーリーや論理の展開が読みやすく、ただそれを確かめるという作業になる為、退屈に感じるのである。

尤も、「伝える」という目的においては、「分かりやすく」書くという手段は適っている。
人の求めるところも「読みやすさ」だということも理解している。
事実、私の投稿でも分かりやすさを意図して書いたものの方が伸びている。

だが、それでも文を読む神妙を感じられるのは、やはり、読みにくい文章なのではないかと思うのである。

私は以前、衒学的文体を目指して書きたいという趣旨の記事を書いた。

浅学故に、衒学になりきれず、それを実現出来ぬのはお恥ずかしいばかりであるが、それでも「読みづらい面白さ」を味あわせてやりたいのである。

そういうものは推敲を重ねて産み出されねばならない代物なのかもしれない。

(自戒を込めて記すが、)
私の場合、ただ賢いと認められたいという思いだけを抱いて、思い付いたことをただ書き付けている為に中途半端な文章が完成するのであろう。

私の文章は紙媒体と化して本屋の倉庫で眠っているのがお似合いなのだろう。

兎角、私は読みにくい文章を書きたい。

私のような趣味の人間などここには少数だろうが、
どうせ取り繕った言葉で認められても仕方ないので、
「分かりやすさとかクソ喰らえ!!」
の精神で書いていこうという意志である。

【日日是考日 2020/12/04 #052】

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にわ。
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