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三島由紀夫に見た死の美しさ
本日、2020年11月25日は、
三島由紀夫さんが自決為されて50年の忌日らしい。
彼の人生を現在という安全な地点から語るなど、
おこがましいこと甚だしい上に、
到底語り尽くせるはずもなかろうが、
少しばかり、私が彼から受けた強烈な心証というのを語るのをお赦し頂きたい。
また、
先に罷免しておきたいのだが、
私自身彼の作品の一部を読んだに過ぎない。
それでも、
彼の作品には一つ一つ強烈な印象を刻印されている。
さて、
彼の死後に生誕した我々としては、
三島さんの生を過去のものとして眺めることしか釈されないが、
彼に漲る生命力が、
その言葉の裡に現在していることをひしひしと感じるのである。
思うにそれは、
彼の生涯に立ち現れた生死の問題に不断に挑み続けることによって築き上げた生死に対する独自の理念なるものが、
その作品の裡に投影されているからだろう。
例えば、
『午後の曳航』では、
少年たちが己たちの理念を守る為に青年を殺し、
『金閣寺』では、
己の美的理念的象徴を破壊し、自らの死をともにする。
このように三島先生の作品においては、
主人公の主観的正義の下に、
死が遂行される印象がある。
それは正に、
自分のあるべき理想の実現の為に、
人を殺すこと、
或いは、自分を殺すことが必要となる、
といった彼の人生観を反映しているように見受けられる。
(三島先生の人生観は、
当然こんな甘い言葉では表せないが。)
また、
彼は実に美しく死を描く。
馥郁たる薫の感じるほどに美しく描く。
そして、殺さねばならない論理的必然性を描く。
死という結末の為だけに物語が展開されている、
と感じられることすらあるほどに整然と描く。
勿論、彼の文章の技術というのは、
それだけ彼を一流の作家たらしめるに十分な芸術的価値を持っていたが、
それに限らず、
人間が人生を追究するあまりに必然的に抱かざるを得ないような妙理を描いているところに、
私はひどく魅了されずにいられないのである。
彼は人の容易に見晴らせざる死の境地を見ていたはずだ。
謂わば、彼の言葉に表される死に対する思想は、
人の追究するその先に見出されるべきものであり、
それが、人を魅惑するところとなっているのかもしれない。
さらに、彼は何処かの対談で、
(確か、中村光夫先生との対談だったかな?)
「もっと早く死んでおくべきだった。」
というような趣旨のことを話していた。
こうした死に対する問題は、
作品上の問題であるに留まらず、
三島氏自身の問題でもあったのである。
成程、彼の言葉にも鬼気が宿るはずである。
三島由紀夫の人生観など、
私ごときに悟り得るはずもない。
だが、恥を忍ばず彼の重厚な言葉の数々から私の感付いたことはこのようなことである。
つまり、
絶対的救済の境地(天国、涅槃等)は死後にあること。
人は早く死ぬほど将来性という客観的価値を残せるが故に、
自分の創造し得る価値の果てた時、
その時に死ぬのが人生の価値が最大化する時であるということ。
死は未知なる恒久の妖艶を纏っていること。
等々である。
彼の言葉から受けた心象というのは、
その雄大さ故に、筆舌に尽くし難い。
以上、
こんなまとまりのない拙文で以て、
偉大な作家を語るのは無礼千万なことは承知だが、
私は彼の見ていた死の美しさに見惚れずにはいられないのである。
【日日是考日 2020/11/25 #043 】
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