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52歳を襲った人生最大の腰痛。それから3週間を経て至った境地
「今まで生きてきた中で、これほどの痛みを経験したことがない……」
救急車を呼ぶことを真剣に考えました。
左の腰から太ももにかけての激痛で、トイレにも行けず、水すら飲めない。
ベッドの上で震えながら、スマートフォンを握りしめ、119番を押すか押さないか、30分以上迷っていました。
うつ病を抱えながら必死に働いてきた私の人生で、まさかこんな日が来るとは。
それは、真冬の寒気が窓を震わせる1月20日の朝でした。
いつものように朝4時に目覚ましが鳴り、手を伸ばしてスヌーズボタンを押そうとした、その一瞬のこと。
左の腰から左の太ももにかけて電撃が走り抜けたような鋭い痛みが襲いました。「ギャッ!」思わず上げた悲鳴が、静かな朝の空気を切り裂きました。
寝返りを打とうとしても激痛が走り、まるで体が板で固められたかのように動けない。
布団の中で、ただじっと天井を見つめることしかできませんでした。
「この痛み、いったいいつまで続くんだろう……」。
不安とあせりで、冷や汗が背中を伝っていきます。
普段なら、この時間にはすでにキッチンで温かいコーヒーを入れ、愛読書『思考は現実化する』を開いているはずでした。
朝活は私の誇りであり、生きがい。毎朝の読書と、寝る前のnote執筆は、うつ病と闘いながら前を向いて生きるための、大切な日課だったのです。
でも、この日は布団から這い出すことさえままならず、一日のスタートダッシュが完全に狂ってしまいました。
想像を超える痛みとの対面
その日の朝、何とか仕事場である就労継続支援A型事業所に出勤しましたが、デスクに向かうたびに左の腰から太ももにかけて走るしびれのような痛みで、まともに仕事に集中できません。
パソコンに向かって30分も経たないうちに、痛みは徐々に増していきました。
「少し休ませてください」と上司に告げましたが、これがまた新たな苦痛となりました。
横になれる場所はなく、かといって、座ることも立ち続けることも困難。
結局、座るか立つかの二択しかない状況で、どちらを選んでも痛みは変わらず、まったく休息になりませんでした。
じっとしていても痛いのに、少しでも動こうものなら、その痛みは倍増します。
同僚たちは心配そうな顔で私を見ていました。
「大丈夫ですか?」という優しい言葉をかけてもらうたびに、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
でも、このときはまだ「明日には良くなっているだろう」と、楽観的に考えていました。
翌21日、その期待は完全に裏切られました。
朝、目が覚めた時から左の腰が完全に固まっていて、トイレに行くのにも壁を伝いながら、まるでロボットのように少しずつ前に進むしかありませんでした。
普段から不整脈や心房細動、脂質異常症、糖尿病と付き合っている私。
投薬管理や食事制限には慣れているつもりでしたが、この突然の腰痛は、まさに想定外の「敵」でした。
薬を飲むために台所まで行くことさえ、大きな挑戦となってしまいました。
絶望の診察室にて
22日の朝、とうとう整形外科を受診することを決意。
ところが、待合室は満員で、診察までに2時間もの長い待ち時間が必要でした。
やわらかいはずの待合室の椅子に座っているだけでも痛みが走り、立ち上がることもままならない。
周りの患者さんの視線を感じながら、ただじっと我慢するしかありませんでした。
最近の調査によると、ぎっくり腰を経験した人の約7割が複数回発症しているそうです。
待合室で見かけた患者さんたちも、きっと同じような苦痛を味わっているのだろうと思うと、妙な連帯感を覚えました。
ようやく診察室に呼ばれ、レントゲン撮影を終えると、意外な診断が下されました。
「骨にも特に異常は見られません。筋肉疲労による腰痛ですね」と医師は告げました。
医師は続けて「適切な治療と生活習慣の改善で、良くなりますよ」と、希望の言葉をくれました。
処方された鎮痛剤と消炎剤を手に、私は新たな闘いの一歩を踏み出すことになったのです。
薬との出会いが教えてくれた希望
鎮痛剤と消炎剤を処方されたとき、正直なところ半信半疑でした。
「痛み止めなんて、一時しのぎでしかないんじゃないか」
という思いがあったからです。
でも、この考えは完全な間違いでした。
服用を始めてから2日ほどで、朝起きたときの痛みが少し和らぎました。左の腰から太ももにかけての激痛は依然としてありましたが、
以前のように悲鳴を上げるほどではなくなってきたのです。
「この痛みはきっと良くなる」という希望が持てるようになりました。
生活習慣を見直すきっかけに
医師から「デスクワークが長すぎると、腰への負担が大きくなります」と指摘されたことで、私の働き方も大きく変わりました。
それまでは、ほとんど動かずにパソコンに向かっていました。
そこで、新しい習慣を取り入れることにしました。1時間に1回は必ず立ち上がり、オフィスの中を5分ほど歩くことにしたのです。
最初は痛みで躊躇していましたが、徐々に体を動かすことで、かえって痛みが和らぐことに気づ付きました。
座り方も改善しました。これまでは背もたれに深く寄りかかり、どちらかというとだらしない姿勢でした。
今では浅めに腰掛け、両足をしっかり床につけ、背筋を意識して伸ばすように心がけています。
予想外の発見
驚いたことに、この腰痛との闘いは、思いがけない気づきをもたらしてくれました。
たとえば、毎朝の読書時間。
以前は机に向かって本を読んでいましたが、今では立って読書することもあります。
『思考は現実化する』を片手に、ゆっくり室内を歩きながら読むという新しいスタイルは、かえって集中力を高めてくれました。
noteの執筆も、工夫次第で続けられることがわかりました。
スマートフォンのメモ機能を使い、電車の中や立ち仕事の合間に、少しずつアイデアを書き留めていく。
そうして蓄積したメモを、夜にまとめて記事にする。
この方法なら、座る時間を最小限に抑えられます。
3週間後、光が見えてきた朝
1月20日から約3週間が経過した頃、ある変化に気付きました。
朝、目覚ましの音で目が覚めたとき、以前のような恐怖感がなくなっていたのです。
もちろん、完全に痛みが消えたわけではありません。
でも、「どうやって起き上がろうか」と絶望するのではなく、「ゆっくり動けば大丈夫」という確信が持てるようになっていました。
痛みが教えてくれた新しい生き方
調査によると、ぎっくり腰になった人の多くが「座る・立ち上がる」動作に不便を感じるそうです。
私の場合は典型的な腰痛でしたが、同じような不便さを感じました。
ただ、この経験を通じて、「不便」を「気づき」に変える術を学んだように思います。
たとえば、うつ病を抱えながら働く私にとって、朝活は大切な心の支えでした。
腰痛によってその習慣が崩れそうになったとき、「どうすれば続けられるか」を必死で考えました。
そして、寝る前にコーヒーメーカーのタイマーをセットしておき、朝は最小限の動作で済むよう工夫を重ねました。
不整脈や心房細動、脂質異常症、糖尿病といった持病とのつき合い方も、腰痛をきっかけに見直すことができました。
たとえば、血糖値を下げるために始めた「食後の軽い運動」。
以前は「面倒くさい」と後回しにしがちでしたが、腰痛改善のためにも必要だと気づいてからは、自然と習慣になっていきました。
新たな希望との出会い
鎮痛剤と消炎剤のおかげで、徐々に日常を取り戻せるようになった今、私は考えます。
この3週間は、確かにツラい日々でした。
でも、この経験が教えてくれたものは、痛みをはるかに超える価値があったのではないかと。
身体の声に耳を傾けること。無理をしないこと。でも、あきらめないこと。
そして何より、困難な状況でも、必ず光は見えてくるということ。
おわりに
もしかしたら、この記事を読んでいるあなたも、今まさに腰の痛みと闘っているかもしれません。
または、これから予期せぬ痛みに見舞われるかもしれません。
そんなとき、どうか思い出してください。
痛みは確かにツラいものです。
でも、それは新しい自分に出会うためのきっかけにもなり得るのです。
「腰痛にならないに越したことはない」――私は今、心からそう思います。
だからこそ、日々の姿勢や運動習慣を大切にしています。
でも同時に、もし再び痛みが訪れたとしても、今度は違う対処ができる自信があります。
あなたの腰の健康と、心穏やかな毎日を願いながら、この記事を締めくくりたいと思います。
明日も、きっと良い朝が来ますように。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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