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“白い”ねこのーと

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喧嘩と論理の深淵。その冒険記。
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#哲学

page.23 Question and Induction

page.23 Question and Induction

 命題 A における───それが述語記号であれ,個体記号であれ──定項を変項 x に置き換えて得られる ?xA(x) を,A の un-gestalt と呼ぶ。そして,本書の考える「問い」の本質とはそれである。

 当然だが,A はその un-gestalt の答えの一つたり得ることになる。

 ? はこれを疑問子と呼び,疑問子はそれが係る変項にたいして前置記法で記す。(たとえば,?yB(y)∧C

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page.19 抽象化/一般化

抽象化と一般化については,文脈によってニュアンスを察することが難しくないため,本書でも特に区別していない。

しかし,次のような区別を考えると,この言葉たちが実践されてきたコンテクストによく整合するように思われる。すなわち,あるトークン a に言及する命題 A に対して,それぞれ

一般化:∀xA[a,x]
抽象化:∃xA[a,x]

といった定義をすることによる区別である。

(本項では,論理式

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page.22 間テクスト性の諸性質

間テクスト性(intertextuality)は,主にポスト構造主義者たちに頻用され,意外かな構造主義者たちにもしばしば援用されてきた歴史をもつ,哲学の重大なテクニカルタームである。

クリステヴァが1966年に造語した。

同時期にはデリダの散種(Dissémination)など,テクスト読解における無視できない振盪が認められる。次項ではこの事態を批判することで,現在われわれの立たされている哲学

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page.18 信念の主体

本書 p.15 では,信念について次のように記した。

信念は,次のように,専らプラグマティックに定義される。すなわち,それが内的に,形而下に作用するような主体たるアバターの諸言動である。つまり,観測ないし知覚可能であるような言動を伴わないものは信念としてナンセンスであり───むしろ,そんなものは信念として認められなくてよろしい───伴うものが,信念として有意味であり,それら観測ないし知覚可能

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page.15 対立信念

我々は皆,信念を持っているはずだ。

人の本質を,“思考の活動ないし,系”(つまり,論理体系,アバター)に在らしめんとする本書では,むしろ,そう言うべきだろう。

信念は,次のように,専らプラグマティックに定義される。すなわち,それが内的に,形而下に作用するような主体たるアバターの諸言動である。つまり,観測ないし知覚可能であるような言動を伴わないものは信念としてナンセンスであり───むしろ,そ

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page.10 人格関数

p3 では概念を関数として捉える方法を記したが,本項では“人格”を関数として捉える方法を記す。このような関数を“人格関数”と称ぶ。

ここで,「人格も概念なので,このページって結局 p3 に包摂されるような内容じゃないの?」というように考える人がいるかも知れない。しかし本項の目的は,人格を関数によって定義するというより,人格を関数によって機能的に扱えるようにする───そのような仕方で,人格を関数に

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まえがき

まえがき

端的に【“白い”ねこのーと】は論争や議論についての考察を著述するものであるが,実は前身となった【“黒い”ねこのーと】なるブログがある。この記事では【“黒い”ねこのーと】に言及することによって【“白い”ねこのーと】の意義を叙述していこうと思うのだが,その前に次の略記をお断りしておきたい。それぞれ名前が長いので,基本的に以下からは【“黒い”ねこのーと】のことを黒猫本,【“白い”ねこのーと】のことを【白

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