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【考察】「耐える」と「逃げる」はどちらが有用か

どうも。
今年のスタバのさくらは、個人的に好きな味ではなかった雪茜です。

なんか変な匂いがした。お店の衛生面の問題かな?w
いつもベンティなんだけど、ベンティを後悔する位に好みじゃなかった。

無念。

チルドカップが美味しかったから、今年はチルドを飲もうと思う!


さて。
最近の夜の日課となりつつある、noteのINFJの記事を流し読みしていると、
この様な記事を見つけた。

大変興味深い内容でした。

ただ私個人の意見はこの方とは違うな、と思ったので、
今回は少しそれについて書いてみようと思います。

※意見には個人差があります。
 何が正しいとか、何が間違っているでは無く、
 私はこう思う、という事が言いたい記事です。


タイトルの回答としては、
「そりゃ両方大事だよね」
って所ですがw



まず私の生死感と関わりについて述べなければ話の前提が成らないので、
端的に書いてみると

・自殺を悪いことと思っていない
・生きる事を悪いこととも思っていない
・私自身、自殺未遂の経験あり
・私の友人の自殺経験あり

という感じだ。


早速だが、この方の記事内でこのような一文がある。

人はなぜ自殺をするのか?ー耐えられないからである(何に耐えられないかは人それぞれだが、とにかく何かに耐えられないのだ)

では、なぜ耐えられないのか?ーそれは耐え方を身につけていないからだ。つまり「教わった覚えがない」状態とも捉えられる。

ならば、教わる機会を生み出せばよい。そう考えた。※全員とは言わないが、この発想で救える命はゼロではないと心底信じている。

私はちょっとこの考え方には同意ができない。
私個人の経験では、学生時代にいじめと親からのDVを受けて育ったが、

「耐え方」を教えられたら、余計に死にたくなったことと思う。

何故か。


耐えなければいけないと思え、と強要される事になるからだ。

子供というのは実に素直な生き物だ。
世界も狭く、学校と家が殆ど全てと言っていい。
そんな「学校」という「生き方を学ぶ場」で、「死に値する苦痛を耐える」事を教えたら、絶対に逃げるなと言われている様な錯覚を起こすと考えるからだ。

勿論大人目線で見れば、「ああこれは一つの打開策だな」と、「幾つかある答えのうちの一つ」として受け入れられるだろうが、子供は違う。
人生経験がそれ程多くない彼らにとっては、「学校で教わる事が全て」だ。

逃げ方を教えず、耐え方のみを教えるのでは、
リアルタイムで苦痛を感じている者にとっては、殆ど脅迫に近い

「この発想で救える命はゼロではないと心底信じている。」
これには同意だ。
しかし、前述の可能性を推して迄導入する根拠には、私の中では至らない。


こんな風に思う人もいる事だろう。
教えるのは「耐え方」なのだから、心が楽になり、易々耐えられるはずだと。

では世の中のありとあらゆる小さな不平不満は、何故無くならないのか。

「他者は他者、自分は自分」だからである。


「耐え難い環境下で耐え抜く」というのは、耐え抜く必要性があるか否かを見極めること自体を含めた「技術」であり、単一的な授業形式では身につかないと思う。より実践的で、各人が抱える悩みに直結した成功体験が重要だ。

この方は「悩みに直結した成功体験が重要だ」としている。


本当にそうだろうか。


そんな事で誰かの傷を癒し、防げるだろうか?

残念ながら私は、「ストレスを溜めない生き方」「嫌味を言われても受け流す方法」「夫がDVでした」「私が鬱を克服した話」などの本を読んで、心が軽くなったり納得した試しが一度たりとも無い

所詮他人は他人、自分は自分だ。

むしろ「その程度で楽になる訳ないだろ!」
「そんな風に思えたら今頃こんな本読んでねえんだよ!」
「この程度の方法で楽になれるんなら、最初から大して落ち込んでねぇだろ!」
と、気持ちはささくれ立つばかりだった様に思う。

気持ち的には、喧嘩を売られているとまで感じた。

残念ながら、本当に気持ちが落ち込んだ時に「誰かの成功譚」を聞いたとて、
「ああ良かったね!それは貴方の話でしょ!」としか思えなかったのである。

故にどんなに予め「耐える方法」を聞いていたとしても、それは「自分用の耐え方」ではなくあくまで「成功者にとっての耐え方」でしか無いと思うのだ。

だからこそ、この世に「カウンセラー」という職業がある。
彼らは「個人に合わせた耐え方」の提案を行うプロフェッショナルだ。
要するに「オーダーメイドの耐え方」である。しかしそれでも尚耐えられないケースは、世の中に腐るほどもある。
いわんや学校の授業をや。

文中には「より実践的で」ともある。
恐らくこれが「自分用の」耐え方に繋がると思われるが、
果たして何年も続くいじめや、記憶ある頃から続くDV、
見ず知らずの暴漢から受ける強姦、愛する者を津波に攫われた苦しみを、
どのようにして実践するのだろう。
私には不可能に思える。

また、「耐え抜く必要性があるか否かを見極める」という一文は恐怖だ。
耐え抜く必要性が無いと判じた場合、それは死に直結するのでは無いか?
どういった意図かは判然としないが、下手をすると
人生は耐えるだけの価値がない、となりかねない。


戦争体験世代はほとんど居なくなり、日本復興に全力を注いだ焼け跡世代は子どもに平穏な生活の有難さを語ったはずだが、高度経済成長が起こり「ジャパンアズナンバーワン」ともてはやされた時代を経て、世代を重ねるごとに、「何に感謝し、どう生きるべきか」というようなことを力強く語る人はいなくなっていった。

すると子どもは何も分からず、つらいことがあればとりあえず逃げる。

どうやらわざわざ戦争を引き合いに出すこの文面から察するに、
この方の「平穏な生活」の定義は「人としての尊厳の最低水準」のようだ。
つまり「衣食住」が整っていて、「徴兵制度」に命が脅かされないなら
他にどんな苦行があったとしても「今の生活に感謝しろ」という事になる。

これはもう、極めて個人的な感想で申し訳ないが、私は嫌だ
命が脅かされないのは感謝する事じゃなく「当然」の事であってほしい。
人間以外も、生きとし生けるもの全てに対して、そういう世の中であってほしい。

「今辛い事」に対して、引き合いに出されるのが戦時中では皆死ぬしかない。
上記の「平穏な生活」を基準にすれば、
「ケーキが食べたい」という子に対して「今この瞬間にも、毎日飢餓で死んでいく子がいる」と説得するのは可能だろうが、
「昨日も今日も碌に食べてない。明日もどうなるか分からない」と生命維持ギリギリにしか食べられず腹を空かせた子に、同様の説得が効くとは思えない。
そもそも私はそんな説得はしたくない

「一口でも食べられるだけマシだろ!」じゃなくて、
もう腹がはち切れんばかりに食べさせて、笑顔にしてやりたい。

だって右を見ても左を見ても空腹だった戦時中とは違い、現代の日本では右を見ても左を見ても「飢えて死にそうな子」はそうそう居ない。
周囲と同等の幸福を求める事を「贅沢」「お前は耐えろ」と切って捨てるのは余りにも酷だ。

わたしは、耐えるのじゃなくて、逃げて欲しい。

逃げる手段があるうちに、できるだけ遠くへ逃げて欲しい。
本当にダメになってしまうと、動く元気も無くなって、逃げられなくなってしまうから。

死にたくなるくらい辛いなら、
そんな状況を良しとする環境なら、
逃げて欲しい。
誰にどんな迷惑をかけても構わないから。

それは人として生きる権利だと思う。

耐える事は確かに偉い。
美徳であるし、勿論褒められる偉業である。
でもそんなものは、命と天秤にかけるまでも無く無用の長物だ。
少なくとも私にとっては。


通っていた大学院の教授とはソリが合わず思い通りにはいかなかった。やむなし、正体不明のウイルス感染症(後の新型コロナウイルス)が拡大しているという環境下で、就活に舵を切った。

…これこそ「耐える」所ではないだろうか。
私には「つらい(思い通りにいかない)ことがあるからとりあえず逃げた」ように見える。


とにかく、生きるのがつらくて死にたいと思ってしまうのであれば、良い機会だと捉えて死というものと真剣に論理的に向き合ってみるべきだと思う。「なぜ死にたいのか」「何が苦しいのか」「なぜ苦しいのか」「本当に苦しむべきことか」など。気が済むまで。妥協せず、だ。たどり着くのは、「いつか必ず死ぬ」ということと「今生きている」という事実だ。

これは結構真面目に凹んだww
「死にたいと思うほどの辛い事」を「良い機会と捉えろ」と。

残念ながら「死にたいと思う」事を「良い機会」とは思えない。
そんなプラス思考なら、そもそも死にたいなどとは思わない

自分が死にたいほどの経験を、良い機会だとか他人に言われたら、
そいつをそっくり同じ目に合わせてやりたい。
良い機会なんだろ?良い機会を与えてやった私に感謝しろよ?と。

そんな機会、無いに越したことはない。
わたしは私と同じ目に誰かが遭う事を望まない。

この世からそんな機会が無くなる事の方が私の理想だ。

勿論ただの理想論でしかなく、それは現実的でない程に難題であることは理解している。
だから私はどうこうしない。
現状、何が一番良い手段かが分からないから。

欲を言えば、スクールカウンセラーを各学校に最低でも2名常駐させ、全員、
年1回はカウンセラーと1対1で会話する事を小中高で義務付けて欲しい。
国はこういうところにお金を使って欲しい。

以前にも紹介したが、

よく言うんだ 相談窓口を作るだけで子供を救おうとするのはー
川の岸辺に店を開いて溺れてる子供に「ここまでおいで」と叫ぶものだと!

ここは今から倫理です(雨瀬シオリ)

これは本当にその通りだと思っていて、子供と窓口を「繋ぐ」事が
できていないのが現状。
だから、「繋がり」を義務にして欲しい。
教師のように公務員として、国がカウンセラーを雇って欲しい。

恐らく現在その役割を担うはずの「保険の先生」という存在が、殆ど機能していないのと、
1名では「相性が悪い」場合があるからだ。
(中学の頃生理痛で保健室に緊張しながら薬をもらいに行った時、「どうせ仮病でしょ?薬だってタダじゃないねんで!」と言われ、コイツの顔は二度と見たくないと思った事がある)

カウンセラーに頼る事への抵抗感、ハードルが学生のうちに下がれば、
大人になってからは自分の足でそこへ逃げ込む事ができるのではないかと考える。

この辺り、日本は諸外国に大きく遅れをとっているよね。
カウンセラー=心の弱い人が行くところ、という先入観がある。
もっと気兼ねなく相談に行ける場所なんだと分かれば、
心的ストレスも軽減されそうなものだけど。
まあでもそんなに簡単でもないか…。


「死というものと真剣に論理的に向き合ってみるべき」というのは不思議だ。
自殺した人達が、真剣に論理的に向き合ってなかったとでも言うような。
衝動だけで死んでいく者が多いとでも言うような。

「死」のデメリットと「生」のデメリットを天秤に掛けて、
「死」の方が軽かったから死を選ぶ。
「死」のメリットと「生」のメリットを天秤に掛けて、
「生」の方が軽かったから死を選ぶ。

死の方がデメリットが少なくても、生の方がメリットが多ければ生を選ぶだろう。
デメリットが少なく、メリットが多い時、両方が揃った時に初めて死を選ぶ。

生にも死にも、真剣に向き合わなければ行えない。

かろうじて止まっている人達は、僅かに「生」に傾いている為、
なんとかまだ生きてくれているのだ。
誰だって死にたくて生まれてくる人はいない。
生きたくて生まれてくるのだ。
生きたくて苦しんでいるのだ。
生きる理由を探していて、
生きる希望を求めている。

それを脅かす「死」に対して、真剣にならない筈がない。


「いつか必ず死ぬ」ということと「今生きている」という事実に、
どれ程落胆し、失望し、幻滅することか。
「いつか」死ぬのでは遅いのだ。
苦しいのは「今」なのだから。

私のよく聞く曲で、BUMPさんの「モーターサイクル」にこんな一節がある

わざわざ終わらせなくていい どうせ自動で最期は来るでしょう
その時を考えても意味が無い 借りてきた答えしか出てこない

BUMP OF CHICKEN「モーターサイクル」

この曲はどちらかと言うと「斜に構えた」人向けで、
あんまり「死にたい」と本気で思っている人向けではないと感じています。
「生きづらい」とか「生きてるの嫌んなっちゃった」とか
「あぁもう目を覚ましたくねぇー」とか「死んだ方がマシw」とか
まだ言葉にして言える人には、この言葉はよく効くと思います。
本気の手前の、準備段階の人。

これはこれで、セーフティネットとしての役割は十分にあると思う。

でも準備が済んでいる人にとって、この言葉は「うるせえ外野はすっこんでろ」
なんだよな…。

真理なんて求めてない。
求めているのは救いで、「いつか」は救いにならない。

前に「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマをやっていたように思う。
わたしは観ていない。
だけど、良いタイトルだと思う。

「役に立つ」のだ。
そして確かに「恥」でもあるのだ。

美化していないところが良い笑


逃げる、って、動く、って事だよ。
問題から目を逸らして、違う事を考えたり、
その場所から移動して別の場所に行ったり。

そして「動く」って事は、出会うって事でもある。
予期せぬ解決の糸口や、助け舟に遭遇する可能性がある。

耐えるってのは、動かないってこと。
その場に止まる、問題を注視する、って事。
自己解決できるだけの力が無いと、体力は枯渇する一方だ。
でも勿論それができれば凄い事。

多分「自己解決できるだけの力」を養わせる、という意図の記事なのだろうと思うが、
それこそ千差万別の問題に対しての「自己解決」は、
果たして人生何回分の経験値が必要で、
教科書何ページ分の暗記力が必要になる事か。

加えて「起きるか起きないか分からない問題」に対して、実践的に行う事は本当に有意義だろうか。
いじめ、DV、パワハラ、セクハラ、レイプ、鬱病、天災…。
全てに該当する人はそういない。
それをわざわざ体験させる?夢も希望もありゃしないなw


私は耐えるより逃げたい。
私に子供はいないが、姪っ子達にはそう教えたい。

容易に逃げる「堪え性がない」という事と、
命からがら逃げる「生存戦略」は別物と教えたい。

耐えられる強い人を夢見るけど、
そこまで人生に価値があるとも思えないしな!w

投げっぱの仏法
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ヒプノシスマイク 「Division Battle Anthem」


こういう考え方もあるくらいだw

死ぬことは悪いことじゃない。

でも生きていたいのは私の我儘。

生きてて欲しいのは私のエゴ。


逃げて怒られるのは 人間ぐらい
ほかの生き物たちは
本能で逃げないと 生きていけないのに
どうして人は

「逃げてはいけない」

なんて答えに 辿りついたんだろう

産経新聞 宮城県 森田真由(13)

13歳…賢いな…。

地球や宇宙規模で見れば、大した事ない問題だね。

でも残念なことに私達は
地球や宇宙規模の価値観で日々を生きてないから仕方がない。


今日も今日とて 三十六計逃げるに如かずっ!

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