読売新聞社会部取材班 『五輪汚職 記者たちが迫った祭典の闇』 : 愚民化政治の裏側
書評:読売新聞社会部取材班『五輪汚職 記者たちが迫った祭典の闇』(中央公論新社)
コロナ禍のために1年遅れで開催された「東京五輪2020」における汚職問題を、読売新聞社会部の取材班が追った記録である。
端的に言うと、大半の内容はテレビ報道などですでに知っていた程度の話で、全体に内容の薄さを感じる。
また、「取材班の活躍を描く」というのが本書の狙いのひとつなのであろう、記者たちの活躍ぶりやその経歴などがけっこう丁寧に紹介されているのだが、はっきり言って、私のような一般人にとっては「記者がどのように頑張ったか」なんてことはどうでもよくて、肝心なのは、その職務を全うした結果の「取材内容の豊富さと深さ」である。
なのに、これではまるで、自分たちのための「思い出の記録」という感じで、読まされる方は、なんとも鼻白んでしまう。
もちろん、本を1冊読んだのだから、勉強になった部分も無いではなかったが、全体としては、いかにも手応えに薄い一書であった。
実際、このレビューを書くために、先ほど、Amazonの本書のページを見たところ、その評価の低いことに驚いた。
現在のところ、寄せられた評価は3つだけで、しかもすべて「(5点満点の)1点」。3つの評価のうち、2人がレビューを寄せているが、それらは、本書の無内容に怒っているというよりは、あきれはてて、もはや冷めてしまったという感じの感想である。
約1ヶ月半前の刊行だし、内容的にもすでに旬を過ぎているから、注目度が低く、評価数が少ないこと自体は、仕方がない。
だが、それにしても、評価が3つしかないとは言え、パーフェクトの「1点」評価というのは、私も初めて見た。
しかしまた、旬を過ぎた内容の本だからこそ、そんな本書をあえて読んだ人というのは、「五輪汚職」の問題について、継続的な問題意識を持った、稀有な人たちだったのであろうし、そういう人たちの評価だからこそ、的確かつ辛辣なものになったのだということなのかも知れない。
例えば、レビュアー「さぶ三」氏のレビュー『権力に寄り添う新聞社』は、次のようなものである。
このことからわかるのは、「さぶ三」氏は「反権力」的なスタンスの人でありながら、「権力」に近いところの犯罪を暴くはずの「東京地検特捜部」に対してさえ厳しい目を向けており、ほとんど「権力の側」だと見ている、という事実だ。
そして実際、この「東京五輪汚職問題」の捜査では、女性蔑視発言問題で途中辞任したとはいえ、「東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会」の会長であった、森喜朗元首相にまでは、捜査の手は及ばなかった。
もちろん、難しい捜査であることは百も承知しているが、「さぶ三」氏に言わせれば、きっと「そうなるだろうと思っていた」ということになるだろうし、そうした評価は、必ずしも間違いとは言えないだろう。
所詮、捕まったのは「みなし公務員」だったせいで「収賄」事件が立件できた「民間人(高橋治之)」と、贈賄側である「(洋服の)AOKI」だとか「KADOKAWA(角川書店)」といった「民間企業のトップ」に止まったのである。
また、もう一人のレビュアーである「小林たかひろ」氏のレビュー『良い点と悪い点』も、本書に対して、じつに的確な、醒めた評価となっている。
『内容は五輪後の振り返りみたいものです。』とのことだが、まったくそのとおりである。
また、ここで注目すべきは、「小林たかひろ」氏が、『本間龍』に言及しており、その動画まで視ているという点であろう。
「本間龍」とはどんな人物かというと、是非とも「Wikipedia」を見てほしいのだが、要は『元博報堂社員』で『ノンフィクション作家』であり、ジャーナリストと呼んでも間違いではない人である。
そんな本間について注目すべきは、その著作が示すとおり、一貫して「メディアと権力」の問題を扱い、主に「原発」と「電通」の問題を追及してきた人だという点であろう。
そして、その本間が、「電通」のライバル会社で国内二番手の広告代理店「博報堂」の元社員であり、しかも、博報堂の退職後に『在職中に発生した損金補填にまつわる詐欺容疑で逮捕・起訴され、栃木県の黒羽刑務所に1年間服役。』したという事実は、本間のその後の仕事からしても、いかにも「意味ありげ」ではないだろうか。
つまり、人間というのは本質的には「大きく変わることはない」という原則からするなら、本間は「博報堂時代に、メディアと権力に関わる、何かをやろうとした結果、ハメられて退職に追い込まれ、さらに逮捕された」ということなのか、あるいは、同様に「何かをやろうとしたところ、逆に自身の過ちをネタに博報堂を追放され、さらに逮捕までされたので、初志の貫徹による復讐を誓った」かした人なのではないか、ということである。
で、私は以前に、本間の著書『東京五輪の大罪 ――政府・電通・メディア・IOC』を読んで、レビューを書いているのだが、その際の印象では、本間は「信頼できる人」である。
もちろん、「信頼できる人」であっても、時と場合によっては犯罪を犯すことはあるし、逮捕され懲役を課されることもあるだろう。だが、そうした前科前歴を勘案しても、私は「権力者の言い分よりも、本間の言い分の方が、よほど信頼できる」と感じたのである。
ともあれ、そんなわけで、レビュアー「小林たかひろ」氏は、「政府・原発・電通・メディア・IOC・東京五輪」といった問題に、継続的な興味を持つ人なのであろうというのがわかるが、その氏が、本書の「悪い点」として、
と書いていることには、まったくの同感。
要は、「読売新聞」も「東京五輪」のスポンサー企業だったのであり、その段階からすでに「メディアが、巨額の金が動くイベントのスポンサーになることの問題」というのは、本間龍の著作などから、あらかじめ知っていたはずなのだ。
だから、そうした問題を、五輪が「始まる前や最中」にはまったく報道しないでいて、五輪が終わり、露見した汚職の報道も過去のものとなった今頃になって、「われわれはよくやりましたよ。だから、この五輪汚職報道で 、われわれは2022年度新聞協会賞も受賞できたんです」などと自慢げにやっても、「さぶ三」氏のレビューのように「いや、おまえらも権力の側だから、特別に東京地検特捜部から情報をリークしてもらって、それでスッパ抜き記事が書けただけでしょ」といった嫌味を書かれても、仕方がないのではないだろうか。
実際、私の感想としても、本書は「五輪の汚職について、それまでは口をつぐんでいた読売新聞」が、「五輪後に露見した汚職問題について、自分たちのアリバイ工作のために、事後的に行った汚職追求報道」でしかなく、その「まとめ本」が本書だ、という印象は否めない。
そうではない、それは「結果論」だというのなら、ぜひ、現在進行形の「大阪・関西万国博覧会2025」について、絶対確実にあるはずの「汚職」を、今すぐ報道してほしいものだ。「あとから」ではなく。
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それでも、いくつか面白い記述もあったから、その部分を「メモ」がわりに紹介しておきたい。
見てのとおりだ。
「KADOKAWA」の、当時の会長だった「角川歴彦」は、賄賂を渡すことについて『世の中そんなもんだ』という考えの持ち主であった。
つまり「汚いことをしてでも、儲ければそれでいい」というのが、角川歴彦会長時代の、本音の部分での「KADOKAWAの社是」だったわけである。
一方、「AOKI」や「KADOKAWA」から、何億という賄賂を受け取っていながら、ぬいぐるみメーカーの「小口賄賂」についても、決して気を抜かない「高橋治之」の、「金に対する執着心(汚さ)」には、呆れを通り越して、むしろ感心してしまう。「これくらいの金に汚い人間でなければ、莫大な金の動く大イベントを、裏で回すような立場には立ち得なかったのかも知れない」ということだ。
したがって、私たち「庶民」は、政治家だの大企業だのやることを見る時は、そこにはこういう人たちが必ずいて、こういうことをやっているのだと考えるべきであろう。
すなわち「大金の動く世界」については「性悪説」に立って、厳しく監視すべきだということである。
なにしろ、角川歴彦・KADOKAWA元会長の曰く『世の中そんなもんだから』だ。
昔なら「パンとサーカス」だが、これを少し現代化すると「3S政策」ということになる。
「五輪汚職」に、「電通」や「KADOKAWA」あるいは「新聞各社」などの「メディア関連企業」が絡んでいたのは、決して偶然ではない。
なぜならこれは、資本主義民主社会における、わかりやすい「愚民化政策」の一環だからである。
(2023年11月4日)
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