テリー・ジョーンズ監督 『モンティ・パイソン / ライフ・オブ・ブライアン』 : 笑い飛ばすと殺されかねない〈この時代〉に
映画評:テリー・ジョーンズ監督『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』
いきなり、ウィキペディアの引用で恐縮だが、もはや「モンティ・パイソン」を知らない世代の方が多かろうから、基本的な紹介をウィキペディアの引用で済まさせていただいた。
『空飛ぶモンティ・パイソン』の日本でのテレビ放映は1976年であるから、私が中学生の頃なのだが、当時の私は「モンティ・パイソン」の「笑い」には、ついていくことができなかった。おなじようなものなら『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』や『8時だョ!全員集合』の方が、子供心に素直に楽しめた。
それで「モンティ・パイソン」には、なんとなく「合わないなあ」という印象があって、長らく視ようとしないまま、今日に至った。
今回、本作『ライフ・オブ・ブライアン』を見たのは、本作が「キリスト教」を笑いのめして、公開当時たいへんに物議をかもした作品である、と聞いたからだ。
私は、ここ10年ほど、趣味でキリスト教の研究をしていたので、「あのモンティ・パイソンが、キリスト教を扱ったのなら、そりゃあ、ただでは済まないだろう」と思い、そうした観点から興味を持ったのである。
結論から言えば、やはり「モンティ・パイソン」の「笑い」は、私の趣味ではなかったので、この作品も、映画として特に面白いとは思わなかった。
だが、これは、この映画がダメな作品だという意味ではなく、あくまでも「趣味の違い」だという意味である。
簡単に言えば、私の好みは「重厚長大」で「正面突破」。私は「無神論者」として、キリスト教を完全論破し否定するために、わざわざ「聖書」を通読し「神学書」まで読む、といったタイプである。
ところが、「モンティ・パイソン」は、そうではない。
彼らは、いかにもイギリス人らしく、私のような「野暮」な態度を採らない。つまり「マジにならない」「ムキにならない」「怒らない」。あくまでも「紳士的」な「アイロニー(皮肉)」と「おちょくり」と「ブラックユ−モア」と「哄笑的な朗らかさ」に徹するのである。
言い変えれば、彼らは、敵に対して「裸のお尻を向けて、自分でお尻をペンペンしてから逃げていくという、おちょくり」で戦うタイプなのだが、私の場合は、敵を「正面から斬りつける」のが趣味なのだ。
これでは、趣味の合おうはずもない。ただ、私は「戦い方にもいろいろあって良い」と思うので、「モンティ・パイソン」の「イギリス紳士流」のやり方にも、心から敬意を表したいと思う。手法はどうあれ、たしかに彼らは、とても巨大で危険な相手に挑んだからである。
しかし、本作で注意しなければならないのは、本作は「イエス・キリスト」を批判しているわけではなく、「キリスト教(信者や教会)」をからかい、批判しているだけだ、という点である。
本作の冒頭に近いところで、イエスによる「山上の垂訓」のシーンが描かれるが、イエスが映るのは、ほんの一瞬で、あとは集まった群衆の後ろの方で、イエスに対して「もっと声を出せ、聞こえないぞ!」などとヤジを飛ばしている、あまり行儀の良くない民衆たちの姿が描かれている。
普通の「キリスト教」映画であれば、イエスは主人公か、主人公の信ずる「神」という重要な役どころとして描かれるのだが、この映画でイエスが登場するのはここだけで、あとはもっぱら「キリスト(救済者)」と間違えられた男・ブライアンのドタバタ悲喜劇を描いている。
ブライアンは、とても真面目で優しい男なのだが、その性格が災いして、彼は、旧約聖書によって予言された「キリスト」だと間違われてしまう。
ブライアンは、神だなどと崇められたくなんかないのに、勝手に彼を「キリスト」だと思い込んだ「妄信者たち」が彼を追い回したあげく、彼は不幸にも十字架に掛けられ、殺されてしまうのである。
だから、悪いのは「イエス・キリスト」でも「ブライアン」でもなく、さしたる根拠もないのに、ただの人であるブライアンを「神」だと信じて奉り、それに依存しようとした「妄信者としてのキリスト教徒(ユダヤ教キリスト派)」たちだったと言えよう。
その意味で本作は、「イエス・キリスト」を批判してはいないが、「キリスト教」批判であり、それに止まらず、すべての宗教信者に共通するものとしての「妄信」批判であった。
そしてパイソンズは、このテーマを「自分の頭で考えよう」だと語ったのである。
本作で印象的なのは、最期の十字架刑のシーンだ。
正確には、十字架にかけられ、さてこれから2日間放置されるというシーンで、ブライアンと一緒に十字架に掛けられた十人ほどの罪人たちが「Always Look on the Bright Side of Life(いつも人生の明るい面を見よう)」(作詞作曲・テリー・ジョーンズ)という歌を、みんなで歌いだすところだ。
刑死という、どうしようもなく悲惨で暗い場面で、彼らは陽気に「いつも人生の明るい面を見ようよ」と歌うのだが、「その人生が終っちまうんだよ!」という正当なツッコミを笑い飛ばしてしまうところが、彼らの持つ「アイロニカルな笑い」の、比類ない力だったのであろう。
現代は、イスラームの復権以後、宗教を笑い飛ばせない雰囲気が蔓延しているから、宗教を批判するとしても、私のように「真正面から論破」という形を採るしかないのだが、しかし、これはあまり健康な状態だとは言えないだろう。
理屈はどうあれ、ひとまず「そりゃ、おかしいだろう」と、まさに腹を抱えて笑い飛ばすことのできる状態こそが、本当の意味での「人間的に自由な状態」なのではないだろうか。
そして、そうした意味で「モンティ・パイソン」の「笑い」は、けっして軽んじることの出来ないものなのである。
一一と、こんな具合に「重厚」に論じてしまうところが、私の弱点なのだ。
きっと、パイソンズは、こんな私をも茶化して、笑い飛ばすことだろう。それはまことに、本望である。
初出:2020年8月7日「Amazonレビュー」
(2021年10月15日、管理者により削除)
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