天然小説家の〈作為嫌悪〉: 志賀直哉論
書評:志賀直哉『暗夜行路』『小僧の神様・城の崎にて』『清兵衛と瓢箪・網走まで』『和解』『灰色の月・万暦赤絵』(新潮文庫)
志賀直哉という小説家に対する評価は、大きく二分されがちである。褒める人は「小説の神様」だなどと盛大に持ち上げるし、貶す人は「独り善がりのクソ野郎による、退屈な写生文学」だなどと罵倒する。
天地ほどの違いと言えるかもしれないが、しかし、どちらの評価も誤りではない。志賀直哉という小説家あるいはその人の「美点と難点」、そのどちらか一方にこだわって、その一方だけを強調しているにすぎない。
だから、志賀直哉という小説家あるいはその人を評価するのであれば、この極端に分かれた評価を総合するような、志賀直哉の本質を語らなくてはならないだろう。それは、思うほど難しいことではない。
まず、志賀直哉の難点について。
志賀直哉という人が、客観的に見て「独り善がり=独善家」であるというのは、例えば、短編集『小説の神様・城崎にて』に収められている、自身の「不倫」を扱った一連の作品(「些事」「山科の記憶」「痴情」「晩秋」)を読めば明らかだろう。
主人公は作者の実名ではないし、細かいところには創作もあろうが、主人公の考え方は、志賀直哉のそれそのままと考えていい。なぜなら、志賀直哉という作家は「実感」をこそ重視して、「作為」による「作り事」を嫌い、そうしたものは「文学として下品」だと考えているからである。
ともあれ、志賀は、この「不倫連作」で、自己の「不倫」を正当化している。端的に言ってしまえば「好きになってしまったものは仕方がないじゃないか」「男とはこういうものだ」「それがわからずにぐずぐず言って、よけいに俺の嫌悪をかきたてる妻の方が愚かなのだ」といった調子なのだ。
たしかに「好きになってしまったものは仕方がない」とは言えるだろう。しかしそれは、当の本人が臆面もなく、威張りながら言うべきことではない。また「男とはこういうものだ」というのも、当の男である当人が、開きなおって言うことでもない。「それがわからずにぐずぐず言って、よけいに俺の嫌悪をかきたてる妻の方が愚かなのだ」と言うにいたっては、まさに「責任転嫁」であり「甘え」でしかない。
要は、志賀直哉の思考や言葉は、すべて「主観視点」なのである。「自分から見た場合の、一方的な評価」なのだ。つまり、そこには「客観性」というものが無い。「他者への思いやり=想像力」というものが皆無なのだ。「主観的にそうであっても、客観的にはそれは通らないだろう」という「反省」が、もののみごとに無いのである。
無論、志賀直哉が生きた「明治から昭和中期」にかけての時代には、まだ日本の社会には「男尊女卑」が生きていた。「女は、男の後を三歩さがって歩け」というようなことが言われていた。要は「女は男を立てるべき」「女は陰で男を支える存在であるべき」「女は控え目であるべき」といったことが「当たり前」と考えられており、そうしたことが女性の「美徳」とさえ考えられていたので、志賀直哉もまた、それを「当たり前」で「自然」なものだと思っていたのである。
当然、志賀直哉は「男女平等」などということは、「理屈」であり「作為」であり「不自然」だと考えていた。なるほど開明的で「立派そうな言い分」ではあるが、それは「人間の自然な姿ではない」と感じていた。
ましてや、「女権尊重主義」ですらない、今どきの「フェミニズム」など、志賀直哉は知る由もなく、想像すら不可能であった。そもそも志賀は、「哲学」書や「評論」書が嫌いだから、ろくに読んでもいない。
つまり志賀直哉は、こういう「時代的制約をこうむった自然主義」に立っていたからこそ、みずからの「不倫」を少しも「反省」することをしなかったのだ。彼にとっては「反省」とは、「小賢しい作為」であり「反自然」であり、結局のところは「不誠実な虚偽=嘘」でしかないと感じられたから、彼は意地でも自身の「主観に固執」したのである。
で、こういう人のこういう小説を、現代の私たちが読まされれば「独り善がりのクソ野郎」だと腹を立てたり「どうして自分を顧みることが出来ないのか。あまりにも主観的で、頭が悪すぎる」と感じるのも当然なのだ。
現代の私たちの「常識的理性」からすれば、志賀直哉の「主観主義という自然主義」は、結局のところ、社会的に温存されていた「独善」でしかなく、いっそ自堕落な「自己肯定=ナルシシズム」でしかないと評価するしかないからである。
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次は、志賀直哉の美点である。
志賀直哉を「小説の神様」と褒める人がいる。何故か。
志賀直哉の「小説」への高い評価は、もっぱらその「簡潔清澄な文体」に拠っている。つまり「小説とは文体である」といった、日本文学に伝統的な「文体」重視論によって、志賀は「小説の神様」とまで呼ばれている。無論、この言葉は、志賀の傑作短編「小僧の神様」に引っ掛けて作られた「キャッチコピー」みたいなものなのだが、面白い言葉というのは、その含意に関係なく、えてして独り歩きしてしまうものなのだ。
たしかに志賀の「文体」はすばらしい。その「簡潔清澄」な文体は、まさに日本人好みである。こんな文章が書ければと憧れる人が少なくないのも当然だ。人間誰しも、ぐずぐずと細かい説明を重ね連ねる苦労などしたくはない。簡潔な言葉で、その意図するところを表現できれば、それに越したことはない。書く方も読む方も楽ちんで助かるからだ。
しかし、「小説=文学」というものは、「楽」ができれば良いというものではない。
新潮文庫版『暗夜行路』の解説「志賀直哉の生活と芸術」で、阿川弘之が次のようなエピソードを紹介している。
和辻哲郎と芥川龍之介が、志賀直哉の「文体」に惹かれていたというのは、とてもわかりやすい。和辻は「日本的なるもの」に惹かれていた人だし、芥川は「知性」の作家であり、否応なく「作為の作家」であったから、志賀の「天然」に憧れたのだろう。
しかし、ここで注意しなければならないのは、夏目漱石の志賀評である。漱石は、ここで志賀の「文体」を論じているが、決して褒めているわけではなく、その特質を語っているにすぎないのだ。
漱石もまた「知性」の人である。あれこれ考えて思い悩む人である。だから、芥川と同様に、志賀の「天然=自然=能天気」ぶりに憧れる気持ちはあっただろうが、しかし、そんなものになりたいとは思わなかったであろう。漱石は決して、現状をそのまま肯定する態の「自然」主義の人ではなく、むしろ反対の立場だったからだ。
もちろん、その漱石も、あれこれ悩んだあげく、晩年には「則天去私」の「自然」的境地を理想としたのだけれど、それは志賀のような「能天気な自己肯定」とは対極にある、「反・私」的なものだった。
つまり、志賀の「簡潔清澄な文体」には、「中身が無い」のだ。中身が無いから「簡潔清澄」なのである。ある意味では「恍惚の人=天然脳軟化症の人」であり、それに憧れを持つ人もいるにはいるが、それは漱石や芥川のように、考えることに疲れた人や、生きるのに疲れた人の、ある種の「現実逃避」でしかないのである。要は「俺も、あれくらい頭が悪ければ、幸せに生きられただろうに」ということでしかないのである。
じっさい、「小説=文学」の観点からしても、志賀直哉の「文体」というのは、必ずしも理想的なものではなかった。
例えば、丸谷才一は『文学のレッスン』で、次のように語っている。
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端的に言えば、志賀直哉の小説には「思考の強度が皆無」だから、長編には不向きなのである。
志賀の優れた短編は、丸谷の言うとおり、おおむね「スケッチ」的な作品であり「作為(作り物)としての小説」ではない。「写生」なのだ。それは「色紙にさらりと描いたスケッチ」のようなものであり、その1枚を床の間に飾って鑑賞する分には、とても趣きがあって魅力的だ。
しかし、そうした色紙を百枚集めて、びっしりと貼り並べて鑑賞した場合、それは百倍の魅力を発するだろうか。無論、そんなことはない。ただ、雑然としてうるさくなり、個々の「淡白な魅力」は、その「物量」の中に埋没して打ち消し合い、何の魅力も持たない「雑多な塊」と化してしまうのである。
同じことを、別の喩えで説明しておこう。短歌や俳句などを書籍にする場合、1頁につき、せいぜい4つほどしか載せないのはなぜか。理由は同じである。そんな余白ばかりではもったいないからと、改行もなく頁いっぱいに作品を詰め込んで印刷したとしたら、文学に馴染みのない若者は「お得だ」と思うかもしれないが、普通の読者は興ざめするばかりだろう。そんなものでは、とうてい「鑑賞」できないからである。
つまり、長編『暗夜行路』とは、読むに堪えない「淡彩画の寄せ集め」でしかないから、どうしようもなく「退屈」なのである。
そこには全編をつらぬく「背骨」としての「思想」や「テーマ」といった「作為」が無く、つねに「その場かぎりの主観」の「写生」が、統率(という作為)もなく、並べられているだけなのである。
この長編の魅力とは、せいぜい志賀直哉という人を知るための「参考資料」になる、といった程度のことで、「小説」としては「結構を欠いた、だらしない凡作」に過ぎない。
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それにしても、志賀直哉の「文学観」は、どうしてこうも「自堕落な自然主義」になってしまったのだろうか。
どうして「作為」を嫌い、「作り込まれた小説」を「下作」であると感じたりするのだろうか。どうして「創作」の面白さが分からないのだろうか。
それは、彼が「子供の無邪気な純粋さを愛し、自身子供たらんとした人」であったからだ。
志賀直哉のデビュー前短編「菜の花と少女」はほとんど「童話」であるし、志賀直哉という「私小説作家」のイメージとは関係ないところで高く評価される「清兵衛と瓢箪」や「小僧の神様」といった作品も、ほとんど「童話」であって、作者の子供に対する視線はとても温かい。
これ等の作品は、「私小説」ではなく、完全な「作り物(フィクション)」で、その意味で「作為=反自然」なのだが、「小説」としては成功している。それは、志賀の文学観に反しているにもかかわらず成功しているのだが、それはなぜか。
一一無論、そこには志賀直哉の「子供の無邪気な純粋さ」への「憧れ」が、まっすぐに反映されているからであり、その意味では「作り物(フィクション)」ではあっても、「作為」で作られたものではなかったからである。
志賀直哉の「子供の無邪気な純粋さへの憧れ」というものは、例えば「児を盗む話」のような「フィクション」作品だけではなく、「私小説」においてもハッキリとその魅力を発している。
志賀が子供を描いた作品は、多かれ少なかれ子供に好意的であり、ましてやその晩年に、自身の子を描いた諸作は「親バカな程の愛情に溢れた作品」となっていて、その描写は読者を微笑まさずにはおかない。
つまり、すでに指摘したとおり、志賀は「無邪気・純粋」ということに憧れており、「大人」になることを「作為に汚されること、不純になること」だと感じているから、「大人になることを拒絶」しているのである。
「大人になることを拒絶」して「子供のままでいようとする」から、彼は「我が儘」であり「独善的」であり「他者を思いやらない」。「子供」は、自己中心的であり、他者になど配慮しないからこそ「無邪気・純粋」なのだ。
変に他者のことを勘ぐって、あれこれ策を弄したりしない。つまり、そこには「作為」が無い。ただ「自然」に自分の「主観世界」を生きているからこそ、「子供」は「無邪気・純粋」なのだ。
そして「ソウイウモノニ ワタシハナリタイ」と願った結果が、彼の「反・作為」の「自然主義」であり「写生的文体」であり「独り善がりのクソ野郎」ぶりなのである。
志賀直哉は、「無邪気・純粋」であろうとして「思考=作為」を放棄した。つまり「考えない」のである。考えることは、作為であり、不純であり、偽物だから、そんなものは「文学=芸術」ではないので、俺はそんなものにかかずらわない、というのが「志賀直哉の論理」である。
実際「考えたって、本当のことは分からないし、ろくな結果にはならない」という「志賀直哉の断念」は、「范の犯罪」や「剃刀」といった「作為的・名短編」によく表れている。
ナイフ投げの芸人の范が、その技によって、舞台の上で妻を殺してしまった際、そこに「殺意」があったのか無かった(事故な)のか。そんなことは、いくら考えても答の出るものではない。なぜなら、そこでは「無意識」が問題となってくるからで、殺意があったと言えばあったし、無かったと言えば無かったとも言え、どちらか一方に決めることなどできないからだ。つまり、事実は「それそのまま」であって、その奥の「真相・真実」などというものは無く、それを見た気がしたとすれば、それは「作為的な幻想」にすぎない。私たちがやれるのは「事実」を事実として認めることだけであって、真相を探ろうとすれば、どこかで「無理」という「不純物」が紛れ込まずにはいないのだ。一一これが、志賀の「自然主義」なのである。
「剃刀」についても同様で、「毛ぞりの技術に自負を持つ、完璧主義の床屋が、体調不良にも関わらず完璧な仕事をしようとして無理をする。そのあげくに犯した小さな失敗に絶望して、すべてをぶち壊してしまう」という小説なのだが、これは「考えすぎて悩んだあげく、自殺してしまう小説家」の話だと読んでもいいだろう。志賀直哉の目には「芥川龍之介の死」は、このような「愚行」として映っていたにちがいない。だから、志賀は「下手の考え休むに似たり」と、「考える」などという「作為」を拒絶するのだ。
当然、「考えない志賀直哉=疑似子供としての志賀直哉」には、「説明」ということができないし、その必要も感じない。「説明」とは、たいがいは「他者への説明」であるし「他者に理解を求める」行為だが、それは如何にも「不純」である。「言い訳がましい」し、もとより「作為」であるから好ましくない。
したがって、志賀直哉には「自覚された思想や思考が無い」。あれやこれやを貫く「観念の背骨」が無い。そんなものは「不純」だから必要ないと思っているのだが、だからこそ彼は、人間的には「独り善がりのクソ野郎」でしかないし、「長編小説」が書けない。
志賀直哉には、ドストエフスキーのような「壮大かつ深い小説」は絶対書けない。同様に、志賀の対極的小説家である大西巨人の『神聖喜劇』のような小説を書くことはできない。志賀なら「そんなもの書きたくない」と言うだろうが、それは志賀が「子供」でしかなく、「大人」の小説を理解し得ないからでしかないのだ。
「大人になる」ということは、「世界を広げる」ということであり、それは「他者の世界をも取り込むことで成長する」ということである。
たしかに「他者の世界を取り込む」ということは、志賀の言うとおり「他者に染まる」ということであり「不純」ではあろう。しかし、自身に取り込まれた「他者」は、いつまでも「他者」のままでありつづけるわけではないし、そんなことは不可能だ。
つまり「取り込まれた他者は、適切に消化されるならば、私の血となり肉となって私を再構成し、その結果、私は、前とはまた違った、ひと回り大きな、純粋な私に成長している」ものなのである。それが「成長」なのだ。
志賀直哉の根底にあるのは「無邪気・純粋」への憧れであり、それ自体は悪いことではないようだが、志賀の場合、それが病的な「成長拒否」となっており、だからこそ自己を適切に「拡張」できず、したがって「他者」を思いやることができない。夫の不倫に苦しむ、妻を思いやることもできないのだ。
一方、志賀の微笑ましい「子供好き」は、所詮「ナルシシズム」の域を出ない。志賀の描く子供は「純粋な私(自身)」の反映でしかないのである。だから、志賀は徹頭徹尾「小さな私のことしか書かない」し「書けない」作家なのである。
「思いやりの欠如」とは「想像力の欠如」である。つまり、志賀直哉には、想像力が無い。だからこそ、外面的「描写」が冴えるのである。余計のことは考えずに、見たものを「写生」する。
しかし、むろんそれは「客観的な描写」などではない。彼は、その「本物の自然」という「混沌」を、自分好みに「純化」する。「不純なもの=余計なもの」を「排除」して純化するからこそ、彼の描く世界は「簡潔清澄」なのである。
したがって、志賀直哉は「小説の神様」などではなく、「神様小僧」でしかない。
それを「微笑ましい」と評価するか「グロテスク」だと評価するかは、もとより「読者の好み」の問題でしかないのである。
初出:2029年4月1日「Amazonレビュー」
(2021年10月15日、管理者により削除)
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