永江朗 『私は本屋が好きでした あふれるヘイト本、 つくって売るまでの舞台裏』 : 君もあなたも 〈アイヒマン〉か〈傍観者〉
書評:永江朗『私は本屋が好きでした あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏』(太郎次郎社エディタス)
自慢するわけではなく、事実として私は「読書家」であり、読書が大好きな人間だ。当然、新刊書店も古本屋も大好きなのだが、しかし、いわゆる「本屋もの」「古本屋もの」の本は、フィクション、ノンフィクションを問わず、ほとんど読まない。昔はいくらか読んでもみたが、なにやら「読書家のマスターベーション」的な気配があって、だんだん敬遠するようになっていった。
要は「読書家の読書家自慢ほど、(非知的で)みっともないものはない」という気持ちが、私には強い。
と言うのも、読書家というのは、本を読んでいるのだから、知性に自負を持っているのは当然のこととして、だからこそ、それをことさらに自己確認するような行ないは「みっともない」と感じられるのだが、しかし「本屋もの」「古本屋もの」の本を読みたがる読書家には、その気配が感じられるし、しかもそのことへの無自覚に発する一種の「鈍感さ」をも感じるのである。
無論、考えすぎかも知れないし、邪推に過ぎるかも知れないのだが、しかし、そのくらいの想像力も働かないような読書家の読書とは、いかがなものかとも思う。
だから私は、普通「本屋もの」や「古本屋もの」を読まない。「同じ本好き(本読み)として、よくわかるよ」といったような「共感」を殊更に示すことで、自分の読書家ぶりをアピールするような態度は、あまりにも馬鹿っぽくて、およそ読書家の名に値しない者のすることとしか思えないのである。
しかし、本書は違った。
そういう「仲間内で頷き合い、ほめ合う」ような本ではないと、すぐにわかった。
『私は本屋が好きでした』もいう「過去形」のタイトルからは「あんなに好きだったのに、今ではそうではなくなってしまっとことが、たまらなく悲しい」という気持ちが、ひしひしと伝わってきた。
そして、サブタイトルには「ヘイト本に関する本屋(書籍業界)の加担の現実」という、その悲しみの理由が示されていた。
著書は、ヘイト本が書店で、目立つほどに並んでいる現実を「やむを得ないこと」として「容認」してはおらず、それを批判している。要は、「本屋の味方」として「本屋をかばう」のではなく、「本屋を批判している」のである。「本好き・本屋好き仲間との、馴れ合い的な相互容認」を拒絶しているのだ。
出版関係者を含めて、本屋関係者から嫌われ疎まれるのも覚悟の上で、それでも「本屋のために」言わなければならないことは言おう、というそんな覚悟が、その悲しみと共に、タイトルからひしひしと伝わってきた。
だから私は、この本を買わなくてはいけないと思い、即座に購ったのである。
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本書には、ヘイト本が作られ本屋に並ぶまでの過程に関わる、出版・流通を含む業界関係者へのインタビューが挿入されており、著者の考察の裏づけとなっているのだが、実際、喜んでヘイト本の存在にかかわっているという者は、一人もいない。だが、結論としては「それも仕方がない」という人が大半だ。
仕事として「書籍の出版・流通・販売」にかかわっている人たちは、「背に腹は代えられない」ので、ヘイト本の流通を断固拒絶阻止するといった、積極的な行動に出ることはない。そして、その多くは、やがて「ヘイト本にも存在価値はある」とか「本屋は、選択肢を制限してはならない」などといった、もっともらしい「自己正当化による観念的自己回復」によって、自身の「不作為による現状追認」から目を背け、「自身の実像」からも目を背ける。一一著者が『出版界はアイヒマンだらけ』(P170)と評する所以である。
したがって、あなたが「本物の本好き」だと言うのなら、本書の問題提起と真摯に向き合い、自分に何ができるかを、本気で考えるべきである。
例えば、本書を書店の目立つところに移動させるくらいのレジスタンスなら、命まではとられないからやってみるといい。
これはジョークではない。そんなことすらも出来ないで、
ということだ。
これなど、まったく反吐が出そうなほどの「知識人ごっこ」「評論家ごっこ」的なセリフなのだが、しかし、これを地で行くしかない能のない人も多かろう。だが、それではいけないのだ。
私たちに出来ることはかぎられている。しかし、それをやろう。考え抜いて、やれることをやろう。著者にエールを送ろう。「抵抗の火を消してはならない」ではなく、私たちそれぞれが、本物の「本読み」の誇りにかけて、ひとつの「火」となって戦うべきだ。やれることは必ずある。
初出:2019年12月18日「Amazonレビュー」(限定版)
2019年12月18日「アレクセイの花園」(完全版)
(※ Amazonに掲載された「限定版」の一部「削除」部分は、政治的な立場から、当該書籍を読まないで酷評を投稿する人たちを具体的に批判した部分ですが、Amazon運営より「掲載できない」ともメールが届きましたので、当該部分を「削除」して再投稿したものです。本ページでは「引用」の網かけで示しています)
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