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琴柱遥 「夜警」は、日本SF史に残る と保証する。 : 伴名練編 『新しい世界を生きるための 14のSF』

書評:伴名練編『新しい世界を生きるための14のSF』(ハヤカワ文庫JA)

タイトルに結論を書いてしまったから、前振りは簡単に済ませよう。
本書は、日本SF界の「近未来」を担うことが期待される新人作家たちに限定した、傑作短篇SFアンソロジーである。
編者・伴名練によれば、次のようになる。

『 本書は、ここ五年間に発表されたSF短篇の中から、作家・伴名練の考える傑作を選りすぐった一冊だ。ただし、基本的に「二〇二二年五月時点で、まだSFの単著を刊行していない」作家限定で選出している。それゆえ収録作家の中には、SFの短篇賞を獲ってデビューしてまだ二、三作を執筆しただけ、という者や、同人誌にのみ作品が掲載されていて今回が商業デビュー、という者さえいる。一応、別ジャンルでは既に著名な書き手もいるが、SFについては挑戦を始めたばかりという人たちなので、執筆陣全員が「売出し中の新人SF作家」ということになる。』

本書を手にとるような人なら、編者の伴名練の紹介など必要ないだろうが、簡単に言えば、優れたSF作家であると同時に、鬼のようにSFを読んできた人で、その教養を生かしたSFアンソロジストとしても名高い人だ。

で、そこに私個人の評価を付け加えるなら、この人は、非常に真面目で誠実(つまり正直な人)で、そんな人柄が小説作品に表れているのは無論、今回の作品選びにもよく表れている。

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そんなわけで「ピチピチした若手作家の、勢いのある作品を読ませてもらおうか」と意気込んだ私だったが、一一正直に言うと、少々期待はずれな部分も少なくなかった。

と言うのも、たしかに、みんな上手いし、それぞれの完成度も高いのだが、しかし、新人らしい型破りさや熱気が足りない。
少なくとも、私はそう感じた。どこか、手堅くまとまっていて、優等生的に完成度の高い作品が多いのだ。つまり、まさに「今どきの子」の作品なのだ。

もちろん、若い読者なら、このアンソロジーを、その「水準の高さ」において楽しむことができるだろう。
だが、私のような、スレッカラシの小説読者だと、もう今更、85〜90点の小説なんか読みたくないのである。
私が読みたいのは、誰もが100点をつける作品か、でなければ、人のよっては100点をつける人もいれば、マイナス100点をつけるような、そんな前代未聞の作品が読みたい。私に残された時間は、少ないからだ。

無論、皆さん若手作家なのだから、これからも成長して、この先すごい傑作を書くのかもしれない。ことに、本書は短編集だから、長編で大傑作を書く人が出てくるのかもしれない。
しかし、私は、日本SF界の将来にまで責任を負うような立場の人間ではないので、若手であろうとベテランであろうと、いま目の前に提供された作品が、すべてなのである。一一だから、平均点90点の作品集など、読みたくはなかったのだ、が…、そうした評価が、最後の一篇で覆された。まさに、本格ミステリ的「どんでん返し」である。

言うまでもなく、その作品とは、琴柱遥「夜警」だ。

くどくどと説明する必要はない。この作品は、間違いなく、日本SF史に残る傑作短篇になる。
私個人がそう評価するだけではなく、また選者の伴名練がそう評価するだけでもなく、絶対に多くの人がこの作品を、心に残る作品として評価するだろうし、だから「日本SF史に残る傑作短篇」になる、と言っているのだ。

この、最後に収められた作品「夜警」を読んだ時、私は「やられた!」と思った。

どう「やられた」のかと言うと、編者である伴名練に、最後の最後で「どうだ!」と切り札を切られ、「参りました」と負けを認めなければならない、そんないささか意地悪な作戦に、私はまんまと「してやられた」と感じたのである。

そう言えば、伴名練は、上の「序」文に、

『とはいえ読者の方へ先に申し上げておきたいのは、どの作品から読んでも構わないので、好きな順に好きなものを好きな時に読んで欲しいということ。

 分厚いアンソロジーだと、読み切れない読者が出て後ろの方の作品だけ読了数が少なくなるため、感想の数も減りがちである。ついこの間六八〇ページあるアンソロジー(『異常論文』)の巻末に置かれた作者本人の言うことなので間違いない。』

と思わせぶりな「伏線」を張っていたし、ご丁寧にも『どの作品から〜読んで欲しい』の部分をゴシック強調し『後ろの方の作品だけ読了数が少なくなるため、感想の数も減りがち』とまで書いていた。

要は、伴名練が、ここで特に意識していたのは、最後に持ってきた「夜警」だったのである。

頭から全部読んだ読者は、最後の最後のダメ押しで「やられた!」と唸り、拾い読みの読者にも、この「夜警」だけは絶対に読んでもらわないと困る。伴名練はそう考えて、このような強調をしたのだろう。

無論、編者である伴名練としては、他の収録作家の手前、「夜警」だけを別格扱いにすることはできない。少なくとも、それを公言することはできない。だから、このような書き方になったのだろうが、私は、そんな配慮など必要のない一読者なので、ハッキリと言わせてもらう。

琴柱遥は「夜警」は、本アンソロジーにおいて「別格の傑作」であるばかりではなく、「日本SF史に残る傑作短篇」である。
だから、この一編のためだけでも、本書を1500円払って購入する価値はある。だから、買え。買うべきだ。
で、「夜警」を読んで楽しめなかった読者は、もう小説を読むのはやめた方が良い。「あなたには、小説読みは向いていない」と助言しておきたいと思う。一一「夜警」は、それほどの、まごうことなき「傑作」なのである。

このようなわけで、私はこの、まったく新人作家・琴柱遥の「夜警」一篇だけでも、本書を購読した価値が、十二分にあったと思うし、この作品を紹介してくれた伴名練に、心から感謝したい。

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その上で、あえて最後に言っておきたいのは、「夜警」の作者・琴柱遥に「とにかく書き続けろ」ということだ。

というのも、こうした才能ある作家が、早いうちに筆を折ってしまうことも、決して珍しくはないからだ。「あんなに才能があったのに」と惜しまれながらも、自ら小説書きをやめて去っていく才能も、じつのところ珍しくはない。一一私はそれを、何より危惧する。

なにも、わざわざ縁起の悪い話をしたいわけではなく、それほど私は、「夜警」の琴柱遥の才能を買っているのだと理解してほしい。
プロとして作家を続けていくことは、決して容易なことではない。
よく言われるように「好きなことを仕事にすべきではない」という言葉は、かなりのところ正しいと思う。
だが、琴柱遥には、才能が枯渇するまで、書いてほしい。

もはや、あなたの才能は、あなた一人のものではない。

一一是非とも、そう伝えておきたいのだ。

(2022年7月3日)

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