ジーン・ケリー、 スタンリー・ドーネン監督 『雨に唄えば』 : ミュージカル映画ナンバー1作品
映画評:ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン監督『雨に唄えば』(1952年・アメリカ映画)
まあ、とにかくスゴイ傑作である。まだ見ていない人には、「とにかく見ろ!」と言いたい。
特に映画ファンでなかった私でも、本作主題歌の「雨に唄えば」は知っていたし、主演のジーン・ケリーが、雨の鋪道をこの歌を歌いながら踊るシーンはくらいは知っていた。
なんで知っていたのかというと、この曲は、昔からよく日本のテレビコマーシャルに使われたし、このダンスシーンのパロディやモノマネも、幼い頃にテレビで何度か目にしていたからである。だから、本家本元を見ていなくても、なんとなく「知っている」という感じはあったのだ。
そして、そんな私が、この映画を今日まで見ていなかったのは、私は基本的に「ミュージカル」には興味がなかったからだ。
私の場合、どちらかというと、重くて暗い作品が好きなので、映画ではなく活字、つまり文学派だったのであり、そんな私だからこそ、たまにみる映画の多くは、逆に娯楽に徹した作品、特にSFヒーローアクションものなどが中心だった。例えば、スーパーマンやバットマン、あるいはマーベル・ヒーローものといった感じだったのだ。
また、それ以前に、私の場合、映像作品としてはアニメが好きで、そっちを優先していたので、そもそも実写映画には、あまり興味がなかった。そして、そのあまり興味がない実写映画の中でも、特に興味がなかったのが、ミュージカルだったのである。
では、どうしてミュージカルに興味がなかったのかといえば、それはたぶん、私の好みが「重厚」指向だったからで、ミュージカルはその真逆だったからである。
ミュージカルは、「華やかで軽やかで明るく」そして「女性的」だという印象が、私には抜き難くあったのだと思う。だから、はなから興味が持てなかったのだ。
だが、その興味の無さが、多少なりとも修正されたのは、2016年に大ヒットしたミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』(デイミアン・チャゼル監督)を見たためだ。
この作品は、アカデミー賞作品賞の候補にも挙がったが、残念ながら作品賞の受賞には至らなかった。私自身は「どうして、これが受賞しないんだ」と腹を立てたほど、この作品に惚れ込み、おのずとミュージカルというジャンルも見直したのである。
では、そもそも、なんでミュージカル映画である『ラ・ラ・ランド』を見にいく気になったのかといえば、それは、デート用の映画だったからだ。
しかしまた、その頃はまだ、映画自体にはそれほど興味がなく、年に数本程度しか見なかったから、『ラ・ラ・ランド』が良かったからと言って、古いミュージカル映画まで見ようとは、考えもしなかったのである。
ところが、一昨年の2022年に、ジャン=リュック・ゴダールの映画(『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』)を初めて見て「なんだ、こりゃ?」と思ったことから、本格的に映画に興味を持つようになった。
映画が好きになった、のではなく、映画に興味を持ったのだ。
活字の方では、それなり難解な本や前衛的な小説も読んできた私としては、言うなれば「映画ごとき」に「理解不能な作品」のあったのがショックであり、その意味で、そのままで済ませるわけにはいかなかった。つまり、理解できないままでは済まされなかったので、ゴダール作品を見るだけではなく、映画マニアであるゴダールを理解するためにも、映画全般を知らなければならないとそう考えて、ゴダール周辺の「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品は無論、古いフランス映画や古いハリウッド映画まで見るようになったのである。
だから、ゴダールが映画の中で、パロディともオマージュともつかないながらも、しばしばモチーフとして用いられる、ハリウッドのギャング映画やミュージカル映画なども、有名作品はひととおりは見たいと考えた。
そして、その流れで見た、最初のミュージカル映画は、ジャック・ドゥミ監督『シェルブールの雨傘』(1964年)であった。
この映画は、その制作年からもわかるとおり、ハリウッド・ミュージカル映画最盛期の作品の影響を受けた、ぐっと新しい作品である。
では、なぜ、この作品から見たのかといえば、それはドゥミ監督が、ゴダールと同じフランス人であったこと。そして、この映画の主題曲が、世界中で大ヒットした名曲であり、私も子供の頃に、耳に焼きつくくらいあちこちで聞いていたものだったからである。
つまり、主題曲と映画のタイトルだけはよく知っていたから「この際、この映画も見ておこう」と考えたのだ。
で、『シェルブールの雨傘』が、出来としてどうだったのかというと、「主題曲は、きわめて素晴らしい」が「ミュージカルとしては、まあまあ」で「映画としても、悪くはない」といった感じで、はっきり言うと「やや期待はずれ」であった。
つまり私としては、『ラ・ラ・ランド』の方が上出来だと感じられ、そのため「古いミュージカル映画の名作って、この程度のものなの?」と、そんな疑いさえ抱いたのである。
だが私は、「見なくてはいけないミュージカル映画の古典」として、『シェルブールの雨傘』と同時に『雨に唄えば』の中古DVDも買っていた。だから、いずれ見なければとそう思いつつもずるずると先送りにしているうちに、今度は、思わぬところから同作を「見たい」と思わせる作品に出会った。
それは、スタンリー・キューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』である。
キューブリック監督については、1978年のリバイバル上映時に映画館で見た『2001年宇宙の旅』に衝撃を受けて、すぐに『フル・メタルジャケット』を見たのだが、これがあまり感心しなかったので、結局その時は、この2作でキューブリックから離れてしまった。なぜ、その際『シャイニング』でも『時計じかけのオレンジ』でもなく『フルメタル・ジャケット』だったのかといえば、私は子供の頃「戦車模型」作りが趣味の一つだったので、「戦争映画」だけはそこそこ見ていたからである。
で、いったんは離れたキューブリックだったのだが、ゴダール・ショックのせいで映画を見るようになったので、ひさしぶりに『2001年宇宙の旅』を見直したところ、やっぱりすごい作品だったので、前回は見なかったキューブリック作品を見ようと思い、気になっていた『シャイニング』『時計じかけのオレンジ』『博士の異常な愛情』の3作を見たのである。この3作に共通するのは、「ホラー」や「SF」といったジャンルを扱っている点である。私は小説の方で、そうしたものが結構好きだったのだ。
で、本稿に関連するのは、『時計じかけのオレンジ』だ。この作品には、『雨に唄えば』のパロディシーンが登場するのである。
上の『時計じかけのオレンジ』のレビューから、そのシーンに言及した部分を引用する。
このシーンは、もともとは主人公のアレックスが、仲間と共に小説家とその妻に、当たり前に暴行を加えるだけだったのだが、キューブリックがそれでは物足りないと感じて、何かアイデアはないかと尋ねたところ、アレックス役のマルコム・マクダウェルが「ふざけた感じに、踊りながら暴行を加えるというのはどうだろうか」と提案し、キューブリックに「何が踊れる?」と尋ねられて「『雨に唄えば』のジーン・ケリーならやれるよ」と提案してそれが採用された、という経緯のようである。
後年、マクダウェルは、何かのパーティー(アカデミー賞授賞式?)で「ジーン・ケリーを見かけたので挨拶しようとしたんだけど、目を逸らされてしまって挨拶ができなかった」と述懐している。マクダウェルとしては、『時計じかけのオレンジ』で『雨に唄えば』のパロディをやったのは、決して『雨に唄えば』を軽んじていたからではなく、むしろ好きな映画だからこそ真似して見せることもできたわけなのだが、ジーン・ケリーにしてみれば、自分の代表作が「汚された」と感じたのだろうと、マクダウェルは語っている。
そんなわけで、もともと「見なければ」とは思っていた『雨に唄えば』に対する興味が、このことでも強化されて、やっと昨日になって見ることができた、という次第である。
なお、『雨に唄えば』と直接の関係はないが、ゴダールの初期作品『女は女である』は、いちおうのところ「ミュージカル・コメディ」に分類されている作品で、ミュージカル女優に憧れるヒロインのアンジェラをアンナ・カリーナが演じているのだが、そのアンジェラが、自分の考える、ミュージカル映画の理想のキャストとスタッフという意味で、
と叫ぶシーンがある。
私の場合、この『女は女である』を見たのは、初めてゴダールを見てから1ヶ月ほどしか経っていない頃だったので、まだ映画にも無知ならミュージカルも無知だった(今でも無知だが、)ので、ジーン・ケリーの名前だけは知っていたが、シド・チャリシーとボブ・フォッシーの名は、初耳だった。
したがって、ここでアンジェラが、どのような映画を想定して、このキャスト&スタッフがベストだと言っているのかはわからなかったのだが、この時にも、ジーン・ケリーの名が、記憶に刻みつけられたのは確かであった。
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そんなわけで、やっと『雨に唄えば』なのだが、結果は冒頭に書いたとおりで、
ということになる。
2年前のゴダール・ショック以来、古典的な名作をいろいろ見てきて、多くの作品について「なるほど、歴史的な傑作だというのはわかる」というような感心をしたのは事実だが、本作のように「新旧を問わず、無条件に、すごい傑作だ」と言えるような作品は、これが初めてである。
つまり、理屈ではなく、とにかく映画としての迫力があり、文句なしに楽しいエンターティンメント映画であり、本作の中でも歌われるとおり、これこそがまさに「ハリウッド映画」だというような、光り輝く作品なのだ。
本作に匹敵するような、文句なしに面白いエンタメ映画というのは、ここ2年とは言わず、私のこれまでの人生の中でも、すぐには思い出せない。後で思い出すかもしれないが、今すぐには思い出せないのだ。
無論、私の好きな『ラ・ラ・ランド』でさえ、本作と比べると、明らかに見劣りがしてしまう。
私の中で、本作に匹敵するほど面白かった作品とは、例えば、ドルトン・トランボ監督の『ジョニーは戦場へ行った』だとか、クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』だとか、アニメ作品になるが高畑勲監督の『火垂るの墓』だとか、要は、徹底的に「重くて暗い」映画、つまり「エンタメ」という枠には収まらない重厚な作品しか、今は思い浮かばない。
つまり、私好みの「重くて暗い」作品、深いテーマ性と哲学の込められた作品なら思いつくのだが、『雨に唄えば』のような、本来なら私の興味の範疇にはない「エンタメ映画」で、ここまでのスケール感を感じさせるような作品は、他には思いつかないのである。
本作の「筋」自体は、いかにも「ミュージカル・コメディ」らしい、「ハッピーな恋愛ファンタジー」だし、また、そうでしかない。
だから、話の「筋」やその「内容」が本作を傑作にしているのではない。
その意味で「筋」自体は重要ではないのだが、本作を論じるために、以下に、ひととおりの「筋」を紹介しておこう。
要するに、サイレントからトーキーへの移行期であるハリウッドを舞台に、サイレントの映画スターであったドンと無名女優キャシーが、世間ではドンの恋人だと目されていた人気女優リナの妨害を乗り越えて、結ばれるまでを描いた作品、だとまとめられよう。
さて、当時「銀幕のスター」というのは、今からでは考えられないほど「神話化された存在」であった。要は、当たり前の人間だとは感じられないように演出され、そのことで特別な商品価値を与えられていたのだ。
スターと呼ばれた人たちは、まさに「夜空に輝く星」のように、はるか遠く輝く超越的な存在に仕立てあげられ、一般大衆からはそのようものに思われていた時代だったのである。
そして、ドンとリナのコンビは、映画の中で何度も恋人役を演じたので、オフでもそうであるかのように、世間には見せかけていた。要はそれも、「ファンの夢を壊さないため」だったのである。
今のアイドルファンには想像もできないことなのかもしれないが、昔の素朴なファンたちは、映画スターとは、日頃も映画の中と同じような特別な人間なのだと信じることで、その夢を膨らませていた。
だから、映画の中の恋人同士は、映画の外でも憎からず思い合う仲であるはずだと考えられたからこそ、人前ではそのように演出もされたのだ。つまり、ファンの前では、映画のなか同様の恋人同士であるかのような良好な関係を演じ、しかし、いったん楽屋に入ってしまえば、そっぽを向き合う仲なんてことも、当たり前にあったのである。
だが、ドンの場合は、人前ではそのように振る舞ってはいたものの、本音ではリナには興味が無かった。
なぜなら、彼がまだ無名のスタントマン時代に、すでに人気女優だったリナから、人並みの扱いをされなかったという苦い思い出があり、彼がスターになった途端、リナが手のひら返しで擦り寄ってきたことにも、当然のことながら、良い感情を持っていなかったからだ。
ところが、リナの方は、スターになったドンは、公私ともに自分の恋人であるのが当然だというような態度を採っていた。だが、その気持ちがどこまで本物なのかは、きわめて疑わしかった。例えば仮に、ドンがスターの座を失えば、彼女はドンからさっさと去っていくだろう、そんな女だったのである。
で、そんなドンが、ある時、たまたまキャシーと出会う。
モテモテのドンは、当然のことながら、キャシーも自分に靡くだろうと思ったのだが、キャシーは「あなたの映画は1本だけ見たから、名前だけは知っていたけど、そもそも私は映画には興味がないの。やっぱり、舞台演劇こそが本物の芸術よ。それにあなたのやってることなんて、所詮は声のないお芝居でしかないのだから、本当の俳優じゃない」というような、つれなく批判的な反応をして、ドンを怒らせる。ドンはキャシーに「君はさぞや、シェイクスピアなんかで、すごい芝居を見せてくれるんだろうね」といった皮肉をぶつけて、その日はそれで別れてしまう。
だが、キャシーの言葉には、ドンの胸に突き刺さるものがあった。というのも、ドンは、無名時代に鍛えた歌やダンスは得意なものの、演技そのものは特別に上手いわけではなく、まして声を出しての演技になど自信はなかったからだ。
しかし、その一方で、自分に靡かない、媚びてこないキャシーに新鮮な魅力を感じて、惹かれるものを感じてもいたのである。
そして、その後、ひょんなことからキャシーが、踊り子をして食いつないでいるだけの無名女優だというのを知り、ドンは彼女を揶揄いながらも、なんとか仲良くなりたいと接近を試み、徐々に彼女とうち解けていくのである。
さて、その頃ハリウッドでは、初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』が制作されて、大ヒットしていた。これは実在した映画である。
しかし、ドンとリナの所属する映画会社はもちろん、映画界の大半はまだ、旧泰然たる「サイレント」こそが映画であると、サイレント映画を作り続けようとし、ドンとリナの新作映画『闘う騎士』も、当初はサイレントで作られたのだが、これが試写会で「退屈・古臭い」という不評で、このままでは公開となり、急遽「トーキー」に作り直されることになる。
だが、そこで問題となったのが、ドンやリナの「訛り」であり、何よりリナの顔に似合わない甲高い「アニメ声」だった。
「訛り」は訓練でなんとかなるが、リナの声はどうにもならない。さらに、馴れない「録音」作業の難航もあって、やっとの思いでトーキーに作り替えてはみたものの、試写会での反応は「失笑の渦」。「これはコメディ映画なのか?」「最低のクズ映画」といった評判だったので、映画会社の社長は再び頭を抱えてしまい、ドンもこれで失職だと落ち込むのだが、その話を聞いた、無名時代からの親友であるコズモと、キャシーを交えた3人で相談する中で、映画をドンの得意なミュージカル仕立てにしてはどうかということになり、残る問題であるリナの声は、キャシーが吹き替えることになった。
また、リナのプライドを守るための要請として、キャシーの吹き替えは今作かぎりとして秘匿されることになった。
そして、こうした出来上がった映画『唄う騎士』は、めでたく大ヒット。キャシーも、同作ではクレジットされないかわりに、女優としてデビューするという約束になっていた。
ところが、リナは、自分のメンツと、ドンを奪われたことへの嫉妬から、キャシーを吹き替え専門の黒子に止めおこうとし、古い契約書を持ち出して、映画会社の社長を脅迫し、無理やり従わせようとする。
だか、最後はドンの計略により、リナの吹き替えは公然のものとなり、ドンとキャシーはめでたく結ばれる。一一と、こういうお話である。
さて、見てのとおりで、本作の「筋」自体は、いかにも1950年代の「古き良きハリウッド=古き良きアメリカ」的なハッピーエンド・ストーリーで、面白くないわけではないが、無難に当たり前だとも言えるものだ。だから、本作を「ミュージカル映画のナンバー1」にしているのは、こうした「筋」ではなく、それ以外の要素なのである。
では、その要素とは、具体的に何なのかというと、次のようなことになる。
まず、(3)から説明しておくと、リナの「アニメ声」と「訛り」に象徴されるように、なるほどサイレント時代の俳優には、「発生・発音」という「声」の魅力も演技も必要なかったという、当たり前と言えば当たり前の事実を、あらためて感じさせられた。映画がトーキーに変わって、それに順応できなかったサイレント時代の俳優が少なからずいたというのは、話としては知っていたが、この映画を見て、「なるほど」と納得させられたのである。
また、これも当然のことだが、ミュージカルというジャンルも、基本的にはトーキーになったからこそ実現できたという事実もある。たしかにサイレント映画にも「踊り」のシーンはあって、それに上映時に生で「音楽」がつけられることはあったが、映画の中で「歌って踊る」ということは、原理的に不可能だったのだ。
また、本作に描かれたエピソードとして、私が特に面白いと思ったのは、「アニメ声のリナ」に関するものだ。
リナを演じた女優ジーン・ヘイゲンは、当然のことながら本来は「アニメ声」ではない。役として「アニメ声」を演じていただけなのだが、本作の中で、キャシーがリナの声を吹き替えた映画のシーン(作中作)での、映画の中のリナの声は、じつは、ヘイゲンが「地声」で演じていた、というのである。
映画というのは、なんとも「トリック」に満ちたものだと、あらためて感心させられるような、これはいかにも愉快なエピソードではないだろうか。
ともあれ、本作最大の魅力は、なんといっても(1)の「歌と踊り」だ。
私は、これまでミュージカルにほとんど興味を持たなかったことからも分かるとおりで、歌にもさほど興味がないし、まして踊り(ダンス)には、まったく関心がなかった。
よくよく考えてみると、『ラ・ラ・ランド』が好きなのも、「歌と踊り」が気に入ったというよりは、むしろ「ロマンティックな悲恋映画」として気に入り、その上で「歌と踊り」も「まんざら悪くはない」と、そう感じたというのが、実際のところだったのだ。
だが、本作『雨に唄えば』の「歌と踊り」は、そんなものではなかった。
なにしろ『ラ・ラ・ランド』は、普通の人気俳優がダンスの猛特訓をして踊った作品なのだが、本作は、もとからダンスこそが本領のミュージカル俳優が、主役を演じたのだから、やっぱりそこには、格の違いといったものがあったと、そう言うべきであろう。
したがって、本作における「ダンス」は、まさに、その道のプロフェッショナルだけが持つ「人間離れした運動能力と、並外れた超絶技巧」に支えられたものであり、私などは「CGも背景とのデジタル合成も使わずにこれをやったのか。人間わざじゃないな」と、そう感心させられるほどのものだったのだ。
さすがに、ワイヤーくらいは使っているのだろうが、それにしても、今どきのワイヤーアクションのように「いかにも吊っています」といったものではない。そんな不自然さは皆無であり、もしかするとワイヤーを使っていないかもしれない、自然な「落下」を伴うダンスなのだ。
事実、「Wikipedia」には、本作の「ダンス」に関する「過酷な」エピソードがいくつも紹介されているが、特にここでは、コズモを演じたドナルド・オコナーに関するエピソードに注目してほしい。
いかにも「昔の映画界らしい」話題が並んでいる。
主演兼監督のジーン・ケリーは、もちろん「ミュージカル俳優」だけれども、それは単に「踊れる俳優」という意味ではない。
と、「Wikipedia」にあるとおり、「ダンサー」であり「振付師」でもある「ダンスのプロ」だったからこそ、この映画の監督でもあったのだ。
だから、その優しげな風貌にも似合わず、こと「ダンス」においては一切の妥協がなく、まさに「鬼」であり「暴君」でもあった。
そのため、新人女優でダンスの素人だったキャシー役のデビー・レイノルズに対しても妥協しないどころか、自分の期待水準に達しないというので、相当苛立っていたようなのである。
そして、そうした厳しさは、新人のデビー・レイノルズに対してだけではなく、すでにミュージカル俳優としての実績を持つ、コズモ役のドナルド・オコナーにさえ向けられていた。
とあるとおりで、当時の俳優は、基本的には所属する映画会社の作品に出演するものだったのだが、ジーン・ケリーの「完璧主義」によって、『ユニバーサル・ピクチャーズ所属のドナルド・オコナーが貸し出される形で起用されることとなった』のであり、言うなればオコーナーは「お客さん」であったはずなのに、それでもジーン・ケリーは、まったく遠慮も妥協もしなかった、ということなのである。
実際、いつも明るいお人好しのコズモは、映画の中では、天真爛漫に楽しげに「超人的なダンス」を踊って見せており、私などは「よく、こんなことをやって怪我をしないものだな」と感心したのだが、やっぱり怪我をしており、数日とはいえ入院までしていたのだ。
また、前述のとおり、映画自体に「ワイヤー」を感じさせるところはなかったものの、それでもごく自然な「落下」を伴うダンスだったので、私は「吊りではなく、命綱としてワイヤーくらいはしていたのではなかったか」とそう考えるのだが、実際『打撲・体を擦った火傷などの痛みや倦怠感から数日の入院生活』をしたというのだから、もしかすると、そんな「命綱」さえ無かったのかもしれない。それで、頭からコンクリートの床に叩きつけられでもしたら、入院どころか命にも関わったはずなのである。
だが、なにしろ「雨の中で、ずぶ濡れになりながらも、にこやかに踊る」という撮影に3日を要したかの名シーンでは、ジーン・ケリー自身が『39.4度の高熱をだしていた』というし、そういうエピソードなら、昔はままあったと考えるにしても、あのシーンでの踊りのキレは、体調不良など微塵も感じさせない、じつに見事なものだったのである。
さらに言うと、本作におけるジーン・ケリーの「ダンス」シーンは、なにもこの「雨に唄えば」のシーンだけではなく、ざっと、6、7回もあって、それぞれに違ったタイプのダンスを披露して見せていた。
そしてそのどれもが、見事な画面づくりと相まって、ダンスに興味のない私をさえ釘付けにしたのだから、ジーン・ケリーのダンスは、「素晴らしい」とか「美しい」とかいったレベルを超えた、まさに「圧倒的なもの」であり「超絶技巧的なもの」だと、そう表現せざるを得ないのだ。
そんなわけで、この映画のダンスシーンは、決して「雨に唄えば」の名シーンだけではないので、ぜひともそれらぜんぶを見てほしいし、ジーン・ケリーのダンスは、見ないことには想像もできない、並外れたものなのである。
ちなみに、こうしたダンスシーンのいくつかは、キャシー役のデビー・レイノルズとは別の女優をパートナーとしたものであり、「なぜ、ここでこの女優と踊るのか?」という疑問を、私にも抱かせた。
だが、これも調べてみると、あるシーンでは、ジーン・ケリーとこれまで何度も共演している、ダンスの得意な女優シド・チャリシーがケリーの相手役としてつとめているというのがわかった。『女は女である』で、アンジェラが叫んだ、あのシド・チャリシーだったのだ。
本作で、チャリシーは、ギャングの情婦である「悪の匂いを漂わす、謎めいた女」として、ケリーのダンスの相手役ダンスをつとめるのだが、これはきっと主役のキャシーの「明るくて可愛い娘」というキャラクターと被らないように、あえてそういうキャラクターにしたのであろう。と言うのも、元来チャリシーは、そういう「悪女」キャラで売った人ではなかったからである。
では、どうして、チャリシーは、キャラクターを変えてまで、そのダンスシーンのためだけに、ジーン・ケリーの相手役を務めたのだろうか?
それはきっと、まだまだダンスの素人だった、キャシー役のデビー・レイノルズでは、ジーン・ケリーがそのダンサーとしての本領を、存分に発揮することができなかったからであろう。
つまり、彼の本領を発揮すべく、この映画では、デビー・レイノルズとは別の、プロフェッショナルなダンスのできる女優を相手にしたシーンが幾つか組み込まれた、ということだったのではないか。これは、ジーン・ケリーの立場に立って考えれば、妥当な推測だと思う。
あと、ジーン・ケリーと共に監督を務めた、スタンリー・ドーネンもまた、もともとは「振付師」だった人である。
つまり、この映画は、徹頭徹尾「ダンス」のための映画であったと、そう言っても過言ではない作品だったのである。
しかしまた、それでも(2)の『明るくカラフルで煌びやかな、屈託なく美しい画面作りの迫力。』ということを、本作の魅力として挙げたのは、見てもらえば分かることだが、本作はとにかく、明るく華やかで美しい画面作りになっており、それがこの映画を、単なる「ダンスの凄さを見せつける」映画には止まらせてなかったからである。
言い換えれば、本作の絵作りは、舞台のダンスなどもそうであるように、ダンスの「超人的な技巧」だけが売り物なのではなく、その魅力を最高に引き立てる「舞台」としての「画面作り」を伴う作品、ということだったのではないだろうか。
「ダンス」というのは、あくまでも「非日常の身振り」であり、その意味では「身体によるファンタジー表現」であるからこそ、それを、この現実空間に定着させるためには、それ相応の「ファンタジー的な異空間」を設える必要がある。
本作の場合は、まさにそうした「異空間たるハリウッド」を徹底的に描いて見せたからこそ『明るくカラフルで煌びやかな、屈託なく美しい画面作り』になったのではないだろうか。
以上のような、あれこれの要素が総合されて、本作は「底抜けに明るく楽しく心温まるファンタジー」の世界を現出させることに成功した。
また、その空間規模の並々ならぬ大きさ豊かさが、本作を「ミュージカル映画ナンバー1」作品にしたのではないかと、私はそう見るのである。
そんなわけで、すぐというわけではないが、また、ジーン・ケリーの他の代表作や、彼と共に「ハリウッドミュージカル映画黄金期の二大スター」とも呼ばれた、フレッド・アステアの映画も見てみたいと思っている。
ともあれ、結論としては、『雨に唄えば』は絶対に見るべし、である。
(2024年8月14日)
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