長崎ライチ 『阿呆にも歴史がありますの』 : 濃厚きわまる〈詰め合わせ〉
書評:長崎ライチ『阿呆にも歴史がありますの』(BEAM COMIX・エンターブレイン)
長崎ライチの、主に、短命に終わった各種シリーズものをまとめた、バラエティーに富んだ短編集。
「短命に終わった」という点で、一般ウケしない作品も少なくなくて、のちに単行本の長さにまで続いた「紙一重りんちゃん」の原型シリーズが、本書中では、もっとも安心して読める作品となっている。
これまで、最新刊の単行本『紙一重りんちゃん』、長崎ライチのブレイク作『ふうらい姉妹』(全4巻)と読んできて、今回は残りの既刊2冊『阿呆にも歴史がありますの』と『地球に生まれちゃった人々』を読んだが、ここでは『阿呆にも歴史がありますの』について書いてみる。
本書のAmazonカスタマーレビューの多くは、単行本版『紙一重りんちゃん』が刊行される前に書かれたもののため、そのほとんどが『ふうらい姉妹』のファンによるものである。
そして、そうしたファンの感想は、「楽しめた」「『ふうらい姉妹』とはちょっと違った」「ちょっと怖かった」「読者を選ぶ作品」という、おおよそ4つのパターンにまとめることができる。
つまり『ふうらい姉妹』に比べると、呑気に笑ってばかりもいられない、かなり「狂気」の強い人物の登場する作品が多いのだ。
ここまで既刊7冊の作品集を読んだ上で言えば、長崎ライチの特徴は「狂気と無垢」とでも言えるのではないかと思う。
多くの人は、その「理性」によって、自分の感情を抑制して「社会」に適応しようとする。ところが、この「自己抑制による社会適応」の苦手な人たちを描いたのが、長崎ライチ作品なのだ。
さて、「理性による自己抑制」と言えば聞こえはいいが、換言すれば、それは「自己欺瞞」である。
自分の本当の気持ちを抑えたり偽ったりして、社会や他人に合わせることで、無難に生きるということなのだが、それがどうしても「嫌だ」とか「気持ち悪い」と感じたり、あるいは、そもそも「社会や他人が望んでいること」に鈍感な人たちが、ライチキャラだとも言えるだろう。つまり、彼らは「忖度」ができない人たちであり、その意味では自分の感情に正直で、嘘偽りがなく、その意味で「純粋」な人たちなのである。
しかし「社会」というものは、おおよそ「純粋」を嫌うものである。なぜなら、社会とは「いろんな欲望が入り乱れている複雑な構成体」だからで、そもそも「純粋」とは折り合えないからだ。
したがって、そんな「社会」の側からすれば、「純粋」であり「他者の気持ちを忖度しない」人たちというのは、「反社会的」であり「理解不能」な存在、ということになるから、「怖い」「危険」ということにもなる。彼らは、何の悪気もなく、この「社会」の「バランスのとれた欺瞞」を打ち砕く怖れがあるのだ。
例えて言えば、みんな黙っているからうまくいっていたのに、その空気を読まずに「王様は裸だ!」と叫んだ少年のようなもの。少年は、言わば「革命家」なのである。
無論、「社会」が腐敗堕落しないためには、ライチキャラのような「忖度しない」「ありのままを口にする」人間は是非とも必要である。そういった人がいないと、社会的に力を持つ者の「嘘」が、大手を振ってまかり通る、腐敗した世の中になってしまうからだ(例えば、安倍晋三政権下のお友達優遇政治など)。
だから、私たちは、ライチキャラのような「世間から浮く」ことを恐れない「鈍感さ」であり「純粋さ」の強みに憧れるし、それに「痛快さをともなう好感」を持つその一方で、そうした人たちの「無垢な視線」が、私たち自身の「汚れた心」に向くことを怖れてもおり、そうした忖度のない「率直さ」を、「反社会性=狂気」として怖れることにもなる。
なぜ『紙一重りんちゃん』や『ふうらい姉妹』が、多くの読者に愛されたのか。
それは無論、りんちゃんは「紙一重」で「社会」の中に止まっている存在だからだし、ふうらい姉妹の場合は、「狂気」ではなく、「阿呆」の範疇に止まっていると認識されたからであろう。
つまり、彼女たちが、読者である「薄い汚れた私たち」を切り裂く怖れはないから、私たちは、彼女たちの「無自覚な寸鉄」を楽しむこともできるのである。
そうした意味で、本書『阿呆にも歴史がありますの』に収められた作品の多くには、「紙一重」で「狂気」の側に立っている人たちや、私たち読者に向けても、その「無自覚な寸鉄」を向けてくる人たちが描かれている。だから怖い。
しかし、そこまで行かなければ「面白くない」という読者も少数ながらいるし、「それでこそ長崎ライチなのだ」と、その「危険」な作家性を正しく評価している読者は、その「怖さ」を引き受けることになる。そんなわけで、本作品集へのファン読者の感想は、おのずと「楽しめた」「『ふうらい姉妹』とはちょっと違った」「ちょっと怖かった」「読者を選ぶ作品」といったものになるのだ。
(2021年11月30日)
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