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未生の赤江瀑と〈時代の空気〉 : 詩世紀の会 『詩世紀詩集 1955年度版』

書評:詩世紀の会(長谷川敬=赤江瀑ほか)『詩世紀詩集 1955年度版』

異色作家として知られる赤江瀑が、作家デビュー以前に参加していた「伝説の同人誌」。一一このように言ってしまっては、あるいは語弊があるかも知れない。私は詩歌の世界には疎いので、同人誌「詩世紀」が、斯界で占めた位置というのをよく知らないのだが、一般の読書家で「詩世紀」の存在を知っていたとすれば、それはたぶん、赤江瀑との関連においてなのではないだろうか。
赤江瀑と「詩世紀」の関係については、『「詩世紀」における長谷川敬(赤江瀑)』(彩古、花笠海月)という研究同人誌も刊行されている。

『 1950年から1962年にかけて刊行された「詩世紀」という詩誌があります。早稲田大学出身の服部嘉香を主宰として創刊。第一次100号、第二次8号が刊行されました。
 赤江瀑さんは1952年から1962年まで寄稿されています。「詩世紀」のアンソロジー本にも参加されています。小説家としてのデビュー前です。』(花笠海月)

ここで紹介されている『「詩世紀」のアンソロジー本』こそ、本書『詩世紀詩集 1955年度版』である。

赤江ファンが「詩世紀」の存在を知ったのは、名作ミステリ『虚無への供物』(1964年)で知られる、中井英夫のエッセイにおいてであろう。中井は、自身のデビュー作『虚無への供物』に、赤江瀑(長谷川敬)をモデルとした、学生歌人・氷沼紅司を登場させているが、これは赤江瀑デビュー(1970年)以前の話である。

中井は、自らも詩作や歌作をする一方、『短歌研究』誌の編集者を務めるなど、詩歌に詳しい人物だったので、「詩世紀」もチェックし、そこに寄稿する長谷川敬(赤江瀑)に注目したようで、のちに長谷川敬が「赤江瀑」として小説家デビューした際に、「あの長谷川か」と気づいた、ということになっている。
しかし、これがどこまで本当の話かは、にわかに定かではない。と言うのも、中井英夫は、三島由紀夫なども参加した会員制ゲイサークル「アドニスの会」の会誌『アドニス』にも寄稿していたので、そちらの方でデビュー前の赤江瀑と、何らかの接点があった可能性も低くはないからだ。

そんなわけで、赤江瀑や中井英夫のファンである私は、当然、赤江瀑デビュー前の詩作にも興味があった。「赤江瀑は、デビュー前から、どのくらい赤江瀑だったのか」といった興味である。
赤江瀑は、濃厚な個性をもった作家なので、きっと昔から同じようにハッキリとした濃厚な耽美性を漂わせていたのだろうと予想して、その確認のために本書を入手したのである。

結論から言えば、赤江瀑はやはり赤江瀑であった。
「日ざかりのうえをしたを」とか「悪魔執着」「古典のうづ」といったタイトルなどは「いかにも赤江瀑」であり、そこに意外性というほどのものは何もなかった。

そうした意味では、赤江瀑の作品そのものよりも、他の同人たちの作品の方が、むしろ興味深く読めた。
私は「詩歌オンチ」を自認する人間なので、それらが詩歌としてどれほどの作品なのかはわからないし、赤江瀑の作品を含めて、特別に惹かれることもなかったが、しかし、それらの版面に漂う「時代の空気」にだけは、たしかに惹かれたからである。
それは、かつて接した安部公房の初期作品にも似た、高度経済成長以前の戦後日本の、まだどこか薄暗く、微かに饐えた臭いの漂う生活空間の空気と、それを祓おうとでもするかのような、潔癖な高度経済成長的モダンさの予兆とが交錯する世界だった。

赤江瀑は、そんな「戦後日本」の作家であった。だが、それにもかかわらず、赤江瀑個人には、そうした「時代や社会」に対するこだわりが、ほとんど感じられない。彼の視線は、この時すでに『強烈な自我意識』(服部嘉香「「詩世紀」の人々」)に向けられており、そこに集中している。
赤江瀑には、時代や社会に対する意識が希薄であり、むしろそれらは、「自我意識」であり「自己の美意識」によって変容されるべき「外部」と感じられていたのではないか。
「私と世界との対決」において、『日ざかり』の世界を、その「呪力」によって、そのまま「魔魅の跳梁跋扈する、陰の世界」へと変容させようと、渾身の闘いを挑んだ魔導士。それが赤江瀑という作家であり、その人生だったのではないだろうか。そんな彼にとっては、外部世界における「戦後」も「高度経済成長」も、ほとんど意味をなさなかったのではないか。一一そんな風に、私には感じられたのである。

初出:2020年3月10日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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