福島菊次郎、ニッポンの嘘を暴く : 平和国家の祟り神
映画評:長谷川三郎監督『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』
2012年の映画を、リバイバル上映で観てきた。
報道写真家・福島菊次郎、90歳当時のドキュメンタリー映画だが、福島は3年後の2015年に亡くなっている。
下に紹介するのは、本作2012年公開時の、予告編映像と、公式サイトの紹介文である。
見てのとおり、福島菊次郎は、一見したところは「飄々として」しかも、なかなおしゃれな老人である。
一人暮らしの家の中も綺麗に片付いており、自分で調理もこなす、実に隙のない老人なのだが、しかし、彼の中には、尋常ならざる「思い」が秘められている。そうでなければ、これほどの長い間、「反権力の反骨報道写真家」としての信念が貫けるわけがない。
彼のこうした報道写真家としての人生を決めたのは、広島の、ある被爆者男性とので出会いであった。
原爆の投下後、広島に入って、その惨状とともに、被爆者のその後を撮影した福島は、ある人の紹介で、一人の被爆者男性の存在を知る。
その漁師の男性は、被ばくの後遺症によって妻を失い、自らも後遺症に苦しみながらも、3人の子供たちを育てなければならず、力の入らない体に鞭を打って漁に出、漁から帰ると、布団に倒れこんでもがき苦しむという、壮絶な日々を送っていた。
当初彼は、福島にも険しい視線を向けて心を開かず、写真を撮ることを許さなかった。だが、福島との交流の末に、彼は「私の写真を撮ってくれ。ピカに出会ってこのざまだ。このままでは死んでも死にきれない。仇を取ってくれ。」と福島に頼み、その無残に痩せさらばえた体や、後遺症の苦しみをごまかすために、自らクギで腿に刻んだ無数の傷をも、撮影することを許した。その写真を広く公開することで、自分をこのような体にしたまま放置し続ける、祖国日本を告発し、復讐をしようとしたのである。
彼の写真を撮ったその時から、福島は引き返せない道を歩みだしたと言えるだろう。その被爆者男性だけではなく、国家に騙されて利用され見殺しにされ、苦しみながら死んでいった、数え切れない人たちの「怨念」を、福島はその肩に背負っているからだ。
だからこそ、彼は「国家権力」に対して、生半可な妥協などしなかったし、出来なかった。彼の体と人生は、そうした「まつろわぬ民」の怨念に捧げられたものだったからである。
原爆投下によって焼け野原になった広島は、しかし、日本政府の発した「広島平和記念都市建設法」によって、見目麗しき「平和の象徴」へと作り変えられていく。
そして、その過程では、原爆によって家を失った被爆者たちが、自ら建てたバラックの立ち並ぶ「原爆スラム」と呼ばれた一角が、情け容赦なく潰され、綺麗さっぱり消し去られてしまった。
だが、福島が特にこだわったのは、その一角に住んでいた、被爆者の朝鮮人女性だった。
彼女は、朝鮮人であるというだけの理由で、何の保証もないまま、そのバラックの家を潰され、そこから追い立てられなければならなかった。それが「広島平和記念都市建設」の名において行われたことの現実だった。つまり、「広島平和記念都市建設」とは実のところ、本当の「悲惨な現実」から人々の目をそらすための、「糊塗されたキレイゴト」に過ぎなかったのだ。
原爆被害者の中でも最も弱い立場の人たちは、「ニッポンの嘘」のために、新たに建てられていった高層建築群の下に、深く塗り込められ、隠蔽されなければならなかったのである。
だから、福島菊次郎は「今の広島」の写真は撮らない。彼の伝えるべき「真実」は、すでに完全に消し去られて、どこにも残ってはおらず、そこはただ、広島平和記念公園と「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれた原爆死没者慰霊碑にこそ象徴される「ニッポンの嘘」、心にもないキレイゴトに覆われているからである。
福島は、ある意味では、「今の広島」を呪っているとも言えるだろう。
たしかに、広島の被爆者たちを苦しみを思えば、彼らを責めることはできない。しかし、彼らが、国家から保証を得るために、その犠牲になった人たちの存在は隠蔽され、そのことについては、口をつぐむことにもなったからである。
だから、福島は、毎年、広島で行われている「平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)」に対して、決して良い感情は持っていなかったはずだ。むしろそれが「わざとらしい、アリバイ工作」の「パフォーマンス」にしか見えなかっただろう。
これは私の勝手な想像だが、福島は、その好々爺然とした見かけによらず、その本性は、やはり、今の「平和都市・広島」の「偽善」を、呪う者だったのではないだろうか。
それは、例えば、荒俣宏の伝奇小説『帝都物語』の主人公である、アンチヒーロー加藤保憲が、天皇制国家であり「帝の国」である「日本」、その象徴である「帝都・東京」を、「まつろわぬ民」の化身として呪ったのと、ほとんど同質なものだったのではないか。
所詮「平和都市・広島」は、「今の日本」を象徴する「欺瞞」であろう。いったい、日本のどこが「平和国家」なのか。ヒロシマが「何をした」と言うのか。
私たち、今の日本人は、多くの弱者を犠牲にして、今の「偽善国家・日本」に生きていることを忘れてはならない。この国で、不当な繁栄を享受する者は、永遠に呪われることであろう。そして「怨霊」たちは、日本の滅ぶことをこそ、何度でも願っているということを、決して忘れてはならないのだ。
「鎮護国家」のためには、日本国家を守って死んでいった人たち祀ることよりも、むしろ日本国家によって踏みにじられ、無念を呑んで死んでいった「弱者たちの怨念」をこそ鎮めなければならず、日本が真の意味での「人倫国家」になることでなければならないはずだ。
福島菊次郎もまた、日本を呪い続ける「御霊」の一人となった。
事実、彼の遺した写真は、何よりもこの国の「真の姿」を撃つ、真っ黒な「呪符」となっているのである。
(2022年10月2日)
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