一つに絞って努力した方が良いのか?”二兎追う者は一兎も得ず”について
◇二兎追うことが悪く言われる理由について
二兎追うのが悪く言われるのは、自分の能力を顧みず欲張ると何も得られない、無理が祟ると結局失うことのが多くなる、どっちつかずでエネルギーが分散するなどの様々な理由が挙げられます。
それに加え、日本は古来より武士は二心を持たない、一人の主君に忠義を尽くすように1つの事に心を集中させる一心こそが美徳という価値観も根強く
(それに反し文武両道という言葉もありますが、武士から着てる語源なので、武士らしさを貫くのに武道と勉学が必要という意味では筋が通っていると想います。)
実際に何かをしながら何かを目指すというのは片手間でやってるように映ってしまいがちで
それで結果が出なかった場合に1つに絞って頑張ってる人と比べ、鬼の首を取ったように非難や注意をされる傾向があると思います。
例えば学生で部活の試合に向け、一生懸命練習をしている中でテストの点が落ちれば、部活なんかしているからだ!と親から注意をされたり、確かに人間の時間とエネルギーは有限で何かに使うと
その分他に回らなくなることも少なくありませんので、完全にいちゃもんか?と言われればそうでない場合もあり、二兎追うことが間違っている場合も無きにしも非ずなので難しい所です。
▢二兎追うことが良い場合と悪い場合
二兎追うことが良い場合と悪い場合の1つの目安になるのが、自分にとっての獲物の大きさにあると考えます。
常套句になっていまいますが、得るモノが大きいと失うモノも大きい
という言葉を信じる人が多いですが、実際に何かを失って大きな力を得る場合が殆どです。大谷翔平のように野球が好きでやっていることで、自分にはプラスしかない!と前向きに捉えてやっている人でも
客観的に見ればそれが原因となり、普通に暮らして行けば40,50代で出るような関節や腱に負担がかかりことによる痛みなどの不具合が若くして発生するのも、失うこととカウントされますし
プロに行き着くまでの10代の頃の時間や労力を失ってきた訳ですから、何もせずにのんべんだらりとして、若い頃の時間を失うよりも遥かに有意義な時間の使い方、同じ失うでも意味が全く違うと想いますが
大なり小なり何かを得る為に何かを失う選択の連続が生きるということだと考えております。
あっち取ればこっちが立たずではありませんが、その得るものの為に失うモノを選べることこそ自由で、何も失いたくないと恐れて得ることを諦めてしまえば、失うことに縛られた不自由になると考えております。
そしていつものことながら話しが脱線しましたが、ではその得るモノの大きさについてですが、週3で一時間ずつ筋トレを始めようと思ったら、ジムの会費と一週間に3時間ほどの時間を失うことでそこそこの成果が得られるように
得る獲物が小さい場合は時には気づかないぐらい矮小な失うことで済みます。しかし得るモノが全日本ボディビルで優勝するとか、YouTubeで圧倒的に目立つほどの筋量にするなどでしたら
毎日ジムに通い、強い刺激のトレーニングをして、ジムに居ない時間、食事も休息も筋肉の為に使い、サプリも何万も毎月買い、労力、気力両方共に何年も高い状態を維持して筋肥大という結果を追い求める必要があり
ケガをしたり、散々トレーニングしたのに化け物みたいな才能の塊にぶつかって自信を打ち砕かれたり、得るモノが大きい分に時間や労力、肉体の摩耗など失うモノも大きい。
小さな獲物を二兎追う分には自分がそれを手に入れるのに必要な時間、エネルギーの総量も自分の枠の範囲で納めやすいですが、自分の能力から見て大きな獲物というのは
二兎追えば、一兎を得るのに単純に二倍時間がかかってしまったり、行動エネルギーの必要総量が増え、得るのに必要な分を注ぎ込めなかったりして中途半端になるやパンクして目的を達成出来ないで終わる確率が上がるので
大きな獲物の場合は二兎や複数狙って行くのは最善とは言えません。
しかし多くの人は意識的、無意識的に大きな獲物を二兎追うような真似をしていなく、弁護士免許取る為に勉強しつつ、ベーリング海峡のカニ漁船で一攫千金を目指す人はいないように、医師免許取りつつ、アイドルを目指す人も
芥川賞を狙いつつ、起業しようとする人も殆どいません。
大概は大きな獲物は一兎ずつ追っています。
大きな獲物はそれに集中した方が確率が上がるのはここで書かなくとも、皆さんも潜在的に分かってることなのだと想います。
◆芋づる式に二兎手に入る例外もある
ただ世の中には全く例外が存在しない現象はほとんどなく、二兎追って一兎も得ずにも例外はあります。
二兎追ってたのが幸いして二兎得ることが出来た例もあり、それは一兎得た瞬間にその実績が後押ししてもう一兎得ることが出来るという、大きな成功を手にした瞬間にパチンコやスロットの確変や(私は賭け事やりません)
スーパーマリオのスターを取った状態のように芋づる式に成功が舞い込んで来るというパターンです。
例えば、ユーチューバーで有名になるのとテレビに出演するのを目標に活動している人が居たとすれば、YouTubeがバズって何百万再生行ってYouTubeである程度有名になったらテレビに取り上げられて目標を達成するパターンがあるのと
格闘、企業家ユーチューバー朝倉未来さんが格闘技と同時進行でYouTubeに精を出していたのが成功し、知名度が上がり、他の同等レベルの格闘家と比べて格闘技イベントのライジンでのマッチメイクに有利に働いてコンスタントに出場出来て
大きな資金と知名度を手に入れたことで、他のビジネスを始めるにも優位に働き、何をやっても上手く行くように、一兎の実績が自分を手助けしてくれる二兎も三兎も四兎も手に入れる例外があります。しかし極稀なパターンであるのと同時に
全く性質の違った目標に関してはこれが当てはまらないのも事実としてあります。
というのも、朝倉未来さんの件でもそうですが、いくら知名度が上がり大金を手にした所で、UFCのチャンピオンになれるか?というとそれは別の話しになってくる。
要は以前よりも優位に働くことはあれど、他の兎を得るには他の能力が必要な場合はこの芋づる式が通用しないということで、こんなハイレベルな話しでなくとも、例えば学生時代にサッカー部でレギュラーを取ることと彼女を作ることが目標としてあれば
サッカー部のレギュラーに努力してなったとしても、レギュラー=彼女が出来るということにはならない、少しは条件として優位に働くことがあれど、モテない男がサッカー部のレギュラーになった所で
モテない補欠からモテないレギュラーに変わったといだけにしかならず、てか自分で書いてて傷つきました…学生時代の私のことなんで!(泣怒)
■結局はマルチタスクかシングルタスクか?の違い
全く目的に関係ないような事でも、どんなことでも自分の為になっているから全てに意味がある!という言葉を二兎以上追う人から良く聞きますが、当たってるけど、大きく当たっていないような自己正当化の為の造言に私は聴こえます。
確かに微々たることでも、少しでも目的に良い影響を与えているという広い範囲で捉えれば、アイドルになる為に毎日エステだけに行ってるのと同じぐらいの効果だとしても
無意味なことのがあり得ないですし、どこでなにが役に立つか?なんて誰にも分かりません。しかし、1つずつ集中してシングルタスクでやってるつもりでも
そのほかのことへ配慮している数の多さに応じてしがらみが生まれます。
例えば『明日の仕事に差し支えない程度に筋トレしよう』と考えている時点で筋トレを全力でやることにおいての仕事というしがらみが発生しますし、一兎追っている最中に他の一兎のことを少しでも考えれば思考が分散されてしまいます。
要は1つに絞った方が、複数同時進行で進めるマルチタスクよりもシングルタスクのが、一般的に優位に働くということが多いに尽きると考えます。
一日に活動出来る上限は個々に差があれど必ずあります。肉体だけではなく、脳も活動量に応じて疲労物質のアデノシンが溜まり、時間の経過とともに疲労が溜まれば脳の働きを抑制し、睡眠を促します。
この一日の限られた活動時間の中に複数の事柄を詰め込むのと、全ての行動を一つの目的に直接的に関連することでまとめて思考、行動して行くというのは明らかに後者の方が
集中しやすい上に1つにかける活動量が増える分に優位に働く、短い時間で集中して行えばマルチタスクでも問題ない!というのも確かにありますが、休息のタイミングやイメージトレーニングでさえも1つの目的に最適な時間、方法で行うことが出来るというのが
しがらみの多いマルチタスクよりもシングルタスクの強みだと考えます。
という所で今回はこの辺で終わりにしたいと思います。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
そんな優しい真面目な皆さんがより豊かになりますように☆
またね!(●´ω`●)
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