充分の先の充分すぎるもの
1日目の母に対する内観は淡々と進んだのですが、
2日目の父に対しては、思いのほか思い出が出てきて、
涙が止まらず、葬儀の時泣けなかった分、
今私の中での別れの作業をしているのだと実感しました。
温かい思い出をたくさんもらったような気がします。
父の笑顔が見えたような感じがして、これがあればもう充分という気がしました。
3日目の姉に対する内観で、
姉のありがたさ、私にとっての大切さがわかり、
この家族がいたからこそ今の私がいるんだと初めて感じることができました。
自分の歴史を温かいものに塗り替え、
それを目の前の面接者に語ることができたことが貴重な体験となりました。
そして、内観を進めて行って、
自分の中の尊大な自己像を言葉にすることができたとき、
私の中に、何か遊びが出てきたというか、何か緩んだというか、
笑いがこみ上げてきました。
自分の悪を認めることで安らぐという意味が少し実感できたようです。
もう充分すぎるほどのものをもらったような気がします。
先生方の心を込めた接し方をしていただいた中で出来たことだと思います。
ありがとうございました。
(東京都 31歳女性 会社員)
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