内観研修所
「内観法」も昔と比べて様々な方が話題にしてくださるようになり、医療・心理療法・教育・人材開発・生きがい創造・スピリチュアルなど、様々な分野で注目をされていることが見てとれます。 また、応用や工夫も数多く見られるようになりました。 そういう嬉しい広がりを見せる反面、憶測やイメージで内観を語る情報も見かけるようになりました。 そこで、長年内観研修を続けてきた研修所として、正しく内観法を知ることが出来る、いつでも本来の内観法に立ち戻ることが出来る、そして内観法の本質に触れることが出
自分自身に落ち着きのなさと集中力の欠如があることを思い知らされました。 4日目からは、夜もほとんど眠れなくなり覚醒しておりましたが、疲労は全く感じませんでした。 これまでにこのような体験がなかったため、驚くべき事でした。 生徒たちに指導する際の対応の仕方など、大変参考になりました。 私の立場ですと、いつも結果を出すことに焦って、「気づかせる」ためにどうしたら良いのかということを積極的に働きかけてしまうのですが、内観という方法は、それとは全く反対の方向から「自発的に気づ
この一週間の規則正しい生活は、高校生以来久しぶりのことでした。 私は、20年位ほぼ毎日お酒を飲んで眠っていました。 今回内観をさせていただくにあたり、飲むことができないのが不安でした。 ところが1日目から6日目まで、毎日今までになく深く眠ることができました。 日ごとに心が安らかになり、眠ることができた感じです。 内観に入ってからは、とにかく折角ここまで来たからには集中してやろうと思ってましたが、2~3日は座ることが大変で、そちらに気が取られてばかりいました。 また、
自分自身とはどんなものか、いちど経験してみるのも悪くないと思ったこと、酒浸りの生活だったので体内からアルコール分を取り払うことが目的で今回参加しました。 3日目位から、確かに頭がすっきりするようになったのですが、静かな場所で外部のことを考える必要がないから頭がすっきりするのだと思いました。 4日目5日目もそんな感じのままでしたが、6日目の朝の放送で、内観をしている人の話を聞いていて、自分自身が真剣に内観に取り組んでいないことに気づかされ、また、面接をしていただき、何事にも
今、一週間やり通せたという感じと、これからが内観だという、終わりと始まりを同時に感じている気持ちです。 実際、きちんとした内観ができていると感じたのは最後の二日間位でした。 しかし体のほうは、1日目から変化が現れ始めました。 私は右頭部から肩にかけてのコリがひどかったのです。 1日目の晩あちこち痛くなりましたが、2日目ごろから少しずつコリが取れていく感じがし、今は全部すっきりとまではいきませんが、たった一週間でここまで良くなるのだったらもっと早くこちらに来させていただけ
私がここに来させていただいた目的は、自分に自信がなく、ものすごい緊張することを直せないものかと思い、飛んで参りました。 今、内観を終えてみて、果たしてこれが治ったかどうかは、正直言って自信がありません。 しかし、ここで得たものはものすごく大きかった事は間違いありません。 今までたくさんの偉いと呼ばれている先生や、確かに素晴らしいことを言われている人たちの、講演やセミナーをたくさん聞いて参りましたが、どんな素晴らしい話を100回聞いたものより、実体験で気づかせていただいた
初日は、塗り込められるような雨が陰鬱で嫌でしたが、今は静かな音楽のように柿の葉を打つ雨音が入ってきます。 4回目の内観になりますが、また新たな気づきがありました。 父を恨み、自分が不幸でいること(鬱、無職、結婚しないなど)で仕返しをしていたことや、たくさん嘘をついて「できない」「知らない」「わからない」などから逃げていたこと。 そして何よりも、小学生くらいまでの私は、父母と姉のもとで、とても可愛がってもらい、あたかもお姫様のような暮らしをさせてもらっていたこと。 家が
母が、再婚した父と一緒に何度もここに来ていまして、私にも「行きなさい、行きなさい」と言っていました。 そんなにも言うし、良さそうだし、くらいの感じで来所しました。 1日目、気が変になったらどうしようと不安でした 2日目、何かイライラしました 3日目、少し軽くなりました 屏風が狭く感じなくなりました 4日目、落ち着いた 少しずつ話したくて(面接したくて)しょうがなくなった 7日目、開放感! 内観をする前と内観した後では、今までと決定的に違う事は、
ここへ来る前に読んだ本の中にあったような「4日目の朝に突然の気づき」も「突如として溢れる涙」も、僕にはなかったので、5日目にしていよいよ焦り始めた時でした。 「そうか、何も全員が同じように進まなくても良いのだ」、「個人個人の道のりをたどっても然るべき所へ行くようになっているのだ」ということを改めて感じ、「3つのテーマで1週間」という集中内観のシステムの素晴らしさに感じ入りました。 僕の「他人に善を求める」性質が、家族に対する傲慢な姿勢で育ってきていたことが、浮き彫りになっ
穏やかです。 私にとって必要な時に来させていただけたんだなと感じています。 今までの自分の生きてきた道を淡々と振り返って、たどっていくうちに、 「あーこれでよかったんだ」 「何一つダメなこと無駄なことはなかった」 「すべてOKなんだ、良しなんだ」 という気持ちにやっとならせていただきました。 一週間の間に、こんなにいろんな自然の表情を見せていただけたことも助けになりました。 面接が終わって窓を開け、外の情景を見るたび、時が流れていることを知りました。 時計の針が休む
私が瞑想の森にお世話になってから5日目に出会うことのできた、ほんの小さな心の変化について書かせていただこうと思います。 5日目の夜、食事の時に先生が、先月内観をした父の感想のテープを聞かせて下さいました。 その時私は、テープを聴きながら、「あー、そういえばそんなこともあったなぁ」という感じでしかいませんでした。 聴き終わってからも、「別に特に感動なんてしなかったし、私はきっとこのまま内観というものを理解できないで帰るんだろうな」と思ったりして、少しの間ボーっとしていまし
2度目の内観体験でした。 今回は、主人と長男が病気をしたこと、高齢になった父母に対して少しでも「懺悔」できればという思い、私自身の身体的なことで不調箇所があり、自分を知ることで少しでも改善できればと、大変欲の深い考えのもとに参加させていただきました。 内観をさせていただいて、今回わかりましたことは、私は人に対して大変理想が高かったことです。 いつも自分の理想像に当てはめて、その人の欠点や不備なところをばかり見ていました。 そして、その人それぞれ悲しみや苦しみがあるとい
東京港区南青山にある 「カウンセリングルームセコイア」 のホームページに紹介された内観体験談です。
今回、2回目の内観でしたが、こちらにお世話になる前日に決まったもので、連絡も前日で、皆様にご迷惑をおかけしました。 母に、結婚について相談していました時に、「自分の心情は自分が一番わからないから内観が一番いいよ。電話して大丈夫だったら明日にでも行きなさいよ」と言われ、電話して頂きました。 前回に比べて、体は健康だし、精神的にも割と安定していたため、食欲もあるし、屏風も気にならず、気分も良く、よく眠れるのでそれが逆に深い内観ができるのか心配になりました。 でも楽に、焦らず
内観実践論(柳田鶴声著)を本屋で見つけまして、何とか自分を変えたいと思い瞑想の森へ来たわけですが、山育ちの私にとってはとても居心地が良い所でした。 屏風の中ではあぐらをかいたり、横になったり、居眠りしたりして、一週間過ごしたわけです。 朝昼夜と、食事もいただいて、大変おいしい食事でした。 感想といいましても、教育のない私には取り立てて書き表すなんてとても難しい作業ですが、何とかやってみようと思いました。 1日目と2日目は、教えられた通りに母から始めまして、次に父、世話
私がこの内観に来た動機は、兄弟の勧めにより半ば強制的に来たという有様です。 なので、一週間1日15時間という長い時間にわたって内観できるのだろうか大変不安でした。 最初の2~3日は、頭の中が混乱して、なかなか内観ができず困りました。 面接をしていただいたり、食事の時に流れる放送を参考に聞かせていただくうちに、何とか自分自身内観できるようになりました。 それからは日を重ねるたびに内観が深まり、自分自身が次第に落ち着いてくるのがわかりました。 この瞑想法、心理療法に来る