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存在すること

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存在することに関する思考、哲学、宗教、日常
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記事一覧

仏教の言葉から

仏教の言葉から

前回はキリスト教の教義などについて話しました。
明治から日本は欧米の文化を取り入れキリスト教についても一般にも知識が広がっています。例えばイエスの母の名(=マリア)、生まれた所(=ベツレヘム)、どういうふうに亡くなったのか(=十字架刑)とか、あるいは聖書に出てくるイエスの金言名句も多く知られています。

しかしながら、お釈迦様がどこで生まれ、どこで亡くなったのか知っている人は少ないでしょう(母はマ

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キリスト教の基本教義をAIに聞く

キリスト教の基本教義をAIに聞く

最近AI(人工知能)とくに会話型AIが話題になってきています。Microsoftの検索サイトBingにも取り入れられています。まだまだ初歩的な技術でしょうし、得られた回答にも注意して考慮が必要ですが、使い方次第で力強い助手になるでしょう。
今回はキリスト教の基本教義についてBingでチャットしてみました。

◆ ◆ ◆

【問い1】キリスト教のイエスの死の意味について尋ねたいと思います。
イエスの

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自己同一性と意識

自己同一性と意識

今日は、“のもと物理愛”という方が最近発表したnote記事とYoutubeビデオについて紹介します。

この2つの記事は別々に公開されて、一見関連のないもののように見えます。しかし、“のもと”氏自身も多分気づかれている(気づくはずの)共通点があると思います。それは何か?結論を言うと、複雑さから生まれる…新しい性質…ではないかと思います。

では、まず上記の自己同一性のビデオから見ていきましょう。自

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マハー パンニャー パーラミター 心

マハー パンニャー パーラミター 心

■序

今日は宗教、特に佛教に関連して少し話します。宗教というと、何か胡散臭い匂いがするかも知れませんけれども、わたしが言う宗教とは、「救い」と「心の自由」のあるもの、と云う意味です。

大学時代から佛教に興味はありました。けれども、ほんとうの意味で佛教に出会ったのは、29年ほど前のことでした。熱心に勉強したことも今は大半忘れているようです。昔書いた手記を2つ見つけました。今と多少考えが違っている

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相対性

相対性

今日、“のもと物理愛”さんのこんな記事を読んだ。

視点という相対性。いつも感じる。
自分を中心に生活を考えるときもある、
宇宙の広大さや長久の時間を考えるときもある、
そして考えるときは、それをもとに相対的に考える。
小さいサイズで考えるときは、そのサイズで見て計り、
大きいサイズで考えるときは、そのサイズで見て計り、
感じたり判断する。
人間は、
小さい円を描いて、「これを全宇宙と見做そう」と

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宗教について考へるとき

宗教について考へるとき

(2013年6月、我が家にて記録)

神は存在するか。欧米人はかう云ふ発想をよくする。

そもそも神とは何か、人間には定義できない。なぜ。キリスト教では神が人間を造られたとされてゐる、それなら、造られた人間が造つた神をどうやつて定義できやうか。しかし、キリスト教では神と宗教は一体だ。だから、定義できなくても神の実在を実感できる信者もゐれば、神の存在・不存在に関はらず、神に信仰をおくことができる。

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数学という存在

数学という存在

さて今日は数学の(やさしい)話をしたいと思います。中学1年生の数学の知識があれば理解できる話です。

みなさんは、円の面積や、円周の長さを計算したりできると思います。小学校で習っているはずです。

  円の面積 = 円周率×半径×半径
  円周の長さ = 円周率×直径

で、この式の証明はできますか?

いきなりど真ん中の質問をしました。では、言い換えます。そもそも“どんな円”でも、円周の長さは直

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“存在”の波に揺られて

“存在”の波に揺られて

その少年の後ろに、見つめる者が居る、
少年は踊つてゐるけれども、自分では意識してゐない、
自身は、ただ単に歩いてゐる、
いや、歩いてゐるといふ意識もない、
見つめる者は、その見てゐるものから、世界を作り上げる。

人は、
ささいなことであつたとしても、そこに意味を作り上げて、存在させる、
 ことができる、
虚しいまぼろしであつたとしても、そこに世界を作り上げる、
 ことができる。
存在は活動であり

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存在すること − 意味

存在すること − 意味

存在することシリーズ、5回めに入った。

前回「人は意味(心)の世界を造る」と言った。この一節を読んだ人は多分、「ああそうだね」と軽く読み跳ばしたに違いない。でも、ここ、すごく重要で大事でかつ肝心なところなんだよ、個人的には。

よく人が言うのは、人生の意味を探す、とか、何のために生きているのか人生の目的を見つける、とか、生きている意味を知りたい、ものごとの価値を知る、とかなんとかだよね。ところで

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存在すること − 愛

存在すること − 愛

このシリーズは今回で4回目だ。今まで、
1.実感
2.責任
3.変化
について話したね。

Twitterを見ている時、こんな引用が流れてきた。

すべての存在はそこにあるだけで宇宙に受け入れられているのです。そこに、最大の価値があります。 (マザー・テレサ)

マザー・テレサ……クリスチャンですよね。僕はクリスチャンじゃないし、特定の宗教、宗派を信じているわけでもない。でも、今日はちょっと宗教的

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存在すること − 変化

存在すること − 変化

存在すること、と云うテーマで今まで短かい話を2つしたよ。
1.実感
2.責任

読んでくれた方ならすぐ解ってくれると思うけれど、相互に関係して作用していたら、当然変化が生まれるよね。例えば、ほら化学変化とか学校で習ったよね。

日々、何かと出会い、何かを感じ、何かを考える。その度に僕たちは変化している。言い方を変えれば、生きて行くと新しくなって行くんだ。新しい感覚、新しい思考が生まれるんだ。いや、

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存在すること − 責任

存在すること − 責任

前回は「存在を実感する」ことについて書いてみた。

何事もまず存在しなければ始まらないよね。たとえびっくりするような高度の文明を持つ宇宙人が現れて偉そうにしても、存在したから出現できるんだ。しかし存在するということだけでは何の意味もない。世界は存在する個々——原子のような微細なものから始まって、人間、星辰に至るまで——が互いに作用し合って活動しているって、この前は考えたんだった。この前提が正しい

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存在すること − 実感

存在すること − 実感

確か小学6年生の頃だったと思うね、あまり記憶は確かではないんだけれども。不思議なというより畏怖の念を起こすような体験をしたんだ。といって特別な場所ではなかったよ。自分の家の中、奥の六畳の間に、何故か一人いたんだ。ちょっと薄暗い部屋で、南側の障子から柔らかい明かりが入ってくる。そんな時、ふと感じた、なぜ僕はここに居るのだろうか、なぜ僕はこの場所、この地上、この宇宙に存在しているのだろうか、と。自分だ

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