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“存在”の波に揺られて

その少年の後ろに、見つめる者が居る、
少年は踊つてゐるけれども、自分では意識してゐない、
自身は、ただ単に歩いてゐる、
いや、歩いてゐるといふ意識もない、
見つめる者は、その見てゐるものから、世界を作り上げる。

人は、
ささいなことであつたとしても、そこに意味を作り上げて、存在させる、
 ことができる、
虚しいまぼろしであつたとしても、そこに世界を作り上げる、
 ことができる。
存在は活動であり、それによつて存在ができあがる、
思ふことも、考えることも、感じることも、“存在”を作り上げる活動、
無限の中から可能性を見つけ出す活動、
人は“存在”(まぼろし)を作らざるを得ない存在…、
そしてまた人は、
その作られた“存在”を取り入れ、共感し、共有する、そこに力が働く、
流れができる、
協働が始まる、
社会ができる、自己が生まれる、
かうして、虚しいものが力を得る。
ないものが、あるものとして振る舞ふ。
“よいもの”であれ、“わるいもの”であれ、
繊細な感覚の中で、
好奇心の中で、
燃える欲情の中で、
深い悲しみの中で、
限りない慈悲心の中で、
ある時は、光り輝く、
ある時は、安らぐ、
ある時は、制圧する、
ある時は、燃え尽きる、
ある時は、自由を謳ふ、
ある時は、闘ふ。
自分が作つた世界や共有する世界のなかで
人は喜ぶ、痛む、
人は欲する、与へる、
人は拡がる、閉ぢる、
人は自由を得る、
人は束縛される。

少年は踊つてゐるけれども、自分では意識してゐない、
見る者が、少年を踊らせる、
感じる者が、見つめる者が、その踊りを存在させる。

無限とは可能性、
可能性とは曲がり角を見つけること、
新鮮な感触、新しい感性、繊細さ、大胆さでもって、
奇(くす)しさや調和性の中の
あの驚き、
その体験の不思議さ。

存在とは何?
〜何か見えるもの、さはれるもの〜
でも、それは、存在の“表”、
物はポテンシャル、
エネルギーはポテンシャル、
存在の本質は、関係性であり、作用であり、活動だ。
見えるものが存在するのではない、見ることが存在なのだ、
さはれるものが存在するのではない、さはることが存在なのだ。
おそらく、原初そこには、意思など必要ない、
心さへなくてもよい。
存在はまた“内”に作られる、
人が心に作るもの、
意味、まぼろし、
価値、誇り、恥、
責任、義務、
希望、欲望、
思ひやり、憤怒、
流れができる、協働が始まる、
社会ができる、自己が生まれる。

少年は後ろを振り向いて、笑つた、
つながりといふ小さな存在が生まれた、
雨が降り出した、
堅いコンクリートの上、
水路の流れの持続音、柵の上に鳩が止まつた、
「わたくしといふ現象」が「せはしくせはしく明滅」する、
今生み出されたものは…永遠…
恐らく未来のことは誰にもわからない、
その未来をわたくしたちは夢見る。

【更新】2020-8-8 一部字句追加

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