自己同一性と意識
今日は、“のもと物理愛”という方が最近発表したnote記事とYoutubeビデオについて紹介します。
この2つの記事は別々に公開されて、一見関連のないもののように見えます。しかし、“のもと”氏自身も多分気づかれている(気づくはずの)共通点があると思います。それは何か?結論を言うと、複雑さから生まれる…新しい性質…ではないかと思います。
では、まず上記の自己同一性のビデオから見ていきましょう。自己同一性、英語流に言うとアイデンティティーがあるかどうかと言うことです。ここでビデオの内容の一部を話したいのですが、詳しく話すと著作権に触れそうなので、かいつまんで説明します(ちょっと長いです😓)。
同じ色・形・大きさ・重さのビー玉2個を箱に投げ入れます。箱の中は正確に2等分(A区とB区)され、投げ入れられたビー玉はどちらかの区画に入ります。2個投げ入れた場合、結果は次の3通りになり、それぞれ場合の確率も計算することができます:
(1)Aの区画に2個入る 確率 1/4
(2)Bの区画に2個入る 確率 1/4
(3)Aの区画に1個、Bの区画に1個入る。 確率 2/4 (=1/2)
ここで確率の分母が4になっているのは、実際は4通りあるからです。(3)の場合ですが、ビー玉は①②と区別できますので、[Aに①、Bに②]と言う場合と[Aに②、Bに①]の2通りあります。つまり全部で4通りあることになります。
ところが、ビー玉でなく、光子のような素粒子やヘリウム原子を使って同じような実験をすると……
(1)Aの区画に2個入る 確率 1/3
(2)Bの区画に2個入る 確率 1/3
(3)Aの区画に1個、Bの区画に1個入る。 確率 1/3
つまり、光子や原子はビー玉のように一つ一つ区別できない、アイデンティティーがないという結果になります。
ではどの程度の物体ならアイデンティティーが出てくるのだろうか。詳しくはビデオを御覧ください…なのですけれど、最後に“のもと”氏が言われるように、「ものすごくシンプルで何の特徴もないものが数集まることによって多様性を生み出している」という不思議、膨大な数の力…。
次に“のもと”氏のnoteの記事を見てみましょう。こちらは気楽な感じで読める記事です。ですが、考えていくと内容は深い。
先の話では、自己同一性が発生しました。こんどは、さらにそこから意識が生まれる話です。
意識というものは、いつ頃から発生したのだろう。宇宙規模で考える材料がないので、地球規模で考えてみましょう。単純な物質には意識はないように思えます。やはり意識は生物のような複雑なものに発生するようです。発生というか、何か深層の意識というのがあってそれが生物に結びついたと考える人がいるかも知れません。しかしそれでもやはり生物のような複雑なものがあって初めて意識が認識されるのでしょう。
最初はそんな“認識”のようなものだったかも知れません。生きるため食べ物を認識するとか…。そんな原始的なところから、複雑精緻になっていくほど、心、精神、情緒というような高度で美的・芸術的なもの(あるいはその逆も)へと進化していく…。人工知能も、複雑緻密なソフトウェアと膨大なデータから、“意識”というものが発生するのでしょうか。植物も複雑なコミュニケーションをするらしいので(人間などとは違った)ある種の“意識”があるのかも知れません[参考「植物は『会話』している、…」]。
私たちは、幻想の世界にあるのでしょうか。しかしその幻想を見ているのは誰なのか。まるで胡蝶の夢です。
自己同一性にしても意識にしても、どういうメカニズムで現れ出たのか分からないけれど、一つ確かに言えるのは複雑なところに宿ることではないでしょうか。では、複雑さとは何でしょうか。
以前、「分別」と言う記事で、複雑系の話を少ししました。わたしが複雑系という学問分野を知ったのは、多分1997年頃、その4〜5年前に、カオスというのがブームになっていたようにも思います。当時読んだ書物も何冊か手元にあります。しかし、内容はもう忘れてしましました😓。今は複雑系の分野はどうなっているのでしょうね。アマゾンで検索すると沢山のタイトルが出てきます。若い人たちに期待ですね。