arinomamami

72歳認知症の母と34歳私の母娘暮らし。泣いて笑ってぷりぷりして、それでも互いの幸せをひたと願う日々を、ここに書きとめます。

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72歳認知症の母と34歳私の母娘暮らし。泣いて笑ってぷりぷりして、それでも互いの幸せをひたと願う日々を、ここに書きとめます。

最近の記事

【雑記】家族のたられば

もし、父が生きていたら もし、母が認知症でなければ そんなたられば話は無駄だけど、思い切って書いてみよう。胸の奥底にしまいこまず、今日は、特別に。 ……………………………………………. 父は料理人だった。 父のお店は、彼の理想を詰め込んだ、特別な空間。 母はその片腕として、何にでも気配りの出来るウェイターであり、ガーデナーだった。 もし父が心を病まず、不況に屈することなく生きていたら。 きっともっと評判のお店になって、県内の老舗レストランとして名を馳せていただろう。

    • 【介護日記】お母さんの終着点

      母がグループホームに入った。 その日、再び親子写真を撮った。 この日が母に触れられた最後の日。 今はガラス越しの面会しかかなわない。 …………………………………………… 母は昔、よく、こんな小さな手で幸せが掴めるかしら、と何度も私の手を気にしていた。 そしてこの数年は、よく私の手をほめた。 綺麗な手、と。 だから私は「お母さんの手は働き者の手。これまでうんと働いてきた、かっこいい手」と返していた。 母は昔はずんずん歩く人だった。 手にたくさんの花を抱えている日も

      • 【介護日記】私の夜明け前

        私の夜私の夜はトイレ介助からはじまる。そして、母の徘徊する物音で、朝が来たことを知る。 夜、浅い眠りの中、少しの物音でもがばりと起きて、母の寝台に目をやる。 時には近くまで行って、ああ、呼吸をしているなあ、と安心することもある。 夜。 それは長い闘い。 夜明け前私のうつがまたひどくなって数ヶ月。 1月から今にかけて特にどん底だった。 派手なODをしてしまったし、腕に切り込みをいれたり、首をくくろうともした。身体が動かずに仕事を何度か休んだ。 母にてをかけようともした

        • 【介護日記】認知症母との家族写真

          認知症の母と家族写真をとった。 兄たちのいない、私と母の二人だけの家族写真。 実家が差し押さえになり、多くの荷物を手放した。 手元にはわずかな写真たち。 認知症の人は昔の写真をみせると、 「あの時はこうでね」 「この人はだれだれさん」 等等、昔の記憶ならすらすらとよみがえることがあるという。 でも私の母にどんな写真を見せても とんちんかんな答えしかかえってこない。 我が家のアルバム 私は母が認知症になったとわかってから、 母のアルバムを作り、たくさん写真をとるように

          【介護日記】お母さんのこと、キライ?

          「お母さんのこと、好かんね?」 最近母が私にそう訊ねるようになった。 聞かれるたびに、 「わたし、お母さんのこと世界で一番大好きよ」 と答える。 最近の母母、70歳。 認知症になって5年。 母はまだまどろみのなかで暮らしている。 彼女の目の前の世界がどう映っているのか、彼女の頭の中の世界がどう繰り広げられているのか、私には理解する由もない。 よく分からない言葉を発し、洋服の着脱も一人ではできなくなっている。 朝はリハパンにずっしり尿がたまり、排便をコントロールす

          【介護日記】お母さんのこと、キライ?

          【雑記】生きることへの戸惑い

          私たちが問われていることは「どの悩みを生きるのか」という苦労の選択だと考えるからである (引用 『べてるの家の「当事者研究」』) 一ヶ月ほど前に、自宅の暗闇の中でつけたたくさんのほそい傷は、もううすくなってほとんど見えなくなっている。 もっと私が強ければ、寛容であれば、母を殺そうなんて思わず、それができない代わりに自分を傷つけることはしなかったのだろうか。 母を在宅介護することなく認知症がわかった時点でホームに送り出し、私はなにも変わらずに仕事を続け東京で暮らしていたな

          【雑記】生きることへの戸惑い

          【介護日記】母へのラブレター

          母に手紙を出した。 きっかけは断捨離の最中に見つけた膨大な数の母からの手紙。 ……………………………………… 母の切手コレクション母は若い頃から切手を集めていた。 季節のものやオリンピックといった限定もの。母の桐箱には収まりきらないほどの切手がある。 小さな頃からそれをこっそり開けては、眺め、字がかけるようになってからは母によく「おかーさん、あの切手、もらってもいい?」とおねだりしていた。 たまに出し渋られることもあったが、結局はいつも渡してくれた。 その桐箱は、今

          【介護日記】母へのラブレター

          【認知症映画#4 】ペコロスの母に会いに行く

          「ボケることも悪かことばっかいじゃなかごたな」 長崎で生まれ育ったサラリーマン・ゆういちは、ちいさな玉ねぎ「ペコロス」のようなハゲ頭を光らせながら、漫画を描いたり、音楽活動をしている。男やめものゆういちは、夫の死を契機に認知症を発症しはじめた母・みつえの面倒を見ていたが、症状が進行した彼女を、断腸の思いで介護施設に預けることになる。過去へと意識がさかのぼることの増えたみつえ。その姿を見守る日々のなかで、ゆういちの胸には、ある思いが去来する-。<映画作家>(C)2013『ペコ

          【認知症映画#4 】ペコロスの母に会いに行く

          【認知症映画#3 】明日の記憶

          「ねえ先生、この病気ってさ、止める薬も治る薬もないんだよね。 だったらさ、あんたゆっくり死ぬんだって言ってくれよ。」 ……………………………………… 明日の記憶 人を愛すること、そして一緒に生きていくこと…。生きることの辛さ、切なさ、そして素晴らしさ…。想い出のすべてを、あなたに託す。原作は第18回山本周五郎賞を受賞し、2005年<本屋大賞>の第2位に輝く荻原浩の傑作長編『明日の記憶』(光文社刊)。俳優として世界に活躍の場を拡げる渡辺謙が、ハリウッド滞在中に同原作に出会い

          【認知症映画#3 】明日の記憶

          【認知症映画#2 】パーソナル・ソング

          あなたのパーソナルソングは何ですか。 パーソナルソング それは好きな音楽。思い出の歌。 体に刻まれたメロディ。 ……………………………………………… 監督は90歳の老女に問いかける。「あなたはどんな子供だった?」「・・・まったく思い出せないわ」「何を思い出せないの?」「・・・若いころにどう過ごしていたのかが全く思い出せないわ」そんな彼女に、iPodでルイ・アームストロングの「聖者の行進」を聞かせてみる。すると老女の目がキラキラと輝き始めた。「これはルイ・アームストロング

          【認知症映画#2 】パーソナル・ソング

          【認知症映画#1 】長いお別れ

          認知症のことを「dementia だけではなくlong goodbyeとも言うんですって」と教えてくれたのは、介護離職された職場の方だった。 ………………………………………… 映画「長いお別れ」 父、昇平(山﨑努)の70歳の誕生日会。久しぶりに集まった娘たちに母:曜子(松原智恵子)から告げられたのは、中学校校長も務めた厳格な父が認知症になったという事実だった。 夢も恋愛もうまくいかず、思い悩んでいる次女:芙美(蒼井優)と、夫の転勤で息子とアメリカに移り住み、慣れない生活

          【認知症映画#1 】長いお別れ

          【介護日記】とんでいきそうになった私をつかんだ手と手

          認知症の母の手を引いてこの街にやって来て、もうすぐで一年になる。 母の認知症がアルツハイマーではなくレビー小体型か、あるいはパーキンソン病かもしれないと言われたのが今月のはじめ。 私はまたもや追い詰められていた。 「苦しい」 そう呟く母に本気で手をかけそうになった。涙をぼだぼだと流しながら包丁を片手にうろつく深夜の台所。 ある日ぷつんと糸が切れたように、「あ、もうこのままだと駄目だ」と思い、そこから怒涛のちんぷんかん祭りが始まった。 まずは断捨離。家中のものを捨て、

          【介護日記】とんでいきそうになった私をつかんだ手と手

          【介護日記】31歳目下断捨離ちゅう

          母を手放すことにした。 きっかけは母を殺そうとしたから。 私の道連れにしてはいけないと思い、母の施設入居を決意した。 自分の断捨離も始めた。 まずは本。 どんなに引っ越しても手放さなかった心の支え、智の師たち。 そして手紙。 長年の数々のお手紙。海外にいるときに母が送ってくれたたくさんのものも、全部。 次に化粧品。 着飾ることもない。 次に恋人。 これは今も連絡したい衝動に駆られている。 でも私はもう生きる気力がなく、そんな私に彼の時間を付き合わせる訳にはいかない

          【介護日記】31歳目下断捨離ちゅう

          【介護日記】認知症母の哀しき目覚め

          アルツハイマー型認知症の母が、ゆるやかに目覚めた。 クリニックからもらっている薬が影響し、言動がはっきりしてきた数ヶ月後、母は明け方に泣くようになった。 涙のわけは、自分が自分でなくなる自覚からくる哀しさ。 苦しい 思うように体が動かない 助けて欲しい 明け方、トイレに行こうと起きようとして、自分の力で起き上がれないから泣く母に、どうしたのと尋ねると切実に、辿々しく苦しさを訴えようとしてくる。それは短い言葉すら紡げない母から発されるSOS。 もどかしげな母の体を起

          【介護日記】認知症母の哀しき目覚め

          【介護日記】認知症母との春・夏

          新しい街に越してきて冬がすぎ、春がきた。 そして夏の訪れを暦からも、新緑の美しさからも感じる。 母の認知症の進行は、ゆるやかに訪れている。 トイレの粗相は毎日。 筋力の衰えからよろめくことも毎日。 簡単な受け答えにも、ちんぷんかんぷんな返事しか返ってこない。 それでも、 それでも、今、私は、母を愛していると断言できる。 数ヶ月前までは私は鬼だった。 土地を変えても、仕事をやめ介護に専念するようにしても、母のぼんやりとした表情は変わらず、毎日泣いてばかりだった。 そんな

          【介護日記】認知症母との春・夏

          【家族日記】認知症祖父のわらいバナシ

          そういえば、祖父も認知症だった。 母が認知症と診断され、怒涛の生活を送ってきたが、少し息をつけるくらいになり、祖父のことを思い出した。 祖父は市長秘書を長年献身的につとめ、休みの日は趣味の釣りのために船を自ら操縦して、食べきれないほどの魚を釣っては、友人知人にふるまっていた、見栄っ張りで頑固で情深い人だったそうだ。おかげで母は魚を食べるのも、捌くのも見事なものだった。今はそのどちらも出来ないけれど。 祖父のはじまりはパーキンソンだった。 手足が震え、よく転んではケガをし

          【家族日記】認知症祖父のわらいバナシ