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【雑記】家族のたられば



もし、父が生きていたら
もし、母が認知症でなければ

そんなたられば話は無駄だけど、思い切って書いてみよう。胸の奥底にしまいこまず、今日は、特別に。

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父は料理人だった。
父のお店は、彼の理想を詰め込んだ、特別な空間。
母はその片腕として、何にでも気配りの出来るウェイターであり、ガーデナーだった。


もし父が心を病まず、不況に屈することなく生きていたら。

きっともっと評判のお店になって、県内の老舗レストランとして名を馳せていただろう。


「大切な日の食事はあのレストランで」

そういって、今日もお客さんが訪れていただろう。

ウェイティングルームでそわそわと待つお客さんを、母が、その人たちにぴったりの席へ案内する。テーブルには新鮮なバラの花びらが散らされている。

お客さんはメニューを開き、ちょっとお高い金額に驚きつつも、父自慢のステーキやビーフシチュー、パイ包みとか頼んで。

店内にはパヴァロッティの歌声が優しく響き、料理の到着をドラマチックに演出する。

メインは父が運んできて料理の説明をする。

デザートを食べたお客さんが、テラスから庭に出ると、美しいイングリッシュガーデンが広がる。
その先は見事な海。

「また来よう」

そんな風に満足げに帰るお客さんで賑わう評判のお店。

もしかしたら、今ごろ父は髭をたくわえていたかもしれない。パリッとしたコック服に、威厳ある恰幅で。
隣には母がにこにこと寄り添っている。

母は血管が浮き出るほどの色白で華奢な人だけれど、庭仕事で腕は小麦色に日焼けしている。還暦を過ぎた今もきっと、小柄な体に秘めた何倍もの力で父と店を支えていたかもしれない。




もし両親が健康で生きていたら。

私の高校卒業を二人して祝って、進学を涙ながらに見送ってくれたかもしれない。

二十歳になったときに、一緒にお酒をのんだかもしれない。

海外に行くことを猛反対しつつも、見送ってくれたかもしれない。逆に私は海外に行かなかったかもしれない。

就職したときに、仕事の悩みを聞いてくれたかもしれない。

恋人が出来たときに、父は泣いて、母は喜んだかもしれない。

あの家で、あの父の店で、二人が手をたずさえ、私と兄たちのホームとなってくれていたら。

「ただいま」
「おかえり」

そんな当たり前のようなワンシーンが、私たちにもしあったら。

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現実は違う。

父は早くに亡くなり、心を病んだ母は今認知症でグループホームにいる。

兄たちは母に不干渉で、私は在宅介護をできなかった罪悪感に苛まれている。

家族バラバラ。

でも、そんな家族仲良しの歴史がないからこそ今の私がいる。
家族の代わりに、たくさんの頼れる友人や職場の方々、パートナーがいる。

たくさんたらればを言ったけど、
私は今の私の人生でいい。

でもたらればの気持ちはないがしろにせず、
たまにこうやって紐解いてみよう。


お父さん、あなたの不在のおかげで、私はたくさん得るものがありました。

お母さん、あなたの病気のおかげで、私はたくさんのありがとうに出会いました。



あなたのたらればは何ですか



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