【雑記】生きることへの戸惑い
私たちが問われていることは「どの悩みを生きるのか」という苦労の選択だと考えるからである
(引用 『べてるの家の「当事者研究」』)
一ヶ月ほど前に、自宅の暗闇の中でつけたたくさんのほそい傷は、もううすくなってほとんど見えなくなっている。
もっと私が強ければ、寛容であれば、母を殺そうなんて思わず、それができない代わりに自分を傷つけることはしなかったのだろうか。
母を在宅介護することなく認知症がわかった時点でホームに送り出し、私はなにも変わらずに仕事を続け東京で暮らしていたならば、自分に刃を向けなかったのだろうか。
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精神病院に入院して二週間が過ぎた。
夕方の浜辺に打ちつける波のように、わたしの中の穏やかさはやってきては引いて、またやってきては引いていく。
入院し、突如として膨大な“ゆっくり”が私の目の前に訪れた。
その時間を、これまで先延ばしにしていたことに充てようと、無理のないよう、一日一つずつ取り組んでいる。
自分史を書くこと。
友人たちに連絡をとること。
まだ出していない断捨離のゴミ袋から、物を元に戻すこと。
母のこれからを行く末を考えること。
本を読むこと。
ヨガなど体を動かすこと。
自分史を書いてみて、自分の人生が可視化され、わたしの性格のパターンがなんとなくわかった。
それを、へえ、そうかと眺めつつ、こうと思ったらすぐに決断し行動に移す性格の手綱を、少し、ゆるく握ってみようかと思った。
でも手綱を握ったところで、私の心は暴れ馬のようになり、綱はするりと手のひらから飛び去っていく。
自分をコントロールする、そういう考えこそおこがましいのかもしれない。
そんなどうしようもないことを考え、32歳を目前に控えた今秋、わたしは生きるという方向転換にとまどいをかくせないでいる。
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父を無くした16歳のあの日から、わたしは自分の存在を否定し続けてきた。
だって父を見殺しにしたから。
そう心のなかで呟き、一見ポジティブに人生を謳歌しているように演じつつ、生きていてはならない、しあわせでいてはならないと自分を戒めてきた。
でも、父が死んだことは、わたしが声をかけたところで変わったのだろうか。
大丈夫だよ、と背中をさすったことで父は生きてくれただろうか。
結局は誰のせいでも父のせいでもなく、結果として父はあの夏の日に逝ってしまう筋書きだったのかもしれない。
そして、わたしは今生きている。
仕方なくだろうが、生きている。
父に生きる意味を見いだそうとした答えを、自分の中に見つけるという視点がうまれた今、私は猛烈に戸惑っている。
そもそも、生きる、ということを考えてもいいのだろうか、と。
誰かが「いいよ」と言ってくれるのを待つのではなく、わたしがわたしの中で探す必要があるのだ。
そう気づいたものの、「消えてしまいたい」という前提から、「生きよう」と考えて、今日を生き、将来を思い描くことに、なかなかすなおになれない。
わかっているのだが、うんわかったと言えないのだ。
恋人から「もう自分を傷つけちゃだめだよ」と言われる。将来について話すことも多くなった。
そんな彼に対してさえ、うんと言えない。
腕に刻まれた痕を見ては、またいつかやるかもしれない不安がつきまとう。
その恐怖や悩みは決して無くなることはないだろうから、べてる流でいうところの“不安ちゃん”として、付き合っていくしかない。
こんにちは、自傷行為の不安ちゃん。
お、生きてることの不安ちゃん、また会ったね。
こうして、生きることへの戸惑いを、時には手に持ってもみくちゃにしたり、横に置いておいたり、布を被せてみえなくさせたり。
私がどうこうしようとしても、不安ちゃんやとまどいは消えることはない。私はわたしの持つ、生きるという悩みを選択し、その大きなテーマをあの手この手で解きほぐし、私に与えられた苦悩、苦労を抱えていくのだろう。
おーい、わたしやーい。
わたし、生きてていいかしらー。
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