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【家族日記】認知症祖父のわらいバナシ

そういえば、祖父も認知症だった。

母が認知症と診断され、怒涛の生活を送ってきたが、少し息をつけるくらいになり、祖父のことを思い出した。

祖父は市長秘書を長年献身的につとめ、休みの日は趣味の釣りのために船を自ら操縦して、食べきれないほどの魚を釣っては、友人知人にふるまっていた、見栄っ張りで頑固で情深い人だったそうだ。おかげで母は魚を食べるのも、捌くのも見事なものだった。今はそのどちらも出来ないけれど。

祖父のはじまりはパーキンソンだった。
手足が震え、よく転んではケガをしていた。学校から帰宅したら、祖父が頭から血を流していたこともある。初期のころは手ががくがく震えながらも車を運転し、無事故で済んだのは奇跡だろう。後部座席の私は毎回ちびりそうになっていたけど。

祖父はやがて認知症も発症し、祖父には私たちに見えないものが見え始めた。その中でも強烈に印象深いものが「虫がいる」「ディズニーランドの建っとる」「お客さん、三枚におろしましょうか」だ。これは我が家では必ず笑える鉄板エピソードとなっている。


祖父限定 黒い虫の大量発生

とにかく毎日、虫、虫、虫だった。嫌がる風でもなく、淡々と「ほれ、あそこに虫のおる」と言っていた。もしかしたら顔がこわばり怖がっているように見えていなかっただけかもしれないが、家族の誰かを捕まえては、虫の報告をしてくれた。私たちは「どっけね。つぶしとくよ」と言っては、たたくふりをしたり、ティッシュで拭う仕草をして、数十分程度の安らぎを祖父に提供していた。
今、認知症の本を読み漁る中で、妄想等を否定をしてはいけませんと書かれているので、あの時の私たち家族の対応は祖父にとって多少はよかったのかもしれない。

我が家の庭にTDL出現

家族の誰もディズニーランドに行ったことなんてない。我が家のご用達は、スペースワールドだ。
ある冬の朝、祖父は私を窓辺に呼び寄せ、ひそひそ声で「見えるね、あすこにディズニーランドのたっとるよ」と教えてくれた。祖父が「ディズニーランド」の存在を知っていたことにまず驚いた。あの大きな目をしたねずみさんたちなんかを見たら、きっと鼻で笑うような堅物だ。でも祖父はとても真剣で、笑い飛ばせる雰囲気ではなかったので、私は「あっ、ほんとだ!メリーゴーランドのあるね!」と合わせた。メリーゴーランドがあるかは知らないけど、デパートの屋上にあるくらいだからTDLにも豪華なやつがあるだろうと、想像しながら答えた。でも耐え切れず、私は「でもおじいちゃん、ディズニーランドなんて行ったことあると?」と聞いてしまい、寒々とした沈黙が流れた。
答えは聞いていない。

深夜のお魚解体ショー@トイレ

夜は兄たちが一緒に寝て、何かあってもすぐわかるようにしていた。今思えば、中高生の男子がよくやったものだ。そこだけは感謝しよう。
ある朝、いつも無口な長兄が笑いをこらえながら昨晩の話をしてくれた。

″昨日の夜、トイレに起きたおじいちゃんがなかなか戻らんで、音も聞こえんかった。倒れとるとかなって思って、様子ば見に行ったらさ、おじいちゃんの便器に向かって床に正座してさ、スリッパもって何かしよらすと。「じいちゃん…?」って声掛けたらさ、おいの方ば向いてにまーって笑いながら「お客さん、三枚におろしましょうか」って言わすと。スリッパば包丁に見立てて、魚ば捌くようにしよらすとの、怖かし、おもしろかし。おじいちゃん、魚屋にでもなりたかったとかな。″


祖父はその後、検査入院した病院で肺炎をこじらせてあっけなく逝った。それまで母は、2時間かかる仕事場に通いながら欝々とした父を支えつつ、自宅で祖父の介護をしていたのだ。母はどんなことを考えながら、自分の父親の介護をしていたのだろう。きっと、とても、とても大変だったろう。

そして、現在。
母のトイレ介助を毎晩しながら、当時家にただよっていた尿の臭いが舞い戻ってきたことに、あれはこの臭いだったのかと嘆息しつつ、これから母はどんなネタを提供してくれるのだろうと不謹慎にも楽しみにしている自分がいる。



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