【介護日記】お母さんの終着点
母がグループホームに入った。
その日、再び親子写真を撮った。
この日が母に触れられた最後の日。
今はガラス越しの面会しかかなわない。
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母は昔、よく、こんな小さな手で幸せが掴めるかしら、と何度も私の手を気にしていた。
そしてこの数年は、よく私の手をほめた。
綺麗な手、と。
だから私は「お母さんの手は働き者の手。これまでうんと働いてきた、かっこいい手」と返していた。
母は昔はずんずん歩く人だった。
手にたくさんの花を抱えている日もあれば、
パリッとアイロンのきいた白いウェイター服に身をつつみ、たくさんの皿を抱え機敏にテーブルの周りを飛び回っていた。
この数年は、歩幅も小さくなり、少しの距離でつかれていた。歩くスピードもぐんと落ちていた。
それでも一緒に歩ける喜びがあった。
美味しいものはいつも一緒に食べた。
たくさんの美味しいものを食べ、美しいものをみなさいとよく母は言っていた。
母と暮らすようになり、私はいつも美味しいものを探していた。デイサービスから帰宅した母と、在宅ワークしながら一緒に食べるおやつの時間。
おいしいねぇと顔をほころばせる母の顔が愛しかった。
食べこぼしのあとがあると、「あら、美味しいそうなあとがついとる」と言って、母と笑い合った。
私は昔から母を笑わせたかった。
だからいつもおちゃらけていた。
そんな私の変顔やおもしろ話に、母は顔をくしゃくしゃにして笑ってくれた。
母が笑ってくれると、私は自分の存在意義を感じることができた。
私たちは事あるごとにハグをしていた。
おかえりのハグ。
おやすみのハグ。
うれしいねのハグ。
ごめんねのハグ。
この日のハグがもう最後になる。
そう分かっていたので、母が少し嫌がっても長い間ぎゅうと抱きしめた。
母の鼓動が聞こえるまで、ぎゅうっと。
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母の終着点まで、私はずっと寄り添って一緒に歩んでいくものと思っていた。
でもその道のりは険しく、たくさん泣いて怒って、力尽きてしまった。
母に今までらしさを求めては、打ちひしがれていた。
ちがう。
今の母も母なのだ。
ただ、私と母の道のりがこれまでわかれては繋がってきたように、また分かれ道になるだけだ。
安心できる木陰に母を案内し、私は私の道を歩むことになる。
何度も振り返っては、ぼうっと宙を見つめる母の姿に涙するかもしれない。
もしかしたら手を振ってにこっと笑ってくれる母に、手を振りかえして進むかもしれない。
お母さん、そこは安心ですよ。
お母さん、私、行くね。